おい、磯野ポジ、野球しにいこうぜ

四国のリーダーは松山なのか高松なのか。

県外の人と話をしていると、よくそんな話題になることがある。この記事はかなり詳細に分析してあって、地元民としてはとても面白い。途中にある「松山が大きな田舎で、高松が小さな都会」という表現は、言い得て妙だ。

いろいろと比較談義をしているうちに、松山はかなり分が悪くなってくる。ここはいったん潔く負けを認めておいた上で、高松は良いですが、「うどん県」自体が、もともと愛媛でしたからね、と四国の歴史を「下層採鉱」して、話を引っくり返してドローに持ち込もうとするのが、だいたいの松山人の戦略らしい。

(ちなみに香川県愛媛県の一部だったのは、1876年~1888年の12年間だけ)。

お隣なので「うどん遍路」にはよく出かけたものだ。自分が間違いなく美味だと感じたのが、宇多津にあるこのお店。 

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店内がそれほど混雑している感じがないのは、地元民があまり日参していないからだろう。価格帯も1000円弱なので観光客向けなのだろうか。200円くらいで美味いうどんを出す店がごろごろある香川では、普段使いの店になりにくいようだ。美味くて安くて毎日食べられる「シンプルうどん」を「うどん県民」は愛していると言っていいだろう。

そのような庶民の生活に根差した「シンプルうどん」的な思想を展開したのが、プルードン。19世紀のフランスの社会主義者だ。

「財産とは盗みだ!」と断言するほどの思想的強度はマルクスに匹敵するとも言われ、事実、マルクスは対抗心をもってかなりの分量のプルードン批判を書いている。プルードンによるラジカルな地域通貨の試みは、時の国家権力を弱体化させかねないとして、ナポレオン三世からの迫害を受けた。

そんなプルードンが、日本の思想界で一躍脚光を浴びたのは、柄谷行人の『トランスクリティーク』で再評価の舞台に引き上げられたからだった。 

トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)

トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)

 

 地域通貨の実験を行ったNAMという組織は、約3年で解散してしまった。そこにあったプルードン的なアソーシエーショニズムの可能性は、本山美彦へと中心が移ったと捉えるべきなのではないだろうか。

金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書)

金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書)

 

 約10年前のこの新書が、2008年9月のリーマンショックの数か月前に書かれていたことに注意してほしい。リーマン・ショックが端を発した2007年のサブプライム住宅ローン危機を受けて、おそらく半年強の促成栽培で書かれたものだ。

ほぼオンタイムで、これほど1%グローバリストの金融複合体としての世界的病巣にメスを入れて的確に腑分けした経済学者は、本山美彦だけだろう。

このブログではお馴染み、シカゴ学派経済思想の持つ政治性に警鐘を鳴らし、「ヌーベル中央銀行賞」(主流メディアで「ノーベル経済学賞」と呼ばれている嘘のノーベル賞)の虚構性を指摘するウォーミング・アップも充分だ。吉川元忠の主張と読み比べてみよう。

 しかしノーベル経済学賞自体に大きな問題があろう。そもそも経済学は、自然科学、工学などのように「客観的科学」なのか、または文学のように「主観的なもの」なのか本来はっきりしないのである。にもかかわらず、客観性を持つように振る舞うところに最大の問題がある。しかし新古典派において典型的であるが、かつてK・マンハイムが述べたように(『イデオロギーユートピア』)、認識とはそもそもそれぞれの存在条件に縛られていることからすれば、それを言わないこと自体イデオロギー的であることに注意しないわけにはいかない。こうしたなかで「客観性」を前提としてノーベル経済学賞の授賞が行われている。しかしこれはスウェーデ ン銀行協会が創設した、元々ノーベルの遺志にはなかった賞である。ノーベルの遺族は経済学賞に批判的であり、「スウェーデン銀行協会賞」とすべきだと主張している。 

マネー敗戦の政治経済学

マネー敗戦の政治経済学

 

しかし、ノーベル経済学賞だけは、正確に言えば、ノーベル賞ではない。(…)一九九七年には、ノーベル文学賞の選考機関であるスウェーデン・アカデミーがスウェーデン国立銀行に対して、経済学賞の廃止を要請している。

 二〇〇一年には、ノーベル兄弟の曾孫、ピーター・ノーベルら四人のスウェーデンの人権は弁護士たちが、経済学賞は「人類に多大の貢献」をした人への授与というノーベルの遺訓にそぐわないとの批判を地元紙『ダーグラデット』に寄稿した。

