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巷では、石原慎太郎が推進した築地から豊洲への卸売市場の移転に、壁が立ちはだかっているのだとか。そういえば、築地と豊洲の間には、昔から「壁」が立ちはだかることがあったものな、という感慨が生まれた。

三島由紀夫は『鏡子の家』の冒頭で、鏡子と4人の若者を車に乗せて、銀座の先にある埋め立て地へ向かわせている。ところが彼らの前に「壁」が立ちはだかる。

kachidokibashi.a.la9.jp

当時、橋をはね上げて開閉していた勝鬨橋が、船の往来に合わせて、「鉄の塀」として行く手に立ち塞がったのである。

それが時代の壁であるか、社会の壁であるかわからない。いづれにしろ、彼らの少年期にはこんな壁はすっかり瓦解して、明るい外光のうちに、どこまでも瓦礫がつづいていたのである。(…)この世界が瓦礫と断片から成立っていると信じられたあの無限に快活な、無限に自由な少年期は消えてしまった。今ただ一つたしかなことは、巨きな壁があり、その壁に鼻を突きつけて、四人が立っているということなのである。

安部公房との対談の冒頭で、三島由紀夫は「20世紀は性の世紀」だと声高に述べた。その一方、若き石原慎太郎の「性的はちゃめちゃ」の数少ない擁護者の役目を務めた。川端康成が「この若者が日本の美しさを知らないことが寂しい」という意を洩らした、あまりにも有名な場面を引用する。

風呂から出て体一杯に水を浴びながら竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
 部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起した陰茎を外から障子に突きたてた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。
 その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、抵抗される人間の喜びを味わったのだ。
 彼はそのまま障子を明けて中に入った。

 

 

(執筆中です。今晩は睡眠を取って、明日の正午前後に更新します)

アスファルトを剥がせば焦土

tabularasa.hatenadiary.jp

ここでふと呟いたランニングの掛け声が、映画やドラマになったのを思い出した。

がんばっていきまっしょい [DVD]

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 旅が好きといえるほど自分は旅行経験は多くないが、文芸のさまざまな領域を渡り歩いてきたことは確からしく、わずか半年ほどではあるものの、現代短歌の世界に入り込んで熱中した時期があった。特に熱心に読み込んだのは、前衛短歌の4人、塚本邦雄寺山修司、春日井建、岡井隆ライト・ヴァースと呼ばれる一群の歌人とは実際にお話ししたり、初心者の下手な歌を見てもらったりした。もともと自分が衰弱していた時期に飛び込んだ世界だった。歌の世界は面白くて興趣は尽きなかったが、やがて半年くらいが過ぎて心身が回復すると、31文字では足りない創作衝動を感じることが多くなって、そこから遠ざかってしまった。瞬間的な遭遇だったとはいえ、学生だった自分に丁寧に応対して、文芸の話を聞かせてもらったことが懐かしく思い出される。以下、思い出の記録として、順不同で引用。

たぶんゆめの レプリカだから水滴のいっぱいついた刺草を抱く

子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず

チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月

 他にも有名無名問わずいろいろと読み飛ばしたせいで、誰のものともわからない歌の断片が、ふとしたきっかけで蘇ってくることがあって、或る時期「信号機の赤と青の箱の中にいる紳士が父に見える」という意味の歌が、脳裡に懸かっていた。57577の最後の7だけ記憶していて「父の肖像」ではなかったかと思う。

他にも20代のころ友人に誘われて、冒頭に掲げた映画の原作者と同じ同人誌に顔を出して原稿を寄せたこともあった。頼まれたのはリレー小説のある一回で、「歩く猫」のようなキーワードで探偵小説?を書けという注文だったと思う。

「あるくねこ」の中央の文字は、ひらがなではなく数学の不等号だから両辺に-1をかけて要素を反転せよ。すると「るあ>こね」が得られるから、ネポティズム的な縁故ではなく、ポストモダン的な疑似餌で局面を打開すべきなのだ!

