透明な林檎が一生の宝物

何ということだろう。

まやかしに魅せられて、というか、あやかしに魅せられて、といってもたぶん同じことだと思うが、4時間くらい何も書けなかった。あやかしに包まれた中で、誰かと何を話そうかと真剣に考え込んでいて、ところが、待って、まさか全員知っているとは酷いじゃないか。しかも、こちらの知らないところで何をどう決めたんだ。泣きそうだ。Free the Trueman!  リアリティー・ショーにもほどがありはしないか。 ふう。溜息。

何も書けなかった4時間。

こういう0時から4時までの深夜、高校生の頃ひとりで街に繰り出していたことがあった。繁華街の悪所通いというわけでは全然なく、深夜の街角に座り込んで、本を読んだり詩を書いたりしていただけ。何ということはない。矛盾しているようだが「人のいない街」が好きでたまらなかったのだ。

だからこの写真集のことはよく覚えている。街並みは現在の目で見ると古びて見えるが、加工技術で消したのではなく、年に数回発生するらしい本当に人のいない瞬間を捉えた貴重な写真集だ。

この無人東京写真をもし物に譬えるなら、「透明な林檎」になるんじゃないかと思う。目を閉じている状態で透明な林檎を握らされたら、林檎と同じような外形と重みを感じることができる。しかし、目を開ければ、それは林檎とは似ても似つかないガラス体があるだけ。ひとりも人のいない街だって街とはいえない。

スティーブ・ジョブスに興味はないではなかったが、彼の死後に神格化する動きをそこここで感じたので、敬遠していた。最新の伝記は、とかく美化を被りがちなジョブズが、双極を揺れ動く個性と人間臭さを兼ね備えた人間だったことを、うまくとらえていると思う。

 歴史的な成功を収めたスタート・アップの共同創業者だというのに、ビジネスマンだと見られたくない。メンターにアドバイスしてほしいと願ってやまないのに、力を持つ人を見るといらつく。LSDをきめ、はだしで歩き、ぼろぼろのジーンズをはき、コミューンの暮らしにあこがれるくせに、緻密に組み上げられたドイツ製スポーツカーでハイウェイをぶっ飛ばすのが大好きだ。慈善事業を支援したいという気持ちはあるが、そのよな活動につきものの非効率性は大嫌い。とにかくせっかちなのに解決する価値がある問題は何年もかけて取り組まなければならないものだけだとわかっている。仏教に帰依しつつ、資本主義に傾倒している。高飛車の知ったかぶりで、自分より賢い人を叱り飛ばすが、でもだからといって、マーケティングの基本がわかっていないという指摘が正しかったことは変わらない。スティーブは荒々しくけんか腰になったあと、自責の念に心底かられたりする。かたくなだが学びの意欲は強い。席を蹴って出ていったかと思えば戻って謝罪したりする。  

スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(上)

スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(上)

 

  ジョブズには、自分が共同創業したアップルという会社を、その頑固さと自己中心性ゆえに追い出されてしまった伝説がある。 そして業績不振に陥ったアップルに請われて復職し、斬新な製品を次々に打ち出す革新性と創造性を武器に、アップルを嘘のように蘇らせた辣腕伝説もある。そのような目まぐるしい混乱に満ちた双極に拠れる心を、しかし、ジョブズは上記の林檎のように透明なままに保つことができた。それが仏教への傾倒や瞑想によってだったことは、よく知られている。 

 ジョブズ仏教への傾倒の源流を辿ると、大学生時代のカウンターカルチャーへの耽溺にぶつかることになる。ボブ・ディランジャニス・ジョップリンマイルス・デイビスなどの音楽に加え、LSDなどのドラッグを摂取し、大学は半年で辞め、東洋哲学や神秘主義の本を読み耽った。