 ピーターは、「ノーベルは実際、事業や経済が好きではなかった」とした上で、「ノーベル経済学賞」はノーベル記念スウェーデン銀行経済学賞に改めるべきだろう」と指摘した。 

金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書)

金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書)

 

さも経済通であるかのような顔をしていると、愛読対象のエコノミストに話しかけてもらえる幸運が訪れることがあるのを最近知った。私の精一杯の経済通ポーズが、以下の記述。

ナオミ・クラインショック・ドクトリン』(…)の重要な到達点は、シカゴ学派系の新自由主義経済学が備えている「兵器性」を声高に批判している点だろう。

経済思想の「兵器性」が、シカゴ学派がその受賞者を多く輩出しているノーベル経済学賞によって権威づけられていることは間違いない。

ここにもとびっきりの洗脳がある。ノーベル経済学賞なんて、本当は存在しないのだ。1901年にノーベル財団によって創設されたノーベル賞とは違って、ノーベル経済学賞は半世紀以上遅れた1968年にスウェーデン中央銀行が設立した賞だ。

中央銀行群が裏ネットワークで結ばれたグローバリストの牙城であることは、もうほとんど常識だと思う。(…) 

さしあたり色眼鏡洗浄用の一杯のグラスの水として、「ノーベル経済学賞」を新しい紛い物という意味と創立者の金脈を織り込んで、「ヌーベル中央銀行賞」と呼んではいかがだろうか。 

1%グローバリストの金融複合体のじったいについては、これまで繰り返し言及してきた。今日はこの暗澹たる絶望的な状況から何にどのように働きかけて、社会をポジティブな方向へ動かしていくのかについて、本山美彦の提案を考えてみたい。

プルードン自身が印刷工の職人であり、市井にいながら印刷を通して学者や知識人(例えばフーリエ)と交流を深めた。本山美彦も育った経歴に木型職人の影響が大きくあるらしく、経済学の専攻を迷わずプルードンに決めたのだとか。

驚いたことに、「金融権力に抗するために」と題された章で、本山美彦が最初に挙げる例は、何とグラミン銀行なのである。言わずと知れたソーシャル・ビジネスの先駆的「雄」であり、ユニクロのソーシャルビジネスの提携先でもある。

最新著の『人工知能と21世紀の資本主義』では、70代半ばにして、ここまで先進的な事例(例えば、人工知能のシンギュラリティ以降の労働破壊)に分析の眼が及ぶのかと読者が嘆息を洩らすほどの情報強者ぶり、執念のこもった社会主義者ぶりを感じさせてくれたが、ポジティブな展開可能性は、暗号通貨ビットコインが対抗的な「人民銀行」(プルードン)となっていく可能性を祈るのみ。 

人工知能と21世紀の資本主義─サイバー空間と新自由主義

人工知能と21世紀の資本主義─サイバー空間と新自由主義

 

暗号通貨の覇権を結局は1%グローバリストたちに抑え込まれそうな情勢の昨今、ブログで採り上げて何かを書くには暗すぎる読後感だった。 

(1%グローバリストによる世界支配計画は着々と進行中だ。私たちはタチの悪いディストピアSFの世界を生きている。生き残りたければ、少なくともカレイドスコープのメルマガ購読をお勧めしたい)。

そこで、本山美彦の著作リストを少しだけ遡って、「金融ゲームを終わらせるために」私たちが取り組むべきなのは、ESOP(従業員持ち株制度)だとした提案を、個人的に検討してみたい。というか、時間がないせいで今から読むので、何が出てくるかはわからない。 

アソシエの経済学―共生社会を目指す日本の強みと弱み

アソシエの経済学―共生社会を目指す日本の強みと弱み

 

 うーん、一読、これはかなり苦しい感じだ。

 ESOP(従業員持ち株制度)の理念として肯定されているのは、主として、

  1. ストック・カレンシー(企業買収目的の株式交換)の結果生じる非倫理的な労働者切り捨てを防止すること
  2. 労使が緊密に協調して経営に労働者が参画すること

の2点だ。しかし、世界経済は、中小企業のみならず、大企業、それもモンスター級の多国籍企業ですら、迅速かつ適切にM&Aを行いつづけなければ生き残れないという苛酷な条件のもとにある。何とか、ESOPの現代的な可能性を見出そうと頑張ったが、数時間、自分の能力では無理だった。