とかなんとか急造ででっちあげて、次回のリレー小説担当にバトンを渡したのだった。ただその原稿の一隅には、自作の小説の構想の一端を書き込んでもいて、たぶんこんな感じだったはず。

ヒトラーは、カフカ『変身』の毒虫を国家全域に複製して拡散しようとした。あの国民車=フォルクスワーゲンのビートルを作るよう命じたのはヒトラーで、命じられたのはやがて独立ブランドを確立する以前のポルシェ博士だった。『変身』の毒虫よ! 疾走せよ!

www.carsensor.net

このような文学上の断片的な遍歴が、撒かれた無数の種になり、思いがけない形になって、自分の創作の中で形になっているのを感じる。それは、作者には制御不能の創造の力で、プルーストの無意志的記憶に似ているが、芸術創作の現場で起こっているのは記憶の蘇りではなく、無数の記憶の種が他と結びつきながら自らを変形し成長し繁茂していくさまだ。その驚くべき無意志的記憶の変貌の実態は、部分的には「置き換え・象徴化・圧縮」のプロセスと呼べるし、そうフロイト風に呼べば、芸術が部分的に夢に似ているのも腑に落ちるだろう。

 その夢の記録を引用する。

 車中に路彦の声が響いている。兜虫(ビートル)はフォルクスワーゲン製で… 作ったのは反ユダヤ主義のフォードに心酔していたアドルフ… あのヒトラー?… そう… ヒトラーが「国民車(フォルクスワーゲン)」を提唱して、ポルシェ博士に設計させた… 国民から大々的に前払いを募って… あまりにも独裁者らしい姦計…  預り金のすべてを軍用ジープの製造に流用した… 騙された国民は?… 時代は秘密警察(ゲシュタポ)のうようよいるナチス政権下だ… 直後、第二次世界大戦のドイツ軍による侵攻… 真新しいジープの群れが隣国との国境を走り越えていった… 

ヒトラーの詐欺に加担したフォルクスワーゲン社は、戦後の60年代くらいまでずっと訴訟を抱えていたらしいよ。戦時中に強制労働させた強制収容所の労働者や捕虜には、今世紀に入っても補償を続けている。まったくnot so long agoな話さ」

 食事時まで間があるので、あてもなく車を走らせている間、路彦が車中の沈黙を埋め るのに選んだのは、遠い異国の話だった。思えば、二人が恋人として過ごした時間のすべてが、外国の陸地や海の上だったのだから、自然にそんな話になったのだろう。頷きながら聞いていた琴里も、6年前の旅の記憶を呼び醒まされたらしい。交差点にある歩行者用信号を指差して、あのしゃちほこばった佇まいを見てよ、と陽気な笑い声をあげた。

 彼女が指しているのは、信号の「止まれ」を表している像で、2階建ての箱の上階に棲んでいる直立不動の真っ赤な紳士である。

旧東ドイツのアンペルメンフェンとは大違いよね。あんな可愛らしい男の子に通せんぼ されたら、誰も信号無視できなくなるのにね」

「交通ルールの普遍性を伝えるのに、大人の威厳を使うか、子供の愛橋を使うかの違いだね」と路彦が同調して応じる。「そんなところにも、ある意味では見えない壁がある」

 壁の暗喩に話が及んだのは偶然ではない。ユーラシア横断旅行の途上で、旧東ドイツ の首都に立ち寄ったとき、べルリンの壁の痕跡を辿るのに苦労したのを彼は思い出していた。当時すでにべルリンの壁はほとんどが撤去されていて、どこが旧西ベルリンでどこが 旧東ベルリンなのか、旅行者にはまるでわからない。そんなとき手がかりになったのが、 旧東ドイッの歩行者用信号像のアンペルメンヒェンで、3頭身の彼のあどけない通せんぼが、そこがかつて東ベルリンであったことを教えてくれたのだった。

「ベルリンでは歩きに歩いたわね。まるで遠足みたいに」

と琴里が共通の記憶に触れて懐かしむ。

「丸太みたいにかちかちになった脚とドイツビールの後を引く苦味。この一つしか記憶に 残ってない」と路彦が大架装に溜息をついてみせる。

「あの頃から振り回されてばかりね、真哉くんには」 

www.utravelnote.com

 三点リーダの頻用は、セリーヌソレルスからの引用で、自分の中では叙述のテクニックの一つ。場面の進行に加速をかけたいときに使っている。話題はここから旅の記憶を遡っていくが、ここまでを読んだだけで、あらかじめ準備していた主題の断片が、作者にもほとんど制御できない形で、完全に変貌しているのがわかるだろう。

カフカや「父の肖像」は消えてしまったが、個人的には自然な文脈で not so long ago というひとことを入れられたのが気に入っている。若い人々がこれを読んだときにあの写真を想起してくれたら、というささやかな希望がそこに織り込まれているからだ。

