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メキシコ帰りの魅死魔幽鬼夫

あれからもう10年以上が過ぎたのか、と思わず溜息が洩れてしまうが、溜息であれ何であれ、呼吸しつづけて生き延びる最低限の義務は果たしてきたので、次の一呼吸をふっと吐いて、2005年に自分がこんな言葉を吐いた記録が残っていると書き始めることにする。

と云っても、自分も1970年以後に生まれた人間の一人であり、十代の終わりにミシマを耽読するうちに、いつのまにか伝記的事実を携えたままテクストへ分け入ってしまい、そこで掘り当てた幾筋かの鉱脈を記すことによって、いつか三島研究に新しい一頁を書き加えることができるだろうと夢想した子供らしい過去を持ってもいる。

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最近にさらに一歩踏み込んで、その「新しい一頁」についてこう書いた。

 自分は19歳で三島由紀夫全集を読破するという風変わりな少年時代を送った。世に無数にある三島論のおおよそに目を通すうちに、文芸評論家の無理解に晒されて、論じ残されている空白の重要論点が4つあるのではないかと、20代の頃から考えてきた。

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この4つの空白について、簡単なデッサンを示したほうがいいとの声が聞こえたような気がしたので、取り急ぎ今日の午前中に図書館へ行って、関係書を借りてきた。

4つの空白とは、押韻された「女という禁忌」の系譜、日本浪漫派への晩年の急接近、エロスとタナトスの結合を生んだメキシコ転回、ジュネ的単性生殖。

前者2つについては、上記のリンク先ですでに簡単な素描を描いた。後者2つについても、あの三島のことだから、誰かが先に書いていてもおかしくない、というか、誰かが先に書いていないのはおかしいほど、関連図式は明確に作品群に露出している。それらを読み取るには、単に、作家の人生上の実録と作品群の発表時期を突き合わせて、作者の人生の反映を作品に読み取ればよく、19世紀的批評方法を選び取ろうとする自分の時代錯誤な鈍感さを、甘やかしてやる寛容さがあれば尚よい。

リストはさほど長くない。

1953年 『ジャン・ジュネ論』

1955年 吉岡実『静物』私家版頒布

1957年 ニューヨークやメキシコを回った海外旅行

1959年 『鏡子の家

1960年 『熱帯樹』、「愛の処刑」

1961年 「憂国」、『獣の戯れ』

半世紀前、海外旅行はごく少数の日本人だけが可能だった一大事だった。ニューヨークで隆盛を極めていたミュージカルを日本に紹介したのも、三島が最初だったらしい。初めての世界一周旅行では、「世界的見聞が作家をいかに変えたか」という国民的期待に応えて、三島は律儀に「ギリシア転回」を宣言して、ダフニスとクロエを日本に移植した『潮騒』を世に送り出した。

二度目の世界一周旅行では、しかし、出国前と帰国後の三島の大きな変容に注目した人々は少なかったようだ。その変容を「メキシコ転回」と名付けて、それが「熱帯×エロス×タナトス」という掛け算に要約できそうだと予告しておこうか。

といっても、メキシコの紀行文『旅の絵本』の冒頭から、三島はその掛け算をしか語っていない。

熱帯と死の情緒とは、私のいつに渝らぬ主題であるけれど、どうしてこの二つが緊密に私の中で結びついてしまったのかわからない。

 「熱帯」という主題は、その数行後で「夏」という別の語で変奏される。

トルテックの「死の神殿」が、圧えつけるようなすさまじい夏の日光の下に草蒸しているのを見たとき、私はこのような夏のさかりにこれを見たことに喜びを感じた。

サルトルの嘔吐、レヴィナスの嘔吐、セリーヌの嘔吐、大江の嘔吐。どういうわけか世界の作家は嘔吐をそれぞれ独創的に主題化することに注力してきたが、三島の嘔吐はこれだ。

熱帯における死がどんなものであるか私にはおぼろげながらわかるような気がする。元気なとき、ハイチの首府ポートオ・ブランスの風光は私を喜ばせていた。しかし一度病んで身を動かすのも物憂くなると、リヴィエラ・ホテルのあらゆるたぐいの熱帯植物が繁茂している庭の眺めに嘔吐を催した。(…)そのとき私はこれら植物や動物の、旺んないやらしい自然の生命力に圧倒されかかっている自分を感じた。もし私がそこで死ぬとしても、死ぬときも多分同じことにちがいない。それは死に押し倒されると感じることではなくて、無意味な過度のいやらしい生命力に押し倒されると感じることにちがいない。

