ちぎられた夕陽を空腹で見つめ直すこと

どこかで海軍の信号兵だった祖父の思い出に絡めて、西條八十の話をした。下の動画で、「宵待草」の作詞は竹久夢二になっているが、本当は映画の主題歌にするために曲が事後的に延長された事情があって、一番の作詞が竹久夢二で、二番の作詞が西條八十が正しい。

 やなせたかしの自伝を読んでいて、竹久夢二蕗谷虹児のような「美少女画と漫画は、一見まったく無関係に見えるが、実は相当に深く影響しあっている。ナンセンス・ギャグ漫画家の赤塚不二夫が、最初は少女漫画を描いていたことも意外とはいえない」という記述に出くわして、椅子から転げ落ちそうになった。図書館の書架には、まだまだ自分が会ったことのない未知がたくさんつまっていて、ワクワクしてしまう。 

 赤塚不二夫やなせたかしにも、美人画に魅きつけられて筆を動かす瞬間があったのだろうか。彼らの美人画をぜひ拝見したいものだ。

もっと知りたい竹久夢二 ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたい竹久夢二 ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

 

姪っ子や甥っ子たちと遊ぶ機会が増えたせいで、(なぜかいつも自分が幼児たちの遊び相手の役回りになることもあって)、アンパンマンの世界に接することが多くなった。実は、セカンドベビーブーマーの自分も、幼少期にアンパンマンの絵本を読んだことがある。その頃のアンパンマンは、自分の顔をちぎって貧しい子供たちに差し出し、ちぎり跡のある顔のまま、ていたように記憶する。このあとがきにも何となく読み覚えがある。

子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし、汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。

ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えません(…) 

 だから、アンパンマンの顔が濡れたり変形したりして、「顔が○○になって力が出ない」というピンチに陥ると、完全無欠の新しい顔が飛んできて入れ替わり、元気100倍となって復活するシーンには、何か違和感を感じてしまう。古い顔はどこかへ飛んで行って消滅してしまうらしいが、それは本当なのか。死期を悟った象が、仲間たちが死んでいった象の墓場を目指すという伝説のように、古い顔たちが敗残の落人となって集まる集落があり、そこでそれぞれに欠損を抱えた古い顔たちが、助け合いながら生きる互助社会的な桃源郷があるのではないだろうか。何となくそれがあってほしいような気さえする。

アンパンマンの世界の特異性はまだある。日本の子供の食育のために登場させたという「おむすびまん」にとどまらず、あれほど多くの仲間と融和し、彼らを率いるリーダーシップを発揮するのに、最も有名な主題歌で、アンパンマンはこう歌い上げている。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。 

(…)

忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも

そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ

 何と、アンパンマンにとって「愛と勇気」しか友達はいないのだ。共に闘ってきた「戦友」も、移ろい過ぎ去っていく仮象にすぎないというのだろうか。そこに、ニーチェ主義者としてのアンパンマン、ニヒリストとしてのアンパンマンをそこはかとなく感じていたのだが、自伝にあたって読んでみると、どうやら文脈が違うらしい。

太平洋戦争で暗号班として従軍し、中国大陸を転戦したやなせたかしには、「正義は移ろいやすいもの」であり、同時に、「正義は傷つきやすいもの」であるという直観的信念が、心の奥に揺るがず存在したようなのだ。

やなせたかしは1919年(大正8年)生まれ。3歳年下の1922年(大正11年)生まれに、ダイエーの創業者の中内功がいる。 

完本 カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉 (ちくま文庫)

完本 カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉 (ちくま文庫)

 

 中内功の人生はまさしく波乱万丈で、短くまとめることは難しい。難しいことを承知で要約すると、こうなるだろうか。

ゲーテ好きの文学青年が、太平洋戦争で人肉嗜食寸前の苛烈な飢餓を経験し、「消費者主権」的な「流通革命」により世界有数の一兆円企業にまで登りつめるが、バブル期前後の旧日本軍に似た兵站なき「戦線拡大」により破綻して、敗北した。

佐野眞一の綿密な取材と卓抜な分析力により、あまりにま生々しいリアリティーが詰め込まれたせいで、この浩瀚のノンフィクションは、裁判まで起こされるほどだった。

上の記事で言及した「残置諜者」小野田寛郎との対談や、松下幸之助率いるナショナルとの三十年戦争や、阪神淡路大震災での機敏な復興支援など、読みどころ満載の『カリスマ』を、ゆっくり熟読する時間がないのは残念だ。

ここでは、佐野眞一が、中内功への吉本隆明のシンパシーを強調しているところに注目したい。吉本隆明中内功の2歳下の1924年(大正13年)生まれ。世代論にさほど与しない自分も、戦争の世代的刻印の有徴性は積極的に認めていく立場をとっている。

 中内功という文学青年は、苛烈な飢餓体験を経て、日本の流通構造そのものを変革しながら、消費者主導の破壊価格で、天井まで積み上げるほどの圧倒的な商品群を売り捌いていき、高度成長の到来とともに失速した。

