貝にならない生き方

きっと悪い夢を見ているんだと思う。

それが実体のないものを指しているせいで、どうしてもその名を口にできない******という概念がある。あるいは、一生の間に******を使うことを神から許された回数をもう使い切ってしまったのかもしれない。あるいは、******で筋違いの絡み方をされて何度も嫌な思いを味わったせいかもしれない。どうしても口にできないので、仮に「ペスカトーレ」と呼んでおくことにする。

それにしても、国文学界で繰り広げられた「和風ぺすかとーれ」批判とは、いったい何だったのだろうか。なぜ「和風」ではだめなのか、「和風」で駄目なら「きまぐれ狩人のそよかぜ風」ならよいのか、「ぺすかとーれ」の何を批判すべきだと考えているのか、あれは要するにただのゼノフォビアだったのか、いずれの問いの答えもさっぱり思い浮かばないのは、やはり自分が悪い夢を見ているせいだと思う。

もちろん、国文学の世界にもきちんとした研究者もいて、「『和風ぺすかとーれ』というような珍妙なレッテルで批判する研究者の滑稽さはもはや救いがたい」と正論を吐いているのを目撃して、おや、この人はきちんとわかっておられる、何と言っても文学理論の入門書を書いているものな、とほっと胸を撫でおろした文章を、最初からよく読んでみると、こんなことが書いてあったりする。

文学教育と言語技術教育の対立をいわゆるテクスト論、すなわちナラトロジーならばどう処理できるか。(…)テクスト論、海外には存在しないこの和製ネーミング、小森さんの罪は大きいと思いますよ。

そうだったのか、小森洋一って有罪かつ大罪のナラトロジストだったのか、マンマミーア。(頼むから頑張ってくれ、国文学界!)

冷めないうちにペスカトーレを平らげておくと、ペスカトーレがしばしば誤解されるのは、ピカール流の作者還元型批評の後に台頭した「新批評」に、二つの大きな対立する流れがあるという事実を、不見識な批評家や研究者が見分けられないせいだ。ペスカトーレ=ナラトロジー(=物語論記号学)という等式は成立しない。

これについては、ミシェル・フーコーが「記号学と解釈学は不倶戴天の敵同士」という意味の言葉で「新批評」の様態を、うまく言い表している。自分もこの記事で同じ内容に言及した。やや文脈をつかみにくいかもしれないが、蓮実重彦の批評が説話論(≦記号学)の領域ではなく、解釈学の領域にあることを部分的に強調している。

「テクスト論」の命名者が小森洋一だったというのは初耳だった。というか、本当にそれは事実なのだろうか。再審請求して証拠を確認したい気持ちだ。

いずれにしろ、命名が状況にふさわしくないなら、リネームすればよいだけで、バルト=ピカール論争を分水嶺として、それ以前に主流だったあれを「作者還元型批評」、それ以後に主流となったこれらを「作者非還元型批評」とでも呼び変えてしまえばよいだけだろう。

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

 

 大好評のこの入門書の分類に従えば、「作者還元型批評」には伝統的批評が含まれ、「作者非還元型批評」には、ジャンル批評・読者反応批評・脱構築批評・精神分析批評・フェミニズム批評・ジェンダー批評・マルクス主義批評・文化批評・ポストコロニアル批評・新歴史主義・文体論的批評・透明な批評が含まれることになる。明快きわまりない命名と区分だと思うが、いかがだろうか。

明快に伝わりさえすれば、もうペスカトーレのおかわりはいらなくなるし、その味に主観的なケチをつける必要もなくなるはずだ。

さて、上記では「冤罪」の可能性が濃厚な小森陽一が、子規と漱石についての新書を出したので、嬉しくなって読んだ。(ちなみに、最初から最後まで、ナラトロジー的ペスカトーレは登場しなかった)。

テクストに分け入ってどんな文脈を輝かせるかは、まさしく多種多様。上で「作者非還元型批評」に12種類の批評がリストアップされていることを紹介したが、その多くを横断する形で土壌のように基底部に広がっているのが、「政治性」という包括性の高い概念。小森陽一は、テクストから「政治性」を洗い出すのが、日本一上手い研究者だ。

例えば文学の世界では、メタファー(暗喩)とメトニミー(換喩)が、言語や精神活動の二大原理をなしていて、前者に全体主義が、後者にそれからの逃走といった政治性を読めるかで、文学的な知的選良度合いが計られたりもする。音楽の世界でも、何を「平均律」という準拠点とするかに、悪魔のような政治的謀略が蠢いていたのは、一昨晩話した通りだ。神が細部に宿るように、政治性は芸術の基礎に宿っているのである。

