Stick to Our Faith


この記事を「少年時代に天沢退二郎の「60年代詩」を愛誦した人間が、自分以外にいるのかどうかは知らない」と書きだしたが、知らないわけでもないことに思い至った。

清水昶の出版物としての処女詩集『長いのど』「闇に浮くジャズ」には、初期天沢退二郎北園克衛の影が差しているのが見てとれる。

午後の空地に糸を垂らし舌を吊るす 風もないのに吹き寄せてくるジャズにあたって疼く舌 うようよ逃げる海藻のような神経をずるずる抜き出し魚のように長い思想を何本も引きずって裏町に去っていく生臭いジャズ そのあとの闇に浮きでるおんなの唇 からもれて光るジャズの流れにぼくは(…)

「舌」「吊るす」「ずるずる引きずって」は初期天沢退二郎の語彙に近く、「おんなの唇」の後の改行に似た切断の仕方が北園克衛に似ている。 その直感は次の傑作詩集『少年』で確信に変わる。『少年』の一部にとうとう「抽象的な髭」が生えるのである。

ここは純喫茶男爵だから

美しい観念の髭をはやしてわたしは

のど首をつたう欲望をねくたいでしめ

にがい精神をまっすぐ胸中に垂らしている 

 名詞で改行してそこで体言止めとなっていると思いきや、次行で止まらずに続いていることがわかる修辞法、略して「体言止めフェイント」と「抽象的な髭」は北園克衛のこの詩で目撃できる。


の三角
の髭

ガラス


の三角
の馬

パラソル

 そして、より深かった初期天沢退二郎からの影響はというと、噛み砕かれ、咀嚼されて、清水昶自身のものに昇華されている。天沢が現代詩マシーンのような高速のイメージの明滅で「芸術上の革命」を成し遂げたとすれば、清水の詩編には、消しがたく少年自らの足でのオーガニックな全力疾走があり、現実上の左翼革命のイメージや青年の肉体の存在感をどうしても捨象しきれていない。アジビラの一句のごとく「ついに一語の/凶弾となれ!」と咆哮したものの、詩編全編には青春期のヒロイズムと倨傲と苦悩と弱さが同居していて、その瑞々しい痛ましさに、却って魅かれてしまう。この詩集の最高到達点はやはり「眼と銃口」だろうか。

熟した未婚から顔をあげるわたしは

奢れる雪に凍えるまぼろしの党員となり

銃眼に火の眼をこめて失速した日を狙う

ゆらめく敵は人間ではなく

人影のようにざわめくかん木の林であり

遠い夏にねばるあなたをおしひらきわたしは

バラや野苺の棘に素足を裂いて

荒れた胸でささくれる怒りを踏みしめ

明後日へと深い林を遊撃する

用心しようわたしも死ぬのだ

水の笑いに老いた父のようにではなく

遊撃をゆるめた脚ではねる鉄の罠に噛まれ

血潮のめぐる空の下あなたの愛を

ナイフのようにわが冷肉につきたてたまま

死ぬならば

神無月の朝に死ぬ

 このような青年らしい瑞々しさから、数十年の年月を経て、清水昶が最終的に俳句へと向かったことを、この記事に教えられた。

わたしの聞いた清水の最後の言葉は「こんなにひどい時代はないよ」だった。戦後史をそのまま歩いてきた人が、今が一番ひどいと言う。その言葉の重さに驚きながら、電話口で絶句していると、「ま、ミネルバの梟は夕暮れに飛び立つ、ということさ」と続けたのである。「六道に死して桃源の鬼となる」この辞世とも取れる句を読んだとき、清水のこの言葉が鮮明によみがえってきた。実に激しい否定の句であるが、この鬼は、よく考え、よく笑う心優しい鬼でもあった。

この追悼記事で、亡くなる直前の詩人が時代への絶望を語っていたという事実にも心を動かされたが、この記事で採られている俳句が、どれも現代詩らしい高い言葉の抽象度を備えた秀句であることにも感動した。