「熱帯×タナトス」の掛け算はやすやすと見えるが、そこに掛かってくるはずのエロスを見失って辺りを見回している人には、その8年前に書かれた出世作仮面の告白』の「私」が、早熟な同級生男子に性的興奮を覚える場面を想起してほしい。文体には洗練を欠いた執拗さがあるが、そこで反復されている「夏」のイメージも同じなら、語られている主題も同じだ。

 彼のむき出された腋窩に見られる豊穣な毛が、彼らを驚かしたのである。それほどおびただしい、殆ど不必要かと思われるくらいの・いわば煩多な夏草のしげりのような毛がそこにあるのを、おそらく少年たちははじめてみたのである。あれは夏の雑草が庭を覆いつくしてまだ足りずに、石の階段にまでおい上ってくるように、近江の深く掘り込まれた腋窩をあふれて、胸の両脇へまで生い茂っていた。(…)生命力、ただ生命力の無益な夥しさが少年たちを圧伏したのであった。生命のなかにある過度な感じ、暴力的な、全く生命それ自身のためとしか説明のつかない無目的な感じ、一種不快なよそよそしい充溢がかれらを圧倒した。ひとつの生命が彼自身のしらぬまに近江の肉体へ忍び入り、彼を占領し、彼を突き破り、彼からあふれ出で、間がな隙がな彼を凌駕しようとたくらんでいた。生命というものはこの点で病気に似ていた。荒々しい生命に蝕まれた彼の肉体は、伝染を恐れぬ狂おしい献身のためにだけ、この世におかれているものだった。 

 これで掛け算の数式は完成した。 このメキシコ転回という掛け算の構造が、メキシコ訪問後の三島の作家人生において、上記にリストアップした代表作を勢いよく産出していくことになる。

まずは『鏡子の家』から。個人を書いた不朽の金字塔『金閣寺』の後、時代を書いた渾身の大作『鏡子の家』が世に不評をもって迎えられたことを、三島はひどく嘆いていた。作家論的評者が好んで引用するのが、大島渚との対談で洩れた珍しい弱音。

鏡子の家」でね、僕そんなこというと恥だけど、あれで皆に非常に解ってほしかったんですよ。それで、自分はいま川の中に赤ん坊を捨てようとしていると、皆とめないのかというんで橋の上に立ってるんですよ。誰もとめに来てくれなかった。それで絶望して川の中に赤ん坊投げこんでそれでもうおしまいですよ、僕はもう。あれはすんだことだ。まだ、逮捕されない。だから今度は逮捕されるようにいろいろやってるんですよ。しかし、その時の文壇の冷たさってなかったんですよ。僕が赤ん坊捨てようとしてるのに誰もふり向きもしなかった。

この「赤ん坊」が何の暗喩なのかが、作家論的立場に立つ評者たちによって取り沙汰されることが多い。 曰く、赤ん坊の無垢に通じる作中の「夏雄」的な芸術家の立場であるとか、さらに雑駁には三島自身であるとか。「作者の肉声」が作品にどのように反映されているのかを金科玉条視するなら、肉声の反映をもっと丁寧に読み取った方がいいだろう。

 『鏡子の家』では、「鏡」をなす鏡子の家に屯する4人の若者たちが、失寵に見舞われるかのように人生の道を踏み外して、次々に転落していく。

ボクサーの峻吉は、チャンピオンに輝いたものの、つまらない喧嘩で拳を粉砕骨折してボクサーを廃業し、右翼の活動家へ転身する。

美貌の演劇青年だった収は、ボディビルで美しい肉体を手に入れたが、その肉体に刃物で傷をつけたがる醜い高利貸しに恋をして、心中してしまう。

世界の破滅を信じて疑わない清一郎は、そのニヒリズムが嵩じれば嵩じるほど現実世界での栄達に預かるが、栄転先のニューヨークで妻がバイセクシャルと姦通してコキュとなる。