吉本隆明という詩人は、皇国青年のまま敗戦を迎えたのち、世界的な水準に達する部分もある言語論や共同体論を自前の思考で磨き上げ、全共闘世代に熱狂的に支持される左派思想人となったが、高度成長の到来とともに失速した。

吉本隆明の『言語にとって美とは何か』と『共同幻想論』は、良質の知的刺激に満ちた著作だと思うが、論争好きで知識人たちのドクサの「逆張り」に論陣を築きたがる思考癖や、マス・イメージ論以降の大衆決定論的な知的弛緩ぶりには共感しがたいと感じていた。

このような正負の両極を両立した存在だとして捉え直すべきだと主張しているのが、宮台真司

転向知識人=「ただの大衆」、非転向者=「大衆からの遊離」という吉本思想の二重性は、日本という場所において知識人が、望むと望まずにかかわらず強いられる倫理を示しているように思われました。

 続けて、宮台は、このような二重性に意味を与えていた「知識人 対 大衆」図式が、社会システムの遷移により消失したために、吉本思想が急速に陳腐化したと述べる。陳腐化したとしても、その二重性は後続の物書きたちの倫理的立ち位置の決定に影響を及ぼした時代的意義があるとも。

この論旨の周辺は、自分に強く響くところで、自分なりにパラフレーズすると、ドゥルーズ通俗的なイメージの二重性をインデックスにして、頭の中の整理棚にしまってある二重性だ。

ドゥルーズ哲学の最大の特性ともいえる「水平性」は、ドゥルーズ自身のわかりやすすぎる政治参加の実態(パリ五月革命での暴動学生への支持表明)から、しばしばそれが大衆親和的なものだと受け取られがちだ。ただし、実際はそれはニーチェ経由のもので、キリスト教の平等原理に激しく抵抗したニーチェにとって、水平性とは差異を生み出すものの謂いであり、ドゥルーズは比較基盤さえも揺るがせる、そのラディカルな水平性に「差異と反復」という別名をつけたのだった。

 徹底した原理原則思考のラディカルな突き詰めと大衆への内在。この二重性は、吉本隆明はもちろん、中内功にも共通するものだと自分は見立てたい。

中内功が70年代に徹底的に「流通革命」を闘ったとき、その障壁となっているものが、前近代的もしくは戦時体制の国家的遺制であるとまで、中内功には見えていたらしい。後年、野口悠紀雄堺屋太一も同じ指摘をしている。そして、大衆にカートに商品が山積みになるまで買い物をしてもらい、格安の肉や食品で満腹になってもらいたいという「水平的」願望の充足。

戦時中に中内功が送られたのはフィリピン戦線だった。そこは、大岡昇平が生きるために人肉嗜食すべきかどうか迷う『野火』の舞台であり、この記事で言及した『レイテ戦記』を、中内は知人の編集者に所望したという。

ダイエー帝国の興亡を描いた『カリスマ』の中で、最も強烈な読書体験だったのは、マニラの俘虜収容所体験だった。収容所には、先に述べた中内功、大岡正平だけでなく、『空気の研究』などの日本特殊論の著作を持つ山本七平もいたというのである。そして、この記事で述べた私の祖父も。 

中内功自身がこう語っている。

けれど、もしボクがナカウチという珍しい名前でなく、日本人に多い名前だったら、ロクな取り調べもなく、員数合わせのように絞首台に送られていたかもしれません。

 山本七平の『ある異常体験者の偏見』の中には、名字が同じという理由だけで何人もが濡れ衣を着せられ、総立ちの現地傍聴人たちによる「ジャップ、ハング、ジャップ、ハング」という怒号の中、冤罪者の処刑を決する「人民裁判」の様子が詳しく描かれているが、あまり引用する気になれない。疲れている身で、無罪の人間の処刑を生々しく脳裡に思い描くのはきついから。

確かなのは、私の祖父が漢字三文字の珍しい姓を持っていなければ、自分は今ここには存在していないかもしれないという厳然たる可能性だ。

大正生まれのやなせたかし中内功が生み出したもの。

「ぼくの顔をお食べ」といって、自らの身体を痛めて差し出されたひと切れのパンや、「流通革命」により誰でも買える価格で差し出された豊かな食料を目の前にして、ひょとしたら貧困の限界状況にあったかもしれない人々が、円谷幸吉の遺書にも似た言葉で、飛びつくように喜び勇んで食べている様子を、この記事の最後に思い浮かべたい。その背景では、沈む間際の夕陽が輝いていることだろう。

自らの顔をちぎって差し出したアンパンマンが、いずれその顔が別の顔にとってかわられるるのだとしても、日本一となったダイエーがやがて斜陽となり沈んでいくのだとしても、両者による戦後の食料窮乏者への献身的な姿勢が、どこか重なって見えるような気がしてならないのである。

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 (捕虜映画の傑作のサントラより)