アップルを追い出されたあとにつくった会社で、ジョブズがその宗教指導者に任命した乙川弘文は、世界でも最も有名な仏教僧の一人となった。英語での禅の古典『禅マインド ビギナーズ・マインド』の鈴木俊隆もアメリカでは著名だが、乙川弘文はその弟子にあたる。

禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書)

禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書)

 

 今やすっかり「シリコンバレー発」として喧伝されている「瞑想=マインドフルネス」の効用は、実は日本の仏教に由来していたということだ。

海外で最も尊敬される仏教徒と言えば、佐々井秀嶺を他においていないだろう。下の記事は「佐々井伝説」をうまくまとまっているので、興味のある人はぜひ全部読みとおしてほしい。 

ある満月の夜、龍樹(りゅうじゅ)と名乗る人物がこつ然と現れ、「南天龍宮城へ行け」と佐々井氏に告げたという。龍樹とは大乗仏教創始者の名前で、運命的なものを感じた佐々井氏は、ヒンズー語で龍宮城にあたるインドのナグプールに向かった。

 

龍樹の出現について、佐々井氏は「夢でも見たのだろうと言われるが、夢じゃない。実際に見たんだ」と断言する。にわかには現実と思えないのだが、佐々井氏にとっては確かな体験であり、実際にナグプールに行ってから佐々井氏の人生は大きく変化していった。

 

インド仏教の最重要人物、アンベードカル博士。カーストの最底辺である不可触民出身でありながら苦学の末に立身出世を遂げ、インド独立の際の新憲法の起草者としてカースト制度の廃止を明記した伝説的な人物だ。1956年、博士がおよそ30万人の不可触民とともに仏教への大改宗式を開催したのがナグプールだった。改宗式から2カ月後、博士は不慮の死を遂げるが、大改宗式以来、ナグプールはインド仏教の中心地になっており、佐々井氏は、同地で初めてインド仏教復興の礎となった博士の存在を知った。同時に、自分が見た龍樹と博士の見た目がそっくりだったことから不思議な縁を感じた。そして、井戸や水道すら使わせてもらえず、泥水をすするしかない不可触民の現実を目の当たりにして、仏教への改宗による不可触民の解放運動と仏教の復興にのめり込んでいったのである。 

 ひとり学究として教義を解釈するだけでは、人々は微塵も動かなかったことだろう。後輩、部下、子供…。誰であれ、どんな生き方を選んでも、人の先に立たねばならない時が来る。そのとき、これを読む人が、後ろにいる人々を少しでもより正しい方向へ動かせるような人間になってくれたら、と夢想してしまう。誰だって誰かの先に生きるし、「先生」にならなければならない時が来るのだ。

「私は血を売ったり、牢獄に入ったり、いろいろな経験をしてきた。そういう波をくぐり抜けてきたからこそ、使命を受けたんだ。いま思えば、龍樹はあらゆる角度から私に試練を与えていたのだと思う。それでも私は挫折しない、へこたれないから、どんなことをしても後ろに引かんやつだ、よく頑張ったということで満月の夜に龍樹が現れたわけだ。人それぞれに使命がある。使命を得るためには自分の与えられた仕事を一生懸命、真心を込めてやらなきゃいけない。金儲けでやったりしたらダメだ。そして、不正義と戦い、道をまっすぐ進む。それによって使命感が湧く」(強調は引用者による)

こういう人生上の闘いって、絶対にひとりでやる種類のものじゃない。人々を必死に動かして、少しずつそれが膨らんでいって、より大きなものを動かせるようになっていく。こんな年齢になっても、まだそういうことをほとんどできていない自分でも、そこに真の人生の喜びがあるということはよくわかる。