将来を嘱望されていた新進画家の夏雄は、神秘に囚われて食事も通らないようなスランプに陥るが、小説の終章で何とか回復する。

まるでかくれんぼでもして、戦後の繁栄の無機質な輝きから故意に遠ざかろうとするように、4人全員が暗がりの方へ、死に近い領域へと吸い寄せられる。夏雄は回復したのではなかったか? 夏雄は自分の人生の行き先をこう説明していた。

「メキシコへ行くんだ。(…)日本画家も、ああいうギラギラした色彩の国へ行くほうがいい、美術館より自然のほうがいい先生だ、って、これは僕の考え出したことなんだよ」 

夏雄は「熱帯×エロス×タナトス」の答えを探しに、メキシコへ旅立つのである。

 先の対談で三島は「いま川の中に赤ん坊を捨てようとしていると、皆とめないのかというんで橋の上に立ってるんですよ」と『鏡子の家』を寓意的に語っている。有名な幕切れの場面は「捨てるか捨てないか」の問いを宙吊りにしたオープン・エンディングなのである。

 玄関の扉があいた。ついで客間のドアが、おそろしい勢いで開け放たれた。その勢いにおおどろいて、思わず鏡子はドアのほうへ振向いた。

 七疋のシェパードとグレートデンが、一度きに鎖を解かれて、ドアから一斉に駆け入ってきた。あたりは犬の咆哮にとどろき、ひろい客間はたちまち犬の匂いに充たされた。 

 これがオープン・エンディングであることを理解するには、鏡子が、ニヒリズムに吸着されて暗い領域へ引き寄せられた男4人とは、対蹠的な生き方を選んだことを読み取らねばならない。小説の終わり際で、鏡子は夏雄にこんな長広舌を披露する。

「人生という邪教、それは飛切りの邪教だわ。私はそれを信じることにしたの。生きようとしないで生きること。現在という首なしの馬にまたがって走ること、……そんなことは恐ろしいことのように思えたけれど、邪教を信じてみればわけもないのよ。(…)くりかえし、単調、退屈、……そういうものはどんな冒険よりも、長い時間酔わせてくれるお酒だわ。もう目を覚まさなければいいんです。できるだけ永く酔えることが第一。そうすればお酒の銘柄になんぞに文句を言うことがあって?」

「内在」と「超越」でいえば、男4人たちは「超越」に吸い寄せられて四散した。女の鏡子だけが「内在」の領域にとどまって、「邪教」と知りつつも虚妄の戦後を受け入れ、目を瞑って生きることを選んだのである。

 そんな折り、海の向こうで戦争が始まる。別居状態だった鏡子の夫は、戦争が始まった途端「無気力を排して」朝鮮戦争で一儲けして、「鏡子の家」へ戻ってくるのである。あの「犬たちをつれて」。

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三島由紀夫と親交の深かった「エロティシズムの大家」澁澤龍彦は、三島のセクシュアリティのありようを「道徳的マゾヒズム」と分析した。澁澤龍彦はまた、吉岡実を高く評価してもいて、彼の戦後初の詩集『静物』(「犬の肖像」所収)は、私家版のみの発行だったものの、澁澤を経由して三島の目に触れた可能性が高い。あの「七疋のシェパードとグレートデン」は物言わぬ戦死者たちの暗喩だろう。そう考えなければ、作者が語ったような両極の間を揺れるオープン・エンディングが成立しない。

「人生という名の邪教」を信じた新参の戦後肯定論者が、戦死者として帰ってきた犬たちへ振り向いて対峙する。そのコントラストの妙をもって、小説は終わる。「捨てるか捨てないか」の宙づり状態にあった対談中の「赤ん坊」は、戦中派のニヒリズムとは対極にあった「戦後を信じて<内在>を生き延びる人生」だったと言うべきだろう。

小説の幕切れで戦死者として帰ってきた「犬」が、澁澤龍彦による「道徳的マゾヒズム」という称号を裏書きするかのように、三島によって「受苦」のイメージと結びつけられていることにも注意しなければならない。

