文芸批評草稿(1)

1.犬たちが吠えやまない夜

 犬たちが吠えている。この国を浸してきた無数の夜々のうち、最も新しい夜の闇の中でも、犬の吠え声が依然として執拗に響き渡っている。言語には分節しがたいその暗い吠え声を、かつてブランショは「窮極の言葉」と呼び、それが「存在する」を表すフランス語の構文 Il y aのように聞こえる、と或る小説中に唐突に記したことがある。いや、その不意の言及はおそらく、同時代を生きたレヴィナスの初期鍵概念 Il y a への思想的共鳴を示していたのだろうが、ここではあれら言葉ならざる犬の吠え声が、この国に存在することの核を貫通する「窮極の言葉」たりうる可能性を耳朶の奥で意識するのみに留めて、文芸批評の光がほぼ途絶えたらしきこの国の夜を批評(たび)していくことにしよう。
 無論、この夜の旅は処女地ならざる或る領土を行くのだから、行く先には、先んじて複数の足跡の交錯が刻まれている。例えば、90年代に柄谷行人が刻んだ明治昭和平行説の一見奇矯に見える足跡には、目を止めずにはいられない。柄谷は、明治と昭和の年表を平行させて対比したときに誰の目にも見てとれる瞠目すべき暗合(その最たる例は、明治45年の乃木将軍殉死と昭和45年の三島由紀夫割腹自殺だろう)を手がかりに、「国権」対「民権」と「西洋」対「アジア」の2軸で作る4象限上で、昭和の問題系が明治の問題系を<反復>していること、「転向」と呼ばれるものすべてがこの4象限の循環的移動にすぎないことを鮮やかな手際で示した。この明治昭和平行説を引き継ぐ形で、大澤真幸は、まず、第二次世界大戦オウム真理教提唱の世界最終戦争、次に、2・26事件+大本教弾圧事件⇔オウム真理教事件、という2(ツー)ペアを歴史から取り出して、後者が前者を<反復>しているだけでなく、前者と後者の間隔がともにほぼ60年であるという暗合に、戦後思想を把握し直すのに好適な非ヘーゲル的視点を見出した*3。
 二人の言を引くまでもなく、もとより歴史は反復する。ただし、今ここで生成しつつある言葉を文芸批評たらしめようとするなら、柄谷の「元号」や大澤の「60年」のような時代区分論的観点よりも、(たとえそれらが一種の禁忌に属しているせいで、通説(ドクサ)上では忌避されるものだとしても)、より果敢に主題論的観点から言及されるべき<反復>が、日本の近現代史上に脈々と生き延びつづけていると言わねばならない。
 試みに、大澤の着眼を始点に置いて、それらをただひたすら列挙してみよう。
 1.二・二六事件(昭和 年)と大本教弾圧事件(この二者は北一輝を媒介に連結可能)
 2.天皇ファシズム第二次世界大戦
 3.浅沼刺殺事件
 4.嶋中事件
 5.「政治少年死す」出版不能事件
 6.三島由紀夫割腹事件
 7.オウム真理教
 それらの渦中で絶たれるべきでないのに絶たれた生命のあまりの夥しを思えば、日本人がなぜこれらの「屍を越え」なければならなかったのかを問いたくもなるが、それより先に、それらが何であるのかを見極めることとしよう。一見したところ乱雑で恣意的な抽出に見えるそれらのリストに目を凝らせば、日本の近現代史上で、或る3つの主題の連関が、異様な執拗さで反復されてきたことを、人は悟らずにはいられないだろう。すなわち、以下の3概念。カルト、ファシズム、テロル。
 この3連関がなぜ今ここで批評されねばならないのか。いやそれを問うより先に、日本の文芸批評がなぜこれまでこの3連関への批評的言及を忌避してきたのかをこそ、疑問に付すべきかもしれない。なにしろ、日本の近現代史上に不吉な夜々を生み出してきたこの忌まわしい3連関に、切り離そうにも切り離せない密接な結合ぶりで、他のいかなる文化的事象よりも「日本純文学」が独占的に愛されてきた事実があるからである。
 その歴史的事実を確認するには、簡潔な再列挙だけで十分だろう。二・二六事件を描いた三島由紀夫憂国』(1.)、三島の『英霊の声』(2.)、浅沼刺殺事件に材を採った大江健三郎「セブンティーン」(3.)、嶋中事件を引き起こした深沢七郎『風流夢譚』(4.)、「セヴンティーン」の続編で右翼の脅迫を恐れて出版不能となった「政治少年死す」(5.)、三島由紀夫豊饒の海』(6.)、村上春樹アンダーグラウンド』(7.)
 すると、ここですでに死んでいたのは、やはり、日本の近現代史の「夜」を現出させた日本論的「固有特質」に最も密接に相交わっていた日本純文学の核心を、みすみす看過してきたか、それを知りつつも貝のように口を噤んできた日本の文芸批評だったのではないのだろうか、という問いが、多くの人々の心にありありと浮かんでくることだろうが、もはや贅言は慎もう。いずれにしろ、私たちが旅立つべき今、口にする合言葉は決まったのだから。「その屍を越えよ」。

文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論 (流動する人文学)

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