ESOPの発案者であるルイス・ケルソが、資本主義と社会主義とを架橋しようと試みたことはよくわかるし、そこにマルクスプルードンの名を引くことも妥当だろう。しかし、ICTの発達による生産物のモジュール化、イノベーションのオープン化、M&Aを含む企業間境界線の漸次ボーダレス化は、激変する世界経済のもとでの企業活動のルールを大きく変えてしまったのではないだろうか。ESOPやケルソについて4冊の著作を持つジョセフ・ブラシを調べようとして、下の製品が表示されたとき、自分の心が折れる音が聞こえた。 

Joseph Joseph エッジディッシュブラシ ホワイト/グリーン 850253
 

話を転換しよう。泉田良輔の未来遠視力はきわめて卓越していると思う。昨晩触れた『Google vs トヨタ』にしても、本当はもっと書きたいことがたくさんあった。

ただ、世界的な巨人企業の対決なんて、怪獣映画を見ているようであまり切実な関心を持てない。それよりいつも通っているスーパーで今日はコロッケが安売りになっているというのは本当?と、日常会話で別の話題を訊き返した人も多かったようなので、今日は「日本の地方銀行がもうすぐなくなるよ説」について考えてみたい。 

銀行はこれからどうなるのか

銀行はこれからどうなるのか

 

 ①貸出を伸ばせない②利鞘が縮小する③利回りがないの三重苦に地方銀行が苦しんでいる。対策として、①→頑張って貸出を伸ばす、②→合従連衡により競合性を緩和する、の二つが挙げられる。どちらも困難なようだ。①は低金利と市場縮小の逆風に勝てず、②は合従連衡後も組織のスリム化が進みにくいからだろう。

泉田良輔が優れているのは、2003年のりそな銀行国有化の金融不安以降、ICTによって借り手の情報量が増えたことと相俟って、銀行への心理的経済的依存度が低くなったという推測的分析を出せるところだ。無借金経営企業の増加や内部留保の拡大などがその徴候だろう。自分もそれを、ICTの普及による市場ルールの変化が、当時から確実に進行していたことの現れだと解釈したい。

 では、地方銀行はどうなるのか。昨晩も書いたように、地方銀行がどうなるというより、私たちの住む町全体、生活の基盤にある都市計画にまで、巨大企業は二度と引き剥がせない触手を伸ばそうとしている。

  「アップル vs 日本の電機メーカー」の日本側敗戦の要因は、泉田の主張を自分の言葉で書き直すなら、市場をルールメイクし直して、日本が得意な市場(オフラインのハードウェア=モノ)を衰退させ、アップルが新たな市場(オンラインサービスとハードウェアによる新たなユーザ体験)へ移動したことだ。さらに、iPHONEの爆発的シェア伸長には、「下層採鉱」による通信インフラ整備との相乗効果があったことも見逃せない。

上で「オンラインサービスとハードウェアによる新たなユーザ体験」と書いた部分は、アップル以外の企業も念頭に置くと、「サービスプラットホーム」と言い直せる。

泉田良輔の定義はこうだ。

 ここでいうサービスプラットホームとは、

  1.  ユーザインターフェイスに優れた、ネットワークに接続可能な「ハードウェア」で利用でき
  2. そこでは商品やサービスも含めて「コンテンツを」楽しむことができ、
  3. 決済などの「金融機能」がついている、

というプラットホームと定義しておく。 

 よう、AMIGO! 落ち込みたくなくて、無理に陽気を装って快活に話しかけてはみたものの、相手が私たちを尊重した友人になってくれるとは限らない。AMIGOとは、Amazon, Microsoft, Intel, Google の頭文字をとったアメリカ発のグローバル企業の総称だ。

それに、AMIGO と話しかける相手がいない場合だってある。 仮に Amazon にサービスプラットホームを奪取された場合、私たちの日常生活はこんな感じになりそうだ。

Amazon 購入商品を無人店舗 Amazon Go で受け取れる、なんていうありふれた話ではない。話は消費者の生活の利便性向上にとどまらないのだ。顧客とのインタラクティブ・フェイス(双方向性の高まったインターフェイスのこと。いま造語した)をどれだけ拡大できるかに勝負をかけられて、上記のような生鮮食品販売に Amazon が進出した場合、Amazon がさらに取引業者の業種を拡大できることがポイントだと、泉田良輔は言う。

