ルパンにも似た「実真」を追いかけて

小学生時代に熱中した本と言えば、この少年探偵団シリーズ46巻をおいて他なく、これが臓腑がよじれるほどの無類の面白さで、小学校3年生であっけなく読み切ってしまった。おそらくそれが「空虚感」というものを味わった初体験だったかもしれない。

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その後、同じ出版社の「ルパン」シリーズに手を伸ばしたが、フランス産のハイカラさに違和感があって、自分は浅草の見世物小屋が出てくるような古い昭和の日本になぜかしら惹かれるところがあるので、今ひとつ馴染めなかった。

(その訳者名を見ていま思い出したが、北杜夫が初めて南馬込の白亜の三島由紀夫邸を訪ねたとき、「どれほど南洋一郎海洋冒険小説が面白かったか」を三島に力説されて戸惑ったという挿話を語っていたように記憶する。残念ながらその冒険小説群はもう入手困難らしい)。

その少年探偵団シリーズは、実は26巻ではなく46巻まであって、その中で自分がシリーズ最高傑作として信じて疑わなかったのが『時計塔の秘密』。

少年探偵江戸川乱歩全集〈45〉時計塔の秘密

少年探偵江戸川乱歩全集〈45〉時計塔の秘密

 

26巻までが版を重ねて今でも読めるのに対し、27巻から46巻までが絶版になっているのは、後者が大人向けの推理小説を児童向けにリライトしたものだからだという。

元々はイギリスの女流作家の推理小説だったのを、黒岩涙香が翻案小説として書き直し、1900年に「萬朝報」に連載したのが初の日本語版。『幽霊塔』の書名で青空文庫で読めるが「余は」を一人称とするくらい古い。

黒岩涙香 幽霊塔

それをさらに江戸川乱歩(のゴーストライター)が児童向けに翻案したのが『時計塔の秘密』で、独断と偏見とネタバレを含みつつ要約すると、こんなシノプシスだ。

江戸時代の豪商が時計塔屋敷を建て、自身の財宝を隠すために複雑な仕掛けをめぐらせたが、自身の仕掛けた時計塔の内部から出られなくなって死亡した。そんな噂のある幽霊屋敷を買い取った叔父に乞われて、少年が屋敷を内見していると、美貌の女流作家野末秋子と出会う。

秋子の周囲では「虎による襲撃」「女性の蒸発と遺体発見」「毒刃による刺傷」「陥穽による殺人」などが相次いで、彼女には殺人嫌疑まで掛けられて追いつめられるが、少年やその知人の若き明智小五郎がトリックを見破り、ついに秋子が「脱獄した死刑囚」であり、全身整形を経て別人として生きていること、死刑を宣告された殺人罪が冤罪であることを、すべて証明し尽くしてしまう。

追いつめられた秋子が自殺場所に選んだのは、豪商が死んだ時計塔内部。明智と少年が呪文を手掛かりに時計塔内部まで追いかけて秋子を救い出すと、そのハッピーエンドを祝福するかのように金銀の財宝が同時に見つかる。

 要約を書きつけているだけでも、かつて少年だった自分を興奮させた血沸き肉躍る感じが蘇ってくる。わくわくしながら再読していて、ヒロインの美貌の女流作家が、小説よりも評論で知られていると書いてあるのが目に留まった。

女性の文芸評論家は、wikipediaの「日本の文芸評論家」に一人しか掲載されていない*1ほど、「紅一点」とでも言うべき希少な存在なので、どんな文芸批評を書いていたのか無性に気になってしまう。昭和初期に女性に人気のあった『堀辰雄論』あたりが有力な推定候補になるだろうか。

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

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『幽霊塔』の面白さをぜひ他の人々にも伝えたくて、 強いて言うなら「昭和初期のミニ『カリオストロの城』」というキャッチコピーまで思いついていたところで、偶発的な検索結果により、こんな本に遭遇してしまった。

幽霊塔

幽霊塔

 

 『幽霊塔』は宮崎駿の愛読書だったようで、言われてみれば、明智小五郎が陥穽に落とされて殺されそうになる場面や、「城」の秘密構造部分で財宝をめぐって生命の尽きた屍体が朽ち果てている場面には、その影響が見受けられないでもない。『幽霊塔』には「岩淵養虫園」という昆虫培養店が出現するし、知られるように『風の谷のナウシカ』の典拠の一つは「虫愛づる姫君」だ。

アニメ好きではないのでありふれた採点だが、自分の生涯アニメ最高傑作は宮崎駿の『カリオストロの城』と『風の谷のナウシカ』になる。『天空の城ラピュタ』も素晴らしいが、ラピュタへ到着してからの展開に、かつてラピュタに上陸したはずの「父の痕跡」が欠けていることに、やや難を感じてしまう。