少し喋りすぎただろうか。もう少し続けなければならないので、仏教を経由して林檎に戻ることにしようか。

爛れたる林檎食す二月尽 他界にはまた他界あるべし     塚本邦雄

 林檎は世界果実なので、宗教的な世界観を表現するときにもよく使われる。ほとんど密教的なほどあまり知られていないことだが、文学は宗教の世界に深くその根を通じていて、ほとんど不可分なくらい両者は密接な関係だ。その地表下の水脈を恐るべき学識の高さと気の遠くなるほどの文献の渉猟を通じて、明るみに出し始めた文芸評論家がいる。え、嘘だろう?と破顔一笑して、生きていたの!と叫びたくなる。信じられない、夢みたいだ。まだ本物の文芸評論が生きていたなんて。 

祝祭の書物―表現のゼロをめぐって

祝祭の書物―表現のゼロをめぐって

 

 国民作家としての三島由紀夫大江健三郎村上春樹を語りたがる人は何人もいる。しかし、この三人に通底する地表下の水脈を探し求めて、ダウンジング・ロットを両手に荒野を彷徨っている人と、同じ目的、同じ装備で旅をしている自分が、ばったり遭遇できるとは夢にも思っていなかった。彼の専門は折口信夫。 

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

 

まだ『祝祭の書物』をパラパラめくっただけだし、大著の『折口信夫』は手にとってもいない。ただ、不勉強な自分も、折口信夫が日本の近現代史に伏流する密教的水脈であることは直感していて、三島由紀夫折口信夫に珍しく感情的ともいえるような二律背反的な態度を示しているし、そのことに中上健次が強い関心を寄せたりもしている。三島論でいえば、三島神学の精髄に深くかかわる「ジャン・ジュネ論」もしっかり引用されていて、しかもスヴェーデンボーリにも軽々と余裕のフットワークで言及があって、参ったな、それ、自分がやろうと思っていたことなのに、という感じ。頭脳明晰な俊英が文芸評論家としての社会的立場と必要な時間をきちんと自分に掛け算できると、ここまでハイクオリティな文芸評論が、連続してパブリックドメインとなるような幸福が生まれるのか。そんな感慨を禁じ得ない。自分も早く少しでも時間を手に入れて、安藤礼二の著作を複数冊読み込んでみたい。

さて宗教の話はこの文脈では期待されていないような気がするので、文脈を世俗化させたい。

自分は涙脆くはあるものの、teardrop のサングラスは似合わない。似合わないのに、いま右の掌の上に、ぽんとまるい球体を手渡されたような気がしている。いや、自分はいつのまにか虚構の中にいるのだろうか。

以前も自分がいつのまにか虚構の中に迷い込んでしまったことに、ずいぶん後になってから気付いたことがあった。今回はたぶん違うと思うが… 現実と虚構の境目が時々わからなくなってしまうのが、虚構莫迦の自分の悪い癖かもしれない。

手渡された球体を「林檎」だとは言われたものの、手触りは違うもののように感じられる。何も見えない。見えない? はっとなって、ベッドから身を起こして、何だ、夢か、と呟くが、眼が見えないのは同じだ。あまつさえ、裸眼の前には普段かけないメガネがかかっている。夢じゃない。縁を辿ると、teardrop 型のようなので、たぶんサングラスだろう。

 

盲目で色を識別できない。ということは、いま右手に握りしめている「林檎」は透明であるも同然だ。

 

いや、これは林檎ではないのではないだろうか。

 

知らず知らずのうちに文脈が世俗化してしまって、自分はあの国民的アニメの鬼監督の「中の人」になっているのではないだろうか。そうなら、盲目の鬼監督役をきちんと演じなければ。

手にしている「透明な林檎」を子細に探ると、外周をひとまわりしている縫い目があるのがわかる。

 

ということは、視力を失って見るべきものが見えなくなった機能不全の監督の代わりに、きみたちが力を合わせて奮闘して、私を甲子園へ連れて行ってくれたということなのだろうか。

 

ありがとう。手術した後の患部に巻いてある眼帯が、したたかに濡れてしまう。本当にありがとう。

 

眼が見えない身では、右も左もわからない。どう考えたって、絶対に一人ではここまで来られなかった。この透明な林檎が私の一生の宝物だ。

 

