砂を噛む螢たち

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ここで「仲間」なんていうナイーブな言葉を使ったのは迂闊だっただろうか。

出身高校はとりわけ団結力が強く情熱の度合いが熱い高校だったが、全国から集まった私大の教室でも、最初の半年くらいはそのような未成年らしい共生感の残滓が感じられた。

特にそれは全員履修の英語クラスで顕著で、担当の非常勤講師がズバズバものを言う精力的な台湾人の女性で、教室や仲間内で話が弾みやすかったせいもあったかもしれない。

当時から「そっくり」と同級生の間で評判だった声真似でいうと、「あぁーたたちねぇ、私ゃ30年以上日本語を喋ってるんだから、20歳そこそこのあぁーたたちより上手いのよ」が口癖で、今の声真似でほとんどの人が誰かわかっただろうから、ご芳名には言及しない。2009年に日本に帰化されたそうだ。

授業では恋愛小説の短編を原書で読んだ。"He didn't suit for marriage."という一節を「彼は結婚式にスーツを着ていかなかった」と友人が派手に誤訳したとき、教室はどっと笑いに包まれた。彼はその難関私大の附属高校出身だったせいで、教室で学力の乏しさが目立っていたが、そのような「エレベーター式の危険」については、ここで語ったかもしれないし、語らなかったかもしれない。

あのとき教室で読んだテクストは、フィッツジェラルドの「四月の朝」だったはず。そう思って検索をかけたが出てこない。そんな短編を書いた事実すらなさそうだ。あれから四半世紀が過ぎた。記憶違いだろう。出てくるのは「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」ばかり。英語で検索しても「On Seeing the 100% Perfect Girl One Beautiful April Morning」ばかり。

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

 

当時の自分は野田秀樹張りの「シニフィアンの戯れ」に夢中になっていて、『羊をめぐる冒険』の「羊」は「フィッツジェラルド」の象徴だとか、あと少しヴォネガットの影響が強かったら危うく『酢をめぐる冒険』になっていたところだった、とか、今書きつけていても絶望的につまらない軽口を叩いてばかりいた。

「お酢で? どんな冒険になるの?」

「大冒険だよ。主人公が大好きなお酢を毎日飲んでいるうちに、ある朝、事件が起こる」

「事件?」

「自分の身体が以前とはかなり変わっていることに気付く。昔よりずっと柔らかくなっていることに! そして、長いあいだ手の届かなかった箪笥の裏に、ようやく手が届くようになっていることを知って、大喜びするんだ。これで、箪笥の裏へ落した失われた宝物を取り戻せるって」

「失われた宝物って何?」

「愛用の耳かき」

「そんなの、事件でも何でもないじゃない」

「本当にそうかな? 敏感だけれど自分には届かない襞に相手の手が届いて、心地よくて、絶対に手放したくないって思えるような… 本物ってそういうものだと思うよ」

「何の話?」

「本物の恋の話。今こうやってきみと話していることが「事件」かもしれないっていう話さ」

「……」

 10代最後の自分が本当に夢中だったのは、話術で女の子の歓心を得ることだったのにちがいない。そんな浮薄な様子を見かねたハルキストの友人が「きみは村上春樹をきちんと読んだ方がいい」と忠告をくれて、処女作から時系列に添って文庫本を貸してくれるようになった。それと引き換えに、ぼくはフランスの作家や三島や大江を彼に貸した。

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ここで書いた「螢」もその友人の文庫本で読んだ。ハルキストの彼からは、この坂を下ったところで酔ってぶっ倒れて手製の担架で運ばれたとか、大学の大先輩の若き日々の挿話をいくつか実地に教えてもらった。

話が脱線したままだ。この小文で書きたかった本筋は、青春時代の眩しく散乱した記憶の破片ではなく、その破片の上に夜が降りてきて、すべてが輝きを失ったはずの闇の中で、依然として仄光しているものについて、だった。

これはすでに誰かが書いているにちがいないが、のちに『ノルウェイの森』に発展する「螢」は、小林秀雄ベルクソン論『感想』の冒頭を想起させずにはおかない。

 母が死んだ数日後の或る日、妙な経験をした。(…)今は、ただ簡単に事実を記する。仏に上げる蠟燭を切らしたのに気附き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮れであった。門を出ると、行く手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。今まで見た事もない様な大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れる事が出来なかった。ところで、無論、読者は、私の感傷を一笑に付する事が出来るのだが、そんな事なら、私自身にも出来る事なのである。だが、困った事がある。実を言えば、私は事実を少しも正確には書いていないのである。私は、その時、これは今年初めて見る蛍だとか、普通とは異なって実によく光るとか、そんな事を少しも考えはしなかった。私は、後になって、幾度か反省してみたが、その時の私には、反省的な心の動きは少しもなかった。おっかさんが、蛍になったとさえ考えはしなかった。何もかも当たり前であった。従って、当たり前だった事を当たり前に正直に書けば、門を出ると、おっかさんという蛍が飛んでいた、と書く事になる。つまり、童話を書く事になる。

この神秘体験を受けて、小林秀雄はこんな問いを立てる。

あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう。

中途で途絶した『感想』の中で、この問いは何度も回帰してくるが、ついに明確な答えを与えられることはない。それは、ベルグソン哲学が、記憶や時間や生命をいかなる客観的合理的尺度でも測定しえない「純粋持続」であるとして、科学的客観主義や唯物論に抵抗し、付け加えれば「常識」的な時空感覚を解体して見せたことと無関係ではないだろう。