鏡子にはふしぎな確信があった。道で夫婦連れや恋人同士とすれちがう。男のほうが鏡子に一瞥を投げる。すると鏡子は、男が本当は自分の妻や女よりもずっと鏡子を欲していながら、我慢しているのだということを痛いほど感じる。すべての男の、我慢している目つきが鏡子は好きであった。良人はこの目つきを持っていなかった。そればかりではない。良人のほうにも同種の嗜好があって、ただ我慢している目つきを愛したがために、あれほど沢山の犬を愛したのかもしれない。おお! それを考えるだけで身ぶるいする。そんな想像をしてみるだけでも身ぶるいする。

とうとう「犬」という記号を媒介に、「死」と「受苦」と「道徳的マゾヒズム」が結びついてしまった。その先に、天皇であれ、美少年であれ、絶対的な対象への或る倫理的決断として、主人公が切腹するに至る『憂国』と匿名ポルノ「愛の処刑」があることは、もはや動かしがたい支配的な読みといっていいだろう。

さて、メキシコ転回の話だった。あれ以後、「熱帯×エロス×タナトス」の数式から生まれた熱帯植物が、作品群を横断する形でその蔓を伸ばして繁茂しているさまがうかがえる。『鏡子の家』では夏雄の旅先の「ギラギラした色彩の国の自然」として予告編のようにその片鱗を見せたかと思うと、『熱帯樹』では近親相姦だらけの破滅的な家族劇を司るかのようにその中心にいやらしく聳え立ち、『獣の戯れ』では伊豆に温室まで用意させて鮮やかに生い茂って見せた。

『獣の戯れ』。不思議な読後感を残すこの異色の小説については、その独特の静謐が「能」に由来することをここで語った。

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しかし、この小説から能の影響を差し引いて眺めると、その独特の佇まいが、どのような西洋的構造によって練り上げられたものかが見えてくるはずだ。『獣の戯れ』は、能の「求塚」のように、必ずしも一人の女を二人の男が取り合う話ではないのである。

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ここに書いた近代のアポリアについての、最初の誘導問題を思い出してほしい。「①私が私を書くとき、書かれる私が他者になってしまうのはどうしてなのか?」

「最後の一行が決まらないと書き出せない」を口癖にしていた意識家の三島は、その小説技能の高さが逆に災いして、「書く私」と「書かれる私」の不可避の分裂に無自覚な楽天的芸術家だったと過小評価されることが多い。しかし、それは誤答だ。

29歳の三島は、ジャン・ジュネ論の一隅で、上記の誘導問題に言及し、あっと声が出てしまうような独創的な解答まで提出している。

ボオドレエルが、死刑囚たり死刑執行人たる兼任を自覚したとき、彼は表現という行為がいづれは陥る相対性の地獄を予知していた。そしていづれは、表現のかかる自殺行為が、表現乃至は芸術行為を救済する唯一の方途になるであろう逆説的な時代を予感していた。

あの近代のアポリアを「相対性の地獄」として見据えた上で、三島はジュネ的な「単性生殖」のみが、その地獄をくぐり抜けられる魔術なのだと豪語する。再読して、これを29歳の若さで書いていたのか、という驚きが強い。まるで45歳で切腹するまでの三島の芸術家人生の透視図のようだ。詳細な言及は別の機会に譲って、結論を急ごう。

ボードレ―ルの「死刑囚であり、且つ死刑執行人であること」という一片の詩句が、2つの三島的なものを生成したのを、私たちはすでに知っている。

1つは『獣の戯れ』。最終的に夫の逸平を殺した罪で、妻の不倫相手の幸二は死刑囚となるが、主題論上では、逸平が「精神」を受け持ち、幸二は「肉体」を受け持っているので、二人は同一存在だ。「死刑囚であり、且つ死刑執行人であること」のこれ以上ない直叙的なプロット化が完成されている。

もう1つは『憂国』。道徳的マゾヒズムによって、絶対者から降りてきたと想定する倫理違反による罪を、切腹という受苦をもって応えるのである。「死刑宣告」が自らによってなされているのが特徴的だ。そうでなければ「死刑囚であり、且つ死刑執行人であること」へ到達しないからである。

文化の本当の肉体的浸透力とは、表現不可能な領域をしてすら、おのづから表現の形態をとらしめる、そういう力なのだ。世界を裏返しにしてみせ、所与の存在が、ことごとく表現力を以て歩み出すことなのだ。