しかしそれにしても、と私は呟いてしまう。しかしそれにしても、もし『カリオストロの城』が『幽霊塔』と「ルパン三世」の二つを掛け合わせて生み出されたものと仮定するなら、その掛け算を何乗にもした宮崎駿の才能は凄絶のひとことに尽きる。あれ以上の巧緻なプロットメイクで200分を満たすことは、他の誰にもできそうにない。

ルパン三世 - カリオストロの城 [DVD]

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 その数え切れないほどの美質は圧倒的な「☆5つ比」で語られるカスタマーレビューで確認いただきたいが、私が注目したいのは、対ルパンの護衛部隊から外された銭形が、酒や煙草を喫み重ねながら腐っているところへ、峰不二子から電話が入る場面。その待機部屋の背景に掲げられている「実真」と書かれた額縁だ。

日本史の教科書で誰もが見たことのあるだろう「ばらさよ盟連」と同じ戦前の右→左の横書き表記。宮崎駿は曖昧だった銭形警部の生年を昭和一桁に設定して、「とっつぁん」に第二次世界大戦を跨がせているのである。

あの「実真」の額縁が、30年以上の年月を越えて、宮崎駿の近作の『風立ちぬ』に繋がっていることに、おそらく熱狂的なジブリファンなら気付いているのだろう。一見したところ、超絶技巧を凝らした活劇映画の『カリオストロの城』とは対照的に、『風立ちぬ』は或る時代の推移をクロノロジックに活写した時代映画ではあるが…。

風立ちぬ』の主人公が、同名の小説を書いた作家の堀辰雄零戦設計者の堀越二郎を合成して造形されたことは、よく知られている。ところが監督自身の言葉によると「父の生きた時代を描かねば」という創作衝動があったらしい。

ぼくはやっぱり親父が生きた昭和を描かなきゃいけないと思いました。(…)日本軍は中国へ行って酷いことをやって、南方にいっても酷いことをやって、多くの日本の兵隊さんが餓死した。ニューギニアの餓死寸前だった兵士の手記も読みました。なんというか、ほんとうに、屈辱的だったんです。(…)

ところが親父は「いやあ、いい時代だった」って言うんです。「浅草は良かった」とかって。かつてはこれが信じられなかった。

 そしてその同じことの裏返しであるかのように、宮崎の母は戦後の文化人たちの変節漢ぶりに怒りを隠さなかったという。宮崎の「とっつぁん」はそのような戦前戦後のアノミーを生き抜いて、飄々と戦争直前の「昭和14年は良かった」と息子に話したりする人物だったのである。

昭和一桁のような「戦中派」に属すると私が勝手に分類して注目しているのが、この4人。吉本隆明(大正13年=昭和-2年生)、三島由紀夫(大正14年=昭和-1年生)、江藤淳(昭和7年生)、大江健三郎(昭和11年生)。(ちなみに宮崎駿は昭和16年の戦中生まれ)。敗戦という破線の切断線を越えて過去へ遡る方向には、はたまたその切断線を魂に刻まれた人々の生き様や作品には、まだまだ汲み尽くせない文化的な捩れや屈曲が満ちていて、知らねばならないとの切迫感で自分を急き立ててやまない。

自身の「最後の映画」として作り上げた『風立ちぬ』を見て、宮崎駿は珍しく涙を流したという。涙腺が緩んだのは堀辰雄的な結核絡みの恋愛場面ではなく、堀越二郎がドイツの飛行機工場へ視察に行った場面。外交史には、当時の日本の技術者がいかに酷い粗略な扱いを受けたかが記録されているそうだ。同盟国で技術提携の契約もしてあったのに、黄禍論的な人種差別により、飛行機の見学もさせてもらえなかったのだとか。そのような苦い泥水を啜った上での、名機「零戦」の完成。……

敗戦という切断線を遡る方向へ目を向け、当時と現在の両方にある「洗脳」の色眼鏡を棄てたとき、懸命に生きた先人たちの等身大の群像が否定しようもなく現れる。

風立ちぬ』のごとく、その群像のありようをそのまま等身大に眺めようとする行為は、ひょっとするとかつて加藤典洋が「戦前と戦後で水位が変わらない」と譬えた変節漢とは真逆のperspectiveに近いのかもしれない。宮崎駿に限っては、さらにそこに近親的な温かみが添えられるのが、観る者に好ましい印象を与えてくれる。

国際的な警護に当たろうとする銭形警部がなぜか「警視庁」ではなく「埼玉県警」所属であること。立って粗食を胃に流し込んで、任務に耐えるひたむきな様子。「実真」の額縁。木々の生い茂る森の道なき道を、パトカーを押して城へ向かう懸命な集団的営為。

現在でも『カリオストロの城』は、毎年一度はテレビのチャンネルを数時間ジャックする。それを観る若い人々が、あの愛すべき「とっつぁん」率いる集団が、敗戦という切断戦の向こう側にかつて本当に存在していたことを少しでも想像してくれたら、と勝手な願いを書きつけずにはいられない。

 

 

 

 

 

*1:2017年4月現在、斎藤美奈子1人