小森陽一はこの新書で「俳句ジャーナリスト子規」の肖像を描き出したかったらしい。実際、日本新聞社入社後の子規は、俳句を織り交ぜた「俳句時事評」を手がけている。現代でいうと、社説のまとまりの横に俳句を配して、その政治的含意の妙を楽しむといった感じだ。

このような主題としての「政治」から、日清戦争の従軍体験を経て、芸術に宿った「方法」としての政治性に開眼したのが「写実」俳句だった。意外にも、先導したのは弟子の高浜虚子河東碧梧桐だったという。子規は「詠ずる事物は純粋客観」でなければならないとして、碧梧桐の一句を称賛している。

赤い椿白い椿と落ちにけり

戦争や政治やリアリズムへの子規の飽くなき執着は、確かに「俳句ジャーナリスト」の称号を冠するにふさわしいかもしれない。

この記事で、正岡子規夏目漱石の最後の別れについて書いた。

 

正岡子規が34歳で亡くなったあと、夏目漱石も49歳でこの世を去る。二人は同い年で、実は「紅露」時代を築いた尾崎紅葉幸田露伴も、同じ1867年生まれだ。尾崎紅葉が子規とほぼ同じ35歳で没したのに対し、幸田露伴は何と80歳まで生き延びる。

長生きした分、後続世代とも交友が深く、38歳も年下の木村義雄14世名人を、よく可愛がったのだとか。そのあたりの露伴の生活の実態は、娘で小説家の幸田文の対談集に詳しく、その中でも、江戸川乱歩との対談が面白い。

軽井沢まで汽車の道中5時間、ずっと幸田父娘は「ホルムズごっこ」をやっていたそうだ。乗り合わせた人々の服装や所作を見て、その当人の職業を当てる遊び。「ホルムズ」とはシャーロック・ホームズのことである。

また、アマ将棋六段を死後に寄贈されるほどの将棋好きでもあったが、露伴は将棋を「模様の美しさ」を考えながら指すと言っていたのだという。このあたりに神秘主義者としての幸田露伴の面目がある。シャーロック・ホームズの原作者であるコナン・ドイルが晩年にスピリチュアリズムへ傾倒したように、晩年の幸田露伴道教思想(タオイズム)の先駆的な研究へとのめりこんだ。その道教の修練法を自分の身体で実践したことが、同時代では例外的な長命を得たと考えて差し支えないだろう。露伴道教関連の漢籍への通暁を通じて、神秘へ達したのだった。

かと思うと、家事万端にも一家言を持っていて、娘の幸田文を「生活学校」教師として指導し、化粧にまで口を出しただとか、鏡の前で気取っている奴には「(食べるのが難しい)トリ貝を食べさせてやりたい」といって気さくに笑っただとか、幸田露伴には当時一流の知識人としての堅苦しさがまったくなく、伸び伸びとした多面的な面白さがあって、魅かれてしまう。

ただし、トリ貝も料理の仕方によっては決して食べにくい貝ではなく、味も濃すぎないので、冒頭で話したペスカトーレに入れたってかまわないと思う。ペスカトーレは有名なパスタメニューの一つで、その語源は「漁師」だ。 

3.11以前から、海産物の汚染、中でも食物連鎖を通して生体濃縮が進むマグロなどについて、化学物質の汚染があることが警告されてきた。漁業従事者たちにとっては、頭の痛い話だと思う。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjh/71/3/71_236/_pdf

2016年に発表されたこの医学論文でも、ある種のマグロの水銀濃度が毎年3.8%ずつ上昇していると推定できるので、妊婦や子供の摂取を控えるようアナウンスすべきであることが報告されている。太平洋が以前から汚染が進んでいたのは事実だ。

そこへ、3.11以降の福島第一原発事故による汚染水垂れ流し。彼の言う「アンダーコントロール」とは、管理過剰を表す「オーバーコントロール」の反対、つまりは「ほとんど管理しない不作為」を意味しているのにちがいない。その「不作為」は、今も着実に太平洋を殺しつつある。

戦争に出征して、上官から捕虜の刺殺を命じられた男は刺殺には至らなかったのに、戦後BC級戦犯として訴追され、冤罪で死刑に処せられた。あの有名なドラマは、かなりの部分が実話に基づいている。

戦争に巻き込まれ、戦後死刑囚となった理髪店主は、「生まれ変わったら人ではなく貝になりたい」という言葉を臓腑から絞り出した。

戦争にまだ完全には巻き込まれていない私たちには、残された時間、「口を閉ざした貝」にならずに生きる生き方があると思う。真実に目覚めた私たちは、もはや物言わぬ sheeple ではないのだから。

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