 芸術となるべき表現衝動は、それが生き現れるためなら、ジャンルを選ばない

 とは誰の言葉だっただろうか。正直にいうと、実はいま自分が考えて書いた言葉なのだが、この種の越境型の思考法には、差異の巨人ドゥルーズからの反響がないではない。芸術表現が何よりも生成することに意味があるとするなら、社会機械からのインターフェイスであるどのメディウムと接続しても、自らを差異化して生成変化するはずだ。

しばしば「時を越えて同一物が繰り返し回帰する」とされるニーチェ流の永劫回帰の概念を、ドゥルーズは恐るべき力でねじ伏せて転倒して見せる。時を越えて回帰するのは、差異化して生成するという同一過程だけであり、一度きりの固有の独創物は永劫回帰の循環の遠心力で吹き飛ばされてしまうというのだ。

このような「永劫回帰が生成変化しうるものだけを回帰させる」とするドゥルーズ流の永遠の差異の哲学の前で、自己の独創、権威、金に執着して右顧左眄する凡庸な書き手たちは、すっかり霞んでほとんど見えなくなってしまう。彼らとは遠く離れた高みにいたベケット安部公房のような世界水準の文学者たちが、晩年に多メディア適応性を発達させたことには、さらなる注目が必要だろう。

 清水昶による現代詩から俳句への生成変化を上で見た。お、これは、現代詩が音楽に生成変化した曲ではと、直感が働いて、宝達奈巳のCDを購入したことがある。 

ネット上に手元にも音源がないので、またしても記憶だけで話すと、五曲目の「朝・光・雨・夢」という曲は、一語一語の言葉の響きを何度も声に出しているうちに、例えば「朝→朝日→光」のように生成変化していく前衛的な楽曲だった。確か音大卒のアーティストのデビュー作ではなかっただろうか。

検索すると、現在の音楽性はかなり変化していて、デビュー作にあるように感じられた現代詩的な抽象性は、シャーマンの声の持ち主ともされる宝達奈巳による「言霊」の呼び出しだったのかもしれない、とも感じさせる。HPにはこんな逸話が紹介されている。

「おまえが光となり皆を照らすのだ。そのために燃えよ。燃え尽きるまで光り輝け!」

 … これは昔私が闇の中で絶望していた時に聴こえてきた言葉です。低い落ち着いた男声でした。
これにより私は自分の宿命及びずっと探し求めていた究極の答えーつまり、宇宙と生命の謎を紐解くに至ったのです。

 HPで見たパートナーのkouは、奈良時代に伝わった「笙」という管楽器を操る演奏家らしい。その名前をどこかで見たことがあると感じて、検索したら、別人だった。

日本の伝統楽器「箏」を自在に操るkouは女性で、この人も音大卒。『月宵』というグループで、和楽器エレクトロニカエレキギターの交錯する前衛ロックをリリースしている。

このブログの初エントリで、自分がどこか敗戦前の日本との宿命的なつながりを感じると書いた部分が想起される。

そうでなければ、容易には分け入っていくことはできないと知りつつも、日本の古典的文芸の数々や、「日本の神々」について記された超宗教的な言語群へ、ほとんど悲痛なまでの執拗さで、自分が繰り返し惹かれてしまう理由がわからなくなる。

音楽の世界で、音楽的基礎教養を固めたアーティストが、古典へと遊撃的にアクセスして、興趣の深いサウンド作りを楽しんでいるのが、何だかとても羨ましい。純文学界では、次代の担い手たるべき新人作家たちは、戦前の文学どころか現在出版されつつある大江健三郎すらまともに読んでいないらしい。この蔽いがたい落差は何に拠るのか。

「月宵」のサウンド面でのリーダーは、キーボディストのTetsuだと思われる。実は自分は毎晩、彼の生み出した音楽で眠りについている。元々繊細で神経質なところがあるので、普通なら音が鳴っていると就眠や眠りの質に悪影響が出てしまうのに、このヒーリング・ミュージックだけは、不思議なくらいほっとさせる安眠へ導いてくれる。

聞くだけで眠りが変わるソルフェジオ周波数睡眠ブック

聞くだけで眠りが変わるソルフェジオ周波数睡眠ブック

 

 いささかの歪曲も捏造もなしに告白すると、初めてこの音楽を聞いて眠った翌朝、信じがたいことに、自分にも神の言葉が降りてきた。上記のシャーマンのような明確なセンテンスではなく、たったひとことではあったものの、低い男性の声だったのは同じ。

