春を歌にして

 春がオープンカーの季節というのは、私には嘘に聞こえる。冬の寒さがゆるんで春が来たと思ったその日に幌を開けると、たいてい風邪を引いてしまうものだ。昼間に幌を開けると助手席の女の子が紫外線を浴びてしまうし、交通量が多いので排気ガスにも晒されやすい。そういうわけで、都会に住んでいたときに買ったロードスターは、深夜まだらに光っている建築群が頭上を流れていくのを楽しみたいときだけ、幌を開けていた。

 唯一の例外は、小石川の播磨坂の花見のとき。播磨坂は環状3号線の一部として整備されたが、戦後の資金難で計画が途絶したため、何と460mの短さだ。しかし、環3は環3。遊歩道まであって何よりも豊かな桜並木が美しい。しかも、短さが幸いして、交通量が嘘のように少ない。桜並木が満開になれば花見客で賑わうが、車道はゆっくり走れる。二人だけの「通り抜け」にできる。オープンカーの幌を開けて、満開になった播磨坂の桜並木を見上げながら、メリーゴーランドくらいのゆっくりとした速度で播磨坂を往復する花見が、たぶん自分の人生で最高の花見だったと思う。10年くらい前の話だ。

 話が懐古的になるのは、近くにあったその名も「イエスタデイ」というレストランにも足を運んで、よく彼女と読書会をしていたからかもしれない。「天使のクリーム」を意味する名のデザートが、2人のお気に入りだった。

 あれから10年くらい経って、とうとうロードスターを下取りに出すことになった。大好きな車だったが、諸事情で乗り換える必要ができたのだ。次の持ち主のために車内を清掃していると、座席の下に薄茶色のゴミの破片があるのが目に留まった。指でつまみあげてみると、それは褪色した10年前の桜の花びらだった。自分でも理由はよくわからないが、しばらく座り込んで、放心状態になってしまった。

 その彼女とは別れてそれっきりで、イエスタディは潰れ、ロードスターは下取りに出してすぐ廃車にされた。「誰か乗りたがる人がいるかも」は単に車屋の社交辞令だった。

 どんなに過去の幸福だった時期に戻りたくても、時の流れは一方向で不可逆的だ。環状にめぐったりはしないし、すでに当時から、環状3号線はあちこちで寸断されていた。

 今は地方都市に住んでいるから、満開の時期でも桜の1本くらいなら独占できるかもしれない。今年の春は、1本の桜の木を独占して、1人でその下に寝そべってみたい。あのときロードスターから見上げたように、満開の桜を上方に見ながら、降りかかってくる桜の花びらを、しばらく数えていたい。

 誰かが言うように、さよならだけが人生さ。たとえそれが限られた時期だけの話であっても、自分を幸福にしてくれた人や物を、舞い落ちてくる桜の花びらの中で、ゆっくり数えたい。決して忘れないように記憶し直していきたい。もうあの最高の花見には戻れないとしても、今の自分にとっては、たぶんそれが次善の春の過ごし方なのだと思う。

 

 

頼まれたと勘違いして、思わず書いてしまったエッセイです。20~30代向けの月刊女性誌から「春」という凡庸なテーマで注文が来たら、という設定で書きました。ご覧の通り、難しいことは何もしていないわずか3枚のエッセイ。誰でもすぐに書けるはずです。他人の書いているものをdisらずにはいられない不自由な心の持ち主には、こんなひとことを贈りたく思います。C'mon, show your dance right now!

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