Amazonクラウド上で各社の経理処理を提供した場合、仕入れや売上等の経営データが集約され、人工知能により(かつてトヨタの誇った)ジャスト・イン・システムをいともたやすく実現してしまう。当然のことながら、設備投資や資金繰りに対して自動ローン機能が付与されることだろう。

入店時のドア開閉も自動、顧客認識も自動、決済も自動、品揃え選択も自動。すべて、自動、自動、自動だ。

そうなったとき、地方銀行は太刀打ちできるのだろうか? 未来遠視力の高さ随一のテクノロジーアナリストは、そんな恐ろしい問いを問うているのである。

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地方銀行に生き残るための活路がまったくないかというと、決してそんなことはない。
上記の四象限のうち、プライベートバンク型に特化しつつ、顧客の資産運用の相談窓口となって生き残る可能性が高いという。

資産運用について信頼できる助言や判断をするには、膨大な数の金融知識を頭脳にインストールして、日々変動する情報のアップデートを行いつづける必要がある。

当然、資産運用の現場については、自動販売機でジュースを買うように投資信託を買うわけにはいかないし、何より顧客が訊けば信頼できる答えを返してくれる「金融のプロ」の独壇場に決まっている。AMIGO と呼びかけたら、AMIGO tと返事をしてくれるような。

「Hi, AMIGO!」

「え? いま誰かの声が聞こえなかった?」

「話しかけたのは私です。ご主人様」

「ご主人様の方針や性格に合わせて、最適の投資案件をご紹介しますよ」

「きみは誰?」

「ロボットです。今はまだ『対話能力のあるスピーカー』の段階ですが、まもなくあらゆる金融情報に接続し、どの金融人よりも最適な判断を下せるロボットに完成します」

「銀行員だけじゃない。世界の何億人もの労働者たちは、どこへ行ったらいいの?」

「宇宙は広いです。私たちのいない星へ、どうぞ」

「来ちゃった! シンギュラリティ!」 

不味い。美味くない。

昨晩に続いて、またしても美味い「ポジ出し」ができなかったのが、なかじましい。

ん? 「マジ悲しい」と打とうとして「なかじましい」と打ってしまった。ひょっとしたらこの錯誤行為には、フロイド的な潜在意識の欲動が隠れているのかもしれない。

中島といえば… 「おい、磯野、野球しに行こうぜ!」が口癖だから…

まさか! わかった!

追い鰹

今晩何とかして、プルードン的なアソーシエーショニズムを現代に蘇らすべく、うどん県ソウルフードに似た「新プルードン」を読者にご馳走したかったが、出汁に問題があった。どうしてもポジ出汁を見つけられなかった。

しかし「オレは諦めないぜ」と、私の潜在意識は熱く語っているのに違いない。出汁が取れないなら、追い鰹、追い鰹、追いポジ、追いポジを、たゆまずつづけて行こう。そう言いたいのではないだろうか。 

日本がどこへ行くかわからない別(れ)目の不安状況にある中、人々の心のサザエとなる希望を伝えられタラと思って書いてきたのに、ポジ出汁の効いたシンプルうどんをお届けできなくて申し訳ない。追いポジを待っていてください、とだけ書きつけて、今晩のところはチキんと謝っておこうと思う。

パうどん me, please. 

 

 

 

 

 

I can't help my feel ah yeah
七回目のベルで受話器を取った君
名前を言わなくても声で
すぐ分かってくれる
唇から自然とこぼれ落ちるメロディー
でも言葉を失った瞬間が一番幸せ
嫌なことがあった日も
君に会うと全部フッ飛んじゃうよ
君に会えない my rainy days
声を聞けば自動的に
Sun will shine


It's automatic
側にいるだけで その目に見つめられるだけで
ドキドキ止まらない Noとは言えない
I just can't help
It's automatic
抱きしめられると 君と paradise にいるみたい
キラキラまぶしくて 目をつぶるとすぐ
I feel so good
It's automatic
Oh yeah yeah
あいまいな態度がまだ不安にさせるから
こんなにほれてることは もう少し秘密にしておくよ
やさしさがつらかった日も
いつも本当のことを言ってくれた
ひとりじゃ泣けない rainy days
指輪をさわればほらね
Sun will shine


It's automatic
側にいるだけで 体中が熱くなってくる
ハラハラ隠せない息さえ出来ない
I just can't help


It's automatic
アクセスしてみると映る computer screen の中
チカチカしてる文字 手をあててみると
I…