小林秀雄のこんな一節を引けば、ベルグソン小林秀雄の幸福な邂逅が、どこで別れ道を辿ったのかがよくわかる。

常識は哲学ではないが、常識という跳躍台であって、常識がなければ哲学の跳躍はない。

ベルグソンの「生の跳躍」対小林秀雄の「常識の跳躍」。しかし、小林秀雄の「常識」とは、冒頭の非科学的な「蛍=母」をも感知する市井の人間の繊細な皮膚感覚を含んでいた。

当時の科学の先端にいたニュートンが、万有引力の法則の背後に「神」が存在することを同時に主張していたように、記憶や時間や生命にどのように科学的客観主義を適用しても残る残余、つまりは超越論的なものが消しがたく存在するという世界解釈を打ち立てたところに、ベルグソン哲学の真髄はあった。最晩年のベルグソンは、その近代合理主義の果てにある残余から『道徳と宗教の二源泉』を跡付けようとするが、それを読んだはずの小林秀雄は沈黙してしまった。

答案こそ書き得なかったものの、「蛍=母」の挿話とそこから生まれた問いを、西洋哲学の反主流派の先端と小林秀雄が共有していたことは、小林独自の感性の水準の高さを語って余りあるだろう。「世界」に接触した小林秀雄はそこで踵を返して、日本の国学者本居宣長』へ向かうことになる。

さて、上の挿話で見たように、「蛍」という主題は「幽霊」に深い関わりがある。

川上弘美の『真鶴』の解説で、三浦雅士は「幽霊」という言葉を最初に使ったのが観世流創始者世阿弥であると前置きした上で、日本文学の貴重な命脈をあっけらかんとこんな見取り図にまとめて見せる。

現代文学における幽霊の重要性を理解するための小さな見取り図――ものすごく簡単に言ってしまえば、文学は幽霊のことを扱うはずだったんじゃないか、と呟いたのが、村上春樹。そんなのあたりまえじゃん、と応じたのが川上弘美。これが現代文学の洗練と内実だ。

 私たちはどうやったら幽霊に出会えるのか。洗練された数少ない文学の上で? それも悪くない。しかし、情報強者なら、ひとことの下にこう言ってのけるにちがいない。Remember 3.11.

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動画投稿サイトでは、どす黒い津波に覆われていく波の合間から、仄白い霊魂のようなものが浮遊する映像がいくつも確認できる。

matome.naver.jp

タクシー運転手が幽霊を乗せたとか、母親の霊が避難所に子供たちの遺体を運んできたとか、その手の幽霊譚も絶えることなく人々の口にのぼり、大学での研究対象にもなって、その成果物が本になって出回っている。

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

 

どれだけ無念だったか、苦しかったか、悲しかったか。

せめて死者に寄り添おうとして、このような一行を書き連ねたところで、震災と津波による犠牲者たちの悲痛な思いに届くとは到底思えない。しかし、書かずにはいられないのは、自分にも聞こえる声があるような気がするからだ。

「あぁーたたちはね、」と2人称複数に呼びかける声は、いや、それはかつての大学の先生のものではなく、彼女とは政治的立場を異にする自分の声にちがいない。「あなたたちはね、」と口を開いて、呼びかけたい思いに突き動かされているのだ。「あなたたちはね、やはり同じく、3.11でたくさんの仲間を失ったんじゃあないですか?」

その声を響かせている原動力の源は、かつての恩師が出演していた番組共演者のこんな告発にあるように思えてならない。

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小泉政権によって、福島第一原発にあらかじめついていた安全装置の一部(蒸気凝縮系機能)が、血税を10億円も投入して撤去されていたという衝撃的な告発! 原発冷却装置の専門家である上原春男によれば、その安全装置を撤去しなければ、原発は苛酷事故に至らず安全だったとか。どうして日本のマスコミは、こんな「大事件」の後追い報道をする責任を放棄したのか。

この告発が巨大なカードだと感じるのは、東日本大震災が人工地震か否かという大論争の両陣営を分断しないまま機能するからだ。 安全装置の事前撤去は、自然地震だと信じている人々にとっても、現首相の「全電源喪失はありえない」発言より恐ろしく危険なものだし、数々の状況証拠から人工地震を信じる情報強者たちにとっても、わかりやすすぎる「売国奴による事前準備」だとして、強力な非難を浴びせることができる。

戦後も続いた日本の被占領史をここで詳述する余裕はないが、冷戦の終結が見え始めた80年代後半から、アメリカが次の仮想敵国を「日本の経済力」に転換したのはCIAの文書で明らかになっている。

その直後からの、日航機「墜落事故」+プラザ合意、バブル崩壊、オウム+阪神淡路大震災東日本大震災……。同じく冷戦以降、日本国内では半島系巨大宗教団体によるマイノリティ支配の強化が進み、海の向こうでの反日感情に呼応するように、国内でも反中嫌韓感情が高まった。

どれほど冷静に情報を分析しても、これらすべての背景に、アメリカ諜報組織の暗躍を認めないことは難しい。

「予定通り」、原発の安全装置は外され、東日本大震災が発生し、原発メルトダウンした。この「予定通り」という副詞句は、事実として、上の文章のどこまでを修飾していると解釈すべきなのだろうか。

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

 

 東日本大震災直後、現地へ飛んで遺体収容のボランティア作業にあたった気鋭の行動派ジャーナリストは、遺体の多くが夥しい砂を呑んでいたという証言を書きつけている。

「あなたたちはね、やはり同じく、3.11でたくさんの仲間を失ったんじゃあないですか?」

今これを読む人々の心の内はどのようなものだろうか。「日々まともな言動をとって、まともに仲間を守り、まともな生き方を貫徹したい」。そこに少しでもそのような思いを呼び起こすことができたらと思って、これを書いている。津波に呑まれた人々の砂を噛む思い以上の苦々しさと痛切さを感じながら。

 

 

(5/16分)

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