高校英語の教科書に載っていたあの写真。検索すると、凄い場所で見つかってしまった。

「焼き場に立つ少年」と題する写真 - 宮内庁 

少年が背負っている赤ん坊の弟は病死している。死んだ赤ん坊を焼き場に葬りに来たのだ。その少年の背筋の伸びた立ち姿がこちらの心を揺さぶってくる。

高校英語をきちんと勉強した記憶はないが、仲間とランニング中に掛け声を合わせた「頑張っていきましょい」の方はよく覚えている。学校の勉強とは違うことに、夢中になり通しだった三年間、勉強よりも独自の課外活動に駆けずり回っているときに、内心呟いた激励句だった。

四半世紀以上前の話だ。その頃はまだ、夏目漱石が教鞭をとったその高校にも、文学的な伝説が語り伝えられていた。曰く、「地理の授業中にどうしても読書をやめようとしないので、机ごと廊下に放り出された」とか、「図書館のすべての本の貸し出しカードに『大江健三郎』という名前が書いてあった」とか。

 30代で書いた『万延元年のフットボール』は大江健三郎の最高傑作ともされ、又吉直樹が推薦本に挙げてもいたので、若い読者が増えることを期待したい小説だ。その出版とほぼ同時の1968年、フランスでは若者たちを中心とした五月革命が勃発したので、そういった世界的な革命の意識と共振した傑作小説とも評されているからである。

パリ五月革命 私論?転換点としての68年 (平凡社新書595)

パリ五月革命 私論?転換点としての68年 (平凡社新書595)

 

自分が生まれる前の五月革命については、知らないことの方が圧倒的に多いが、カルチェ・ラタンの学生たちが敷石を剥がして投石し、唱和すべきモットーとして「敷石を剥がせば砂浜」と叫んでいたことが心に残っていた。詩的なー句が物語っているのは、旧体制(アンシャンレジーム)への、若者たちからの鮮烈な異議申し立てだろう。

ベルリンの壁の痕跡を辿る記述にも、敗戦国日本の文脈を紛れ込ませずにはいられない自分は、45年以降n度目の局地的敗戦を経て、ますます属国化の進むこの国の方へ、振り返ってまなざしを向けずにはいられない。小説の冒頭に、こんな一句を書きつけずにはいられなかった。

アスファルトを剥がせば焦土」

カフカの「実真」から「可能性の中心」へ

「時間と空間について私たちが固定観念を抱いている」とする時空の哲学が数多く存在する。

時空の哲学 - Wikipedia

昨晩このように書いた部分が、作家論的批評が好きな人々の不興を買ってしまったようだ。

カフカの『変身』は、作家の伝記的事実に照らせば、「お金にならない文学ばかりにかまけて、この穀潰し虫!」という家族からの罵倒に由来する。「ブルームフェルト、ある中年の独身者」という短編で独身男が2つのボール(だけ)に付きまとわれ、『城』の主人公Kがついに城に到達しないのは、婚約者がありながら未婚で生涯を終えたカフカの「性的不能」の反映だともされる。嗚呼、これらの作家論的読解の絶望的なつまらなさよ!

冗談じゃない。そこに「カフカの小説を読むこと」は決して存在しない。どこかで語ったように小説を酒に譬えれば、「酒による酔い」の得がたさを語るべきはずの場面で、酒瓶のラベルを読み上げるのは、プロの酒評論家のするべき仕事ではないと思う。ラベルは誰にでも読めるように書かれている。

(いや、酒のラベル好きが嵩じてラベル収集を趣味にする人がいたっていい。ただ、「ラベル収集」と「酒による酔い」が別物であることは認識しておいてほしいと、ささやかに願う。ちょうど文献学と文学が別物であるように)。

 ひょっとしたら、批評的なパースペクティブにおいても、時間と空間について、私たちは固定観念を持っているかもしれない。いや、持っているはずだと信じて、マキャべリストの自分はその固定観念を積極的にバネとして使う場合もある。

時間的な固定観念とは、ヘーゲル的な単線的進歩史観。先にあったものより後に来たものの方が「進歩している」と考えてしまう錯覚を、私たちは抱きがちだ。このブログにしばしば登場してきたロラン・バルトやロブ=グリエは、先行する巨人サルトルとの対抗関係 / 補完関係にあった。パースペクティブは数直線ではなく、少なくともx軸とy軸のある平面的なマッピングで把握しなければならない。

サルトルの世紀

サルトルの世紀

 

 (書名が象徴的だ。面白くて2度熟読しているうちに、ちょっとした記述上の瑕疵を発見して嬉しくなり、BHLの訳者でもあった人に、2005年頃?にメールを差し上げたような記憶がある)

フランス・イデオロギー

フランス・イデオロギー

 