三島はそのようにジュネの世界創造の異能の力を称えた後、創造の原動力が性欲であるジュネが、彼の世界にどんな物象を生み出しているかを紹介する。

……私はその頃、今述べたような精神の贅沢極まる超脱の結果、針金に一つだけ棄て置かれてあった洗濯挟みを見た時、或る絶対的な認識について啓示を受けたと思ったのだった。この誰でも知っている小さな物品の優雅さと奇異さが、わたしを少しも驚かさずに、わたしに顕われたのだった。

(強調部分は本文では傍点)

三島は『獣の戯れ』で、性欲よりも死への誘惑に近い場所に立って、洗濯挟みに対抗して、スパナとサンダルで応戦している。

幸二はあの晩、浦安の森に置いてきた彼の下駄と喜美のサンダルを思い出した。あれはぞんざいに脱ぎちらしてきたので、心中の場面に残された履物とまちがえられることはないだろう。上げ潮があれをそっくり水に浮べ、引き潮が外洋へ運び出してくれればいいが、さもなければ、下駄とサンダルは廃船のように、水に半ば浸されたままに朽ちるだろう。やがてそれは隈なく蝕まれて、船虫の棲家になるだろう。それは下駄でもサンダルでもなくなり……、一度は人間に属してもう人間のものではなくなった、この地上の不気味な不定形な物象の大群のなかへ融け入ってしまうであろう。

そして一度目の傷害事件で逸平を失語症へ追いやったスパナには、姦通小説の凶器には似つかわしくない哲学的言辞が連ねられる。

幸二はのちのち刑務所の中で、何度となくこの瞬間の発見について考えた。スパナはただそこに落ちていたのではなく、この世界への突然の物象の顕現だった。(…)われわれの意志ではなくて、「何か」の意志と呼ぶべきものがあるとすれば、それが物象として現れてもふしぎはないのだ。その意志は平坦な日常の秩序をくつがえしながら、もっと強力で、統一的で、ひしめく必然に満ちた「彼ら」の秩序へ、瞬時にしてわれわれを組み入れようと狙っており、ふだんは見えない姿で注視していながら、もっとも大切な瞬間に、突然、物象の姿で顕現するのだ。

「平坦な日常の秩序をくつがえしながら」という部分に注目してほしい。ここで「「何か」の意志」とされているのは、「神の意志」ではなく「死の意志」なのである。だからこそ、この小説は死者の踊りである能をその台座に戴いているのである。

描き入れるべき空白はもうあまり残されていない。メキシコ転回以後の三島ミスティシズムのデッサンはまもなく終わる。最後に描き入れておきたいのは、『獣の戯れ』の主人公の人生を変容させたものが、事件を起こした凶器以外にもう一つあり、それが太陽であることだ。

第一章の冒頭を飾る下記の印象的な日光は、やがて出所後の主人公の差別的な肌の白さを消して、第五章で前近代的な共同体へ融け入ることを彼に許す。

渡り廊下にあざやかに落ちた日の光、と幸二は考える。あれは浴場へ行く渡り廊下の窓ごしに、一枚の白い光沢紙を展げたように落ちていた。彼はそれを愛していた、つつましく、熱烈に。どうしてあんな窓から落ちている日影が好きだったのかわからない。あれは恩寵であり、実に聖らかで、しかも切り落とされた幼児の白い体のように寸断されていたのである。

サンダル、スパナ、日光と並べて、そのどれもに、心中、死の意志、幼児切断と、死の表象が混入していることに今更驚いてしまうが、真に驚かねばならないのは、29歳の時に書いた「ジャン・ジュネ論」という透視図の上に、偶発的に遭遇した「メキシコ転回」が重なり、今やデッサンの紙幅が尽きた先へ、まだ伸びている確固たる描線が確認できることだろう。

スパナは鉄製だ。つまり、三島哲学の最高到達点を示す『太陽と鉄』。

二度目の世界旅行へ出かけて、ニューヨークやメキシコを歴訪して帰国したとき、日本に降り立ったのは三島由紀夫ではなく、のちに自らの筆名を当て字で読み替えた「魅死魔幽鬼夫」だったにちがいない。「熱帯×エロス×タナトス」の暫定的な解答として、そんな言葉を解答欄に書きつけておきたい。

 

 

(5/28分)