それにしてもきみたちは、この1年間くらい、あんなに理不尽であんなに莫迦みたいにきついシゴキに、どうして耐えられたんだろう。耐えただけでなく、県大会を勝ち抜いて甲子園へ行けるほど、どうして強くなれたんだろう。

 

86年ぶり? そうだった。その数字がヒントになる。すでに86年ぶりに甲子園へ行った人も、そうでない人も、72年毎に来るハレー彗星級の本当に凄い素質を秘めた若者なんだ、きみたちは。ほとんど映画にするしかないようなこんな実話、これまで聞いたことがある? はい、聞いたことがある人は手を挙げて。挙手ゼロ。皆、良い笑顔をしている。

 

 もう駄目だ、って何度ひとり真夜中に涙を流したことだろう。そのたびに、きみたちが打って、走って、投げて、守って、ファインプレーの連続で、窮地を凌いでくれた。眼は見えなくても、きみたちユニフォームが泥まみれなのが、よく伝わってきた。

 

 この記事を書き始めた最初だって、「ワールドエンズな世界の終わり」の日、「僕らのことも忘れたふりして」無人となった「Tokyo Nobody」みたいな街で、せめて「誰にも邪魔されずに」「本当のあなた」に逢うことができたら、終わってもいいから、その翌日に世界が終わってくれたら、って書くつもりだった。

 

でも、それじゃ『タッチ』らしくないし、touching な物語になり切れていない。曲名に超新星 super nova が続いているのを忘れちゃいけなかったんだ。

 

愛しき、超新星たち。連日連夜おそろしい「しごき」を乗り越えられたきみたちは、もう普通の若者じゃないんだぜ。どうかいま私が手に握っているこの「透明な林檎」と同じ林檎を、これからの人生のあいだ心の中に持っていてほしい。きみたちが真剣に願う夢に向かって、真剣に努力を重ねれば、その夢は必ず叶う。そう信じる信念の証として、この「透明な林檎」を、いつまでも心に抱いていよう。「僕らいつも笑って汗まみれ どこまでもゆける」。

 

私の眼帯がいつ取れるのか、いつ視力が回復するのかはわからない。監督代行は終わったから、甲子園の本番の試合はアルプス席から観戦することになると思う。超新星のきみたちが、甲子園のようなそれぞれの晴れ舞台で、眩しいほど輝いているのを見るのを、心から楽しみにしている。本当にありがとう。

 

次の世代のこの国を頼んだぜ。あいにくバトンも透明なんだ。だから、いま渡すべきものを渡した。感じられたかい? タッチしたぜ。

 

皆、元気で。

 

 

いつだって僕らは誰にも邪魔されず
本当のあなたを 本当の言葉を
知りたいんです 迷ってるふりして

 

僕は風になる すぐに歩き出せる
次の街ならもう名前を失った
僕らのことも忘れたふりして

 

DO BE DO BE DA DA DO
スタンバイしたらみんなミュージックフリークス
1, 2, 3でバックビート
ピッチシフトボーイ全部持ってって
ラフラフ&ダンスミュージック 僕らいつも笑って汗まみれ
どこまでもゆける

 

絶望の果てに希望を見つけたろう
同じ望みならここでかなえよう
僕はここにいる 心は消さない

 

1, 2, 3でバックビート
スィングして粘るベースライン
アイラブユー皆思う これだけがメロディー奏でだす
ラフラフ&ダンスミュージック 僕らいつもべそかいてばかり
朝が来ないまま

 

いつまでもこのままでいい それは嘘 間違ってる
重なる夢 重なる嘘 重なる愛 重なるリズム

 

1, 2, 3でチルアウト 夜を越え僕ら旅に出る
ドゥルスタンタンスパンパン
僕ビートマシン
ラフラフ&ダンスミュージック 僕らいつも考えて忘れて
どこまでもゆける