空間的な固定観念とは、「欧米」より日本が劣っていて、「欧米」が日本を認めれば民族的自尊心が満たされるがごとき日本特殊的な思い込み。「欧米」と日本をさまざまな観点から比較すると、その優劣の分布はまだらだ。当然「欧米」も一枚岩ではなく、文芸批評的に見れば、フランスは脱作者的、ドイツは親作者的。翻訳大国の日本と比べれば、文芸批評後進国に見える国も少なくないことだろう。

「決定版」として多くのものを終わらせた『神の影法師』が伝えようとしているのは、ここを「出発点」にしなさいとする更なる批評の旅への誘いであり、

 このように、ランソン流の19世紀的作家論に対して、20世紀の諸批評が継起的に発生する進化版であるかのように書いたが、歴史的根拠はしっかりあるものの、修辞学的な表現にすぎないことは積極的に認めたい。後者の卓越性を必ずしも主張しているものではない。発想の柔軟さが身上なので、個人的には、21世紀に19世紀的な作家論をやるのも人の好き好きだと思う。文学と文献学の境界について話しても、わからない人にはわからないし、その境界を絶対に越えてはならないという法はないだろう。

最初の引用部分で、カフカの作家論批判を書いたが、それはなるべく短く書くためで*1、念頭に置いていた『カフカ解読』は、「このミステリーが凄い」と言いたくなるほど、読んでいて興奮させられる文芸評論だ。膨大な資料を丁寧に読み取り、カフカの伝記的事実と作品を鮮やかに結びつけて不条理の霧を吹き飛ばし、生き生きとした等身大のカフカ像を蘇らせている。

カフカ解読 (新潮選書)

カフカ解読 (新潮選書)

 

親作家的なドイツでも翻訳出版された。なぜかネット検索では出てこないが、カフカに縁のある文芸賞を受賞したはず。

www.eurobuch.com

坂内正は昭和5年生まれ。ということは、「さすがは昭和一桁、仕事熱心だこと!」と敵のルパンからも賛辞を贈られたあの銭形警部と同世代ということになる。海外作家の翻訳小説について書いた文芸評論が逆輸入され、異国の地で文芸賞を受賞した例は、他にほとんどないのではないだろうか。

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時間的尺度による優劣も空間的尺度による優劣も固定概念であり、世界は無数の諸要素がまだらに点在し、それらが生成しては消滅する、壊れた万華鏡だ。パースペクティブを改めなければならない。

蓮実重彦は「フローベール研究をするのに日本人であることが障害にならないか」と問われて、「相手にすべき研究者は世界に20人程度で、その20人との勝負であるにすぎない」という意味のことをどこかで語っていた。

その批評手法が作家論的であれ、批評対象の作家が外国人であれ、真剣にやりさえすれば、照準のくっきり合った「世界」が見えてくる。そしてその「世界」は、努力次第では、決して到達不可能な雲の上の存在ではない。そこへ向かって文芸評論家が自分を駆り立てないことを正当化している理由は何だろう?

「世界」の側に立っている人々は、世界水準への到達可能性の高さをよく知っている。

日本語ができるできないにかかわらず、外国人による優れたミシマ研究がこれまでにいくつも邦訳されている。これが最も著名な評論になるだろうか。

 中期の重要な大作『鏡子の家』が、英訳仏訳がないために未読なのは、ユルスナールにとっては不利に働いている。ということは、日本人が真剣にやれば、作家論的批評であっても、ユルスナールに伍するような世界水準の三島読解が可能でないはずがない、と書いたところで、自分が嫌悪を寄せているのは、要するに「不真面目な作家論」だということが判明してしまった。

困ったことになった。

第一人者に喰らいついて部分的には良い勝負をした局面もあったが、こことここで書いた批評的エッセイが、どうしようもなく不真面目であることは、率直に認めなければならない。

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三島由紀夫全集を読破したのは19才の時。まともな文学研究の手法も知らないまま、メモも取らず、ただ好き放題に読んだだけ。そして、あれから四半世紀もたった今。古すぎるその記憶だけを頼りに、資料を手元に揃えきらないまま、論を書き進めている。

そのような論述環境の非研究者的なルーズさだけにとどまらず、自分が少年時代に心酔した三島由紀夫を、作家論的観点から、エロ・グロ・ナンセンスの狂人であるかのように描出してしまったこと*2や、尊敬している第一人者に部分的に卓越することを顕示するかのように書いてしまったことが、ひどく悔やまれる。よほどの事情がない限り、あのようには書かないのだけれど。