その男性の声は「cadeau」というひとことを、半睡半醒でぼんやりと自宅の廊下を歩いている私に投げかけてくれた。その「cadeau」の一語が、その前日の経緯も含めて、どれほどの重層性を備えていたかは、残念ながらここには書けない。しかし、つい先日も同じような体験をしたことは、ここに書いた。

自分はシャーマンではないので、神の言葉が降りてくることはめったにないが、あの入眠用のCDを聞いて眠った朝は、明らかに頭が軽く、脳の中がすっきりとしているのが感じられる。少なくとも、それだけは間違いないと断言できる。

その劇的とも感じられる「快復」の秘密は、おそらく「DNAの傷を修復するともいわれる」ソルフェジオ周波数にあるのだろう。

このソルフェジオ周波数には、人を暗澹たる気持ちにさせる悪魔的な弾圧の歴史がある。ジョン・レノンを始め、音楽家は直感的にほぼ確実にソルフェジオ周波数を支持するらしいが、その身体的効果そのものの科学的測定は難しい。しかし、世界的な弾圧の歴史が史実として残っているからこそ、そこに人々の心身の利益が隠れているとするという推測は、かなり有力だ。そもそも、1%軍産ー金融複合体の非音楽家たちが、大勢の音楽家たちの反対を押し切って、独自の世界標準を作らねばならない理由を、他に求めることは難しいからだ。

人民をエンパワーするソルフェジオ周波数を禁じて、軍産複合体を潤す戦意高揚に適した周波数を研究して、人々を音楽でも支配しようとしたのは、両大戦間のアメリカ海軍と1%グローバリストだった。音楽を大衆支配の道具にすることに反対した研究者ハンス・アイスラーは、フーバー時代のFBIに尾け回されて、最終的に国外退去処分を受けたのだそうだ。そして、アメリカ発の平均律A=440Hz(ソルフェジオ周波数と調和するのはA=444Hz)は、ナチス・ドイツの推奨や陰での国際銀行家たちの金の力によって、数多くの音楽家たちの反対にもかかわらず、「国際平均律」となったのである。

おそらくこの分野唯一の書物だろう下記の著書は、複雑な数秘術や音楽上の専門用語の多さによって、その真価を見えづらくしているが、これらの史実をを記述した第4章だけでも読む価値があるだろう。

ジョン・レノンを殺した凶気の調律A=440Hz 人間をコントロールする「国際標準音」に隠された謀略() (超知ライブラリー 73)

ジョン・レノンを殺した凶気の調律A=440Hz 人間をコントロールする「国際標準音」に隠された謀略() (超知ライブラリー 73)

 

 2011年に亡くなった1940年生まれの清水昶は、戦後史の長い実体験の果てに、「今ほどひどい時代はない」と呟いて、日本の詩壇から消えた。少なくともそれだけは間違いないと断言できるのは、2011年以降、この国が暗い谷底へ転がり落ちるように凋落しつつあることだ。いろいろと読書をしたり、調べ物をしたりしてきた自分にも、もうどうしていいかわからないと感じて、感情的な沈滞の中にスタックしてしまうこともある。

そんなときは、想像力をうまく使って、状況を現在形や未来形で考えてみよう。stuck の現在形は stick 。当然のことながら、未来形は will stick 。正当な理由なく自分が課されている現在の苦役から解放されて、Stick to Our Faith(自分たちの信念を貫け)と心内で呟きながら、最初に再訪したいのは、このソルフェジオ周波数のCDを企画立案した霊能者のところだ。飛鳥時代から1300年続く霊能者一族の当代。数回鑑定を受けた身として、先生が本物であることは間違いないと強く確信している。

早く解放されて時間を作って、いろいろとご高説を拝聴できるようにならないだろうか。許可を得られた情報のうち有用なものは、ここでどんどん公開してネット上の「覚醒民」と共有したい。

最初にお伺いしたいのは、御嶽山が噴火したときに、どのような勢力が、どのような意図で、無残にもあの仏像の首を切り落としたか、になりそう。今からその答えが楽しみでしょうがない。

 

 

(8/19分)

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