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詩人の死後を生きる透き通る馬たちよ

tabularasa.hatenadiary.jp

 ここで未曽有の詩人天沢退二郎を紹介した。自分が偏愛を寄せている『夜中から朝へ』前後の彼は、同朋の詩人にもとんでもないオマージュを送っている。

大岡信の口はいつも爽やかな唾が填まっていて シュッシュッと的確に宙を飛び紙に当たると 詩だ! 大岡信の口はいつも おおと言おうとしてまるく開かれ あらゆる言葉のかたちをして鳥たちがそこから血まみれの頸をのぞかせて死ぬ。水がながれ水がながれ 大岡信の詩の言葉はさらに湯船を求めて白いゼリーの帯づたいになかれを遡る。私たち読者はそこで透き通る馬。

最近亡くなった大岡信は、言わずと知れた「日本」を代表する詩人。「透き通る馬たち」、つまりは読者もかなりの数が現存するにちがいない。晩年の代表作から引く。

木といふものは動く足を持たないから

生まれた場所で天を指して伸びるだけ

人間のニヒリズムの騒々しさと猛々しさが

つひに持ちえぬ優しい威厳が

岩に生え出た双葉の上に

もう漂ってゐる

  3行目の「人間のニヒリズムの騒々しさと猛々しさが」という詩句を憶えておいてほしい。こんな数行の詩句にも、ある独特の形で「日本」の歴史が、わずかにその暗い一端をのぞかせているのに気付くだろうか。

絹と明察 (新潮文庫)

絹と明察 (新潮文庫)

 

 「日本」とはどういうものなのか。戦後最初の外国人による日本文化論は『菊と刀』だった。これに対抗して三島由紀夫が書いたのが『絹と明察』。三島の言語感覚の中では漢文脈が強く生きていて、シンメトリーが好まれる傾向がある。『太陽と鉄』、『裸体と衣装』…。そのシンメトリーに、生涯の刻印である『悲劇の誕生』のアポロン的なものとデュオニソス的なものが投影されているところに、三島らしさがある。

紡績会社の前近代的家父長制の父に似た「善意」の社長(駒沢)が日本的な「絹」であり、対照的に、ライバル会社から送り込まれ、その紡績会社に近代的な労働争議を惹起せしめる工作員(岡野)が「明察」だ。岡野は歪んだインテリで、ハイデッガーに傾倒するヘルダーリン好きでもある。

小説の詳細はやけに丁寧に書き込まれたwikipediaに詳しいが、作者のこの言葉には耳を傾けておく必要がある。

絹と明察 - Wikipedia

岡野は駒沢の中に破壊すべきものを発見する。そして駒沢の死によつて決定的に勝つわけですが、ある意味では負けるのです。“絹”(日本的なもの)の代表である駒沢が最後に“明察”の中で死ぬのに、岡野は逆にじめじめした絹的なものにひかれ、ここにドンデン返しが起こるわけです

ネットを検索しても、『絹と明察』に関するレビューは少ない。最も魅力的なのは、日本最高の編集者の手によるこの批評的エッセイだろう。

1022夜『絹と明察』三島由紀夫|松岡正剛の千夜千冊

とりわけ、三島が「作者の意図」を全く隠していないのに、同時代の文芸評論家からどれほどの無理解にさらされていたかを強調しているのが素晴らしく、『絹と明察』が意外にも、三島が準備しつつあった最終的な割腹自殺の主題群に近い場所にあったことに驚いているさまが、事物の何を際立て、何に心を動かし、それをどのように言葉を操って伝えるかを熟知している「編集者」らしい。自伝的回想の断続的挿入にもeditorshipが働いているのがわかる。

 そのように千夜一夜のある一晩が、数多い三島読解の間で輝いてしまうのは、この小説が或る外国人翻訳者が翻訳を断るほど、三島らしくない平板な経済小説のように読まれるのが一般的だからだろう。

 自分は19歳で三島由紀夫全集を読破するという風変わりな少年時代を送った。世に無数にある三島論のおおよそに目を通すうちに、文芸評論家の無理解に晒されて、論じ残されている空白の重要論点が4つあるのではないかと、20代の頃から考えてきた。

その一つの部分的象徴が、『絹と明察』中で岡野が出入りする民間の右翼団体で、その名を「聖戦哲学研究所」という。

あなたはこの団体がどういう組織なのか想像できるだろうか。この団体名に正しくふりがなをふれるだろうか。

実は「聖戦哲学研究所」は「やすだよじゅうろう」とふるのが正しいのである。

保田與重郎 - Wikipedia

岡野が傾倒するハイデガーヘルダーリンは、保田與重郎の思想的経歴と重なっている。小説で、工作員岡野はヘルダーリン的なもの(≒ここでは、ギリシア的明察)から「絹」的なものへと180度反転するが、この「ドンデン返し」が最初に起きた場所が、冒頭の大岡信が著した保田與重郎論『抒情の批判』であることを、注意深い読者は忘れてはならない。三島はその本に熱烈な序文を寄せている。

この辺り、またしても記憶だけで書くが、その序文の中で三島は、日本浪漫派を批判的に乗り越えようとする大岡信に対して、自分は「その滑り台を逆に滑り降りてしまった」に似た表現で、つまりは「ドンデン返し」に似た表現で、逆に強く魅了されたことを告白している。日本回帰を主題とした『絹と明察』は、皇軍必敗を祈念した(!)日本浪漫派の情念と深く関わっており、だからこそ三島の割腹自殺の主題群のすぐそばで書き上げられたのである。

この辺りの思想的係累は、全集を二度編纂した田中美代子と自分にしか見えていないのではないかと考えていたが、どの文芸評論家でもなく、社会学者の宮台真司だけには明確に見えているようで、「天皇宣言」以降の鬼才の凄まじさをまたしても印象付けられてしまう。

もう少し思想的なことを付け加えれば、三島がハイデガー経由のニヒリズムに支配されているのが露呈しはじめるのは、中期の『鏡子の家』以降のこと。その小説を「私のニヒリズム研究」と措定したことは有名だが、『絹と明察』中のドンデン返しはあまりにも「転向」に似すぎていて、その「ニヒリズム」の思想的下部構造への定着なしでは、成立しえなかったと言えるだろう。ここでは、そのニヒリズムが戦中派特有のものだと書きつけて、冒頭に戻ることにする。

すると「優しい威厳」という名の国語教科書的な詩編のあの3行目が特別な意味合いをもって膨らんでくる。その詩行の背後に、日本浪漫派、戦争、三島、割腹などの残像が、そこに続く詩句「騒々しさ」や「猛々しさ」を伴って、行間に浮上しては消えるのが見えはしないだろうか。

あらゆる言語芸術はタブラ・ラサの白紙上にあるのではなく、過去の無数の言語芸術が重なり合っている羊皮紙(パランプセスト)上で生まれる。

作家に求められるのは、旧世紀的な「独創の幻想」ではなく、その羊皮紙の平面が不意に透き通って波立ち、水槽のような深度を持つ瞬間、垂直下に無数に折り重なって揺れる過去の言語芸術の断片に目を止めて掬い上げるまなざしを持ち、それに言葉を返すことのできる「対話」能力であるにちがいない。

或る詩人の死に触発されて書き始めたこの一文を、そんな唐突な断言で締めくくることにしたい。