というわけで、いささかの自己嫌悪とともに、あの2つの記事に書いた三島読解の新機軸の「所有権」は、積極的に放棄したいと思う。使いたい人がいればクレジットなしで使用してかまわない。あんなことを書くために、自分はこれまで研鑽を積んできたわけではない。

今日の昼、知人と立ち話をしていて、少年時代にお会いしたことのある法学者が、大学生の頃から、地方都市の「杉丘市」で仲間数人と憂国忌を開催していたと聞いた。可能性の中心は別の場所にありそうだ。

「作者の中心から、可能性の中心へ」。これは今後容易には変わりそうにない自分の批評軸であり、時代や状況の変化に伴って、屋根の上についた風見鶏のように方角を変えたとしても、それは変節ではなく、アクチュアリティを追い求めつづける不変のベクトルだからだろうと想像してみる。

少年時代に、ほとんど父にも似た存在として自我形成の一翼を担った貴重な存在に、おそらく自分は「作者の中心」についてとは、まったく異なる言葉を返すことになるだろう。他人はどうあれ、それが自分の選んだ道だ。

*1:一晩で手のひら返しをしたように見えるかもしれないが、私個人が作家論的批評を支持しない理由は依然としてある。それについては別時に述べたい。ただそれを一般化したくはないということ。

*2:(『憂国』≒「愛の処刑」≒)「宝田明天皇ならすぐに死ねる」という三島の発言を、数日前に見つけてしまった。矮小化したがる勢力には格好の手榴弾だ。飛んできたら投げ返さなくては。

スター☆デラックス 宝田明

スター☆デラックス 宝田明

 

 

三島由紀夫の彼方へ

自分を理解している文芸評論家として、生前の三島はこの人の名前を挙げていた。全集の二度の編纂に携わった田中美代子が、三島研究の第一人者であることは疑いない。

三島由紀夫 神の影法師

三島由紀夫 神の影法師

 

 本が届いたので、自分のいくつかの断片的論考の答え合わせをするつもりで、昨晩目を通した。

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この辺り、またしても記憶だけで書くが、その序文の中で三島は、日本浪漫派を批判的に乗り越えようとする大岡信に対して、自分は「その滑り台を逆に滑り降りてしまった」に似た表現で、つまりは「ドンデン返し」に似た表現で、逆に強く魅了されたことを告白している。日本回帰を主題とした『絹と明察』は、皇軍必敗を祈念した(!)日本浪漫派の情念と深く関わっており、だからこそ三島の割腹自殺の主題群のすぐそばで書き上げられたのである。

「滑り台」の暗喩は記憶で書いたものだが、『鏡子の家』執筆中に書かれた『裸体と衣装』の中に、同じ記述が見つかった。

読者はたちまち、昭和十年代の精神的デカダンスから、自覚せざる敗北の美学へ、言葉の自己否定へ、デマゴギーへ、死へ、といふ辷り台を一挙に辷り下りることを強ひられる。

記述対象は大岡信『抒情の批判』で、そこで大岡信が批判しているのとは逆の方向性に、三島が日本浪漫派への方へ再接近したことも、田中美代子が丁寧に読み取っている。

その辷り台を辷り下りたのは、三島当人だけかもしれない。(…)

大岡はここで(…)むしろその辷り台を辷り下りることの危機を警告していたのだから。

 ただ、このときに逆向きに転換した思想遍歴が、『絹と明察』の核心にある「ドンデン返し」に直結していることには言及されていない。田中美代子が指摘するように、「聖戦哲学研究所」出身の「岡野」は、三島の小説にしては珍しくfirst nameを持っていない主人公である。まだ汲み尽くしていないもののありそうな小説だが、大岡信『抒情の批判』受容によって日本浪漫派への再接近を果たした彼の思想遍歴の繁栄を読むという拙論は、三島研究のこの局面を一歩前へ進められたかもしれない。

 『神の影法師』がやはり社交辞令なしの絶賛に値すると感じたのは、『太陽と鉄』の文脈付けの正確性と、終章の「単性生殖」に関する記述の奥深い踏み込みぶりが素晴らしいからだ。「三島は」と頻繁に書かねばならないのを避けるために、「彼は」という三人称を頻用しているせいで、どこか恋文めいた熱が籠っているように感じられたのも、好印象だった。全集だけでなくこの評論も「決定版」だろう。

『太陽と鉄』は、作者本人が「告白と批評の中間領域」にある言語群だとした詩的エッセイで、三島贔屓のドナルド・キーンらの取り巻きも、どう読むべきかを持て余し気味だった難解な作品だ。田