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アンビエント小説、幽霊能、メキシコ転回

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上でアンビエントミュージックの話をしたとき、その昔聞き込んだ名盤のことを思い出した。

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音楽だけでなく、「アンビエント小説」と言うのもありそうだなという発想を喚起してくれたのが、この小説。作者自身が小説中で或るアンビエント(テクノ)系の名盤を挙げて、こっそり「アンビエント小説宣言」をしていると感じるのは、自分だけだろうか。どちらも名状しがたい貴重な浮遊感へと私たちを誘ってくれる。

きことわ (新潮文庫)

きことわ (新潮文庫)

 

 

E2-E4 - 2016 - 35TH ANNIVERSARY EDITION

E2-E4 - 2016 - 35TH ANNIVERSARY EDITION

 

その小説には毀誉褒貶があるようだが、作者の出自に言及した「サラブレッド批判」をする暇があるなら、血統を遡って数々の名作に触れてほしいというのが自分の願いだ。

その名作の一つがこの戯曲。実話の提供先に注目してほしい。

熱帯樹 (新潮文庫)

熱帯樹 (新潮文庫)

 

 『熱帯樹』は、フランスの地方シャトオで実際に起きた事件の話を、三島が朝吹登水子から聞き、そこからヒントを得て書かれたものである。その事件は、シャトオの主の金持貴族と約20年前に結婚した女が、実はその20年間ひたすら良人の財産を狙い、成長した息子に、極くわかりにくい方法で父親を殺させ、やっと長年の宿望を果たし莫大な財産を手に入れていたというものである。

三島の関心は、強欲な妻が財産を奪取するために使った異常な手法に向いている。

 貴族との間には一男一女があつた。どこまで計画的にやつたことかしれないが、夫人は息子が年ごろになると、将来彼を一切自分の意のままに使ふために、われとわが子の童貞を奪つた。息子はそれ以後心ならずも母の意のままに動かざるをえぬ自分に絶望して、今度はわが実の妹と関係したのである。

上演されたものを鑑賞したことはないが、愛憎入り乱れる人間関係の錯綜が、高い完成度で描かれているので、戯曲を読むだけでも娯しめる。

上記の引用元のwikipediaでも紹介されているが、妹役の「郁子」(母音を取り出すとiu子)を含めた「女という禁忌」が三島の作品群の中で系譜立って描かれていることは、以前ここに書いた。まだ誰も論文に書いていないのではないだろうか。

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三島が『熱帯樹』とほぼ同時期に執筆した長編小説が『獣の戯れ』で、これは朝吹真理子『きことわ』とは全く作風が異なるが、三島の小説ではあまり目にしないアンビエントな静謐に満ちた佳作だ。

外形的にはよくある不倫の姦通小説。冷酷で浮気性の夫の浮気現場へ、妻とその妻を愛する直情的な青年が駆けつけ、そこでありがちな暴行事件が発生するのだが、批評的に言えば、そこに満ちている「異様な静けさ」の方が事件かもしれない。

例えば、その浮気現場で妻が浮気する夫の膝に縋りつく場面。

 みんなが手を束ねて優子のうずくまった姿を眺めていたので、この時間はずいぶん永かったのにちがいない。町子が立ち上がって優子を扶け起こそうとして、逸平に目でとめられたのを幸二は見ている。その一瞬せり上がって挫折した動作は、水底から砂が舞い上がって崩れるのを見るように、無意味に透明に見えた。人間はどうして時として、あんなふしぎな身振をするのだろう、と幸二は思った。不安定な枝の上で、鳥が一瞬のび上がって首をちぢめるようなあの種の動作。……

作者自身がその場面を「活人画のよう」だとしているが、凡庸な作家ならそこに悲鳴や怒号や暴力の応酬をここぞとばかりに書き込む場面で、三島がこうまでして醸し出したがったアンビエントな静謐は、どこに由来するのだろう。

その問いに対して最も詳細な回答を提出したのは小西甚一。その正解をひとことで言うなら「能」である。自分がその論文を手にしたのは90年代のことだが、現在の三島関連のwikipediaは異様な充実ぶりで、その論文の概要まで掲載されているから驚かされる。

優子のを中央に、右に逸平、左に幸二と並んだ墓が、序章に持ち出される。優子だけは死んだわけではないけれど、終身懲役に服しており、(中略)終章でわかるように、以前の優子とはもはや同じでない。つまり、精神的には死人なのである。したがって、この作品が語られている時点では、三人とも幽霊にほかならない。その幽霊が入ってゆく塚、後見がしずしずと持ち出して鼓座の前に置く造り物の塚が、すなわち〈三つの新しい墓石〉だとすれば、この作品は、いわゆる幽霊能の定型に当たる道具だてを備えているといえよう。
— 小西甚一「三島文学への古典の垂跡――『獣の戯れ』と『求塚』」

獣の戯れ - Wikipedia

先日神戸へ小旅行する機会があって、道中の読書でその「求塚」が神戸に実在することを知ったが、三島の小説にしては珍しい凝った倒叙法の採用は、現代にまで及ぶ能の『求塚』の強い影響があったと見て間違いないだろう。

しかし、このような出典探しの正解をもってしても、『獣の戯れ』の尽きせぬ不可解さは解明しきれないというのが自分の立場で、それは、おそらくまだどの三島研究者も言及していないであろう「メキシコ転回」の諸相に充分に光が当たっていないからだ。

鏡子の家』で自画像を4人の青年に分割した三島は、自分に一番近い「夏雄」を終章でメキシコ留学させている。メキシコから三島が持ち帰ったのは、私見では「エロスとタナトスの相克」で、それは熱帯のメキシコ産にちがいない「熱帯樹」の周りで繰り広げられる殺人や心中を含む近親相姦劇として出現する。「メキシコ転回」後の三島には「愛」と「死」の絡み合いがなければならなかった。三島の「エロスとタナトスの相克」と聞いて、誰もが最初に思い浮かべる『憂国』が書かれたのも、この時期のことだ。

続く『獣の戯れ』の中で、人妻と不倫した青年が夫に暴行を加えて失語症にし、出所後ふたたび夫を再度殺すという筋立てにもそれは明らかで、傍流に父―娘の近親相姦劇が絡めて描かれているのもその主題的連関を補強している。さらに東京から一番近い亜熱帯の伊豆が小説の舞台となり、主人公たちはそこで「熱帯の花々」を温室栽培する植物園を運営しているのである。

傍証がこれだけ集まってくるので断言しても良いと思うが、メキシコ転回以後の中期三島をどう読むかに、三島ミスティシズムの解明が懸かっているのは間違いない。しかし、ここからはやや難解になるし、さらに長くなるかもしれないので、稿を改めることにする。

三島由紀夫 神の影法師

三島由紀夫 神の影法師

 

三島由紀夫の全貌を誰よりも知る田中美代子が、2度目の全集編纂の際に、月報集の最終章を「単性生殖」で飾ったことの意味の大きさは強調してもしきれないほどだが、その批評的エッセイに当然「ジュネ論」が引用され、『獣の戯れ』にもジュネが部分的に影を落としていることを最後に記しておきたい。ジュネ邦訳者名への注意喚起を言い添えて。

泥棒日記 (新潮文庫)

泥棒日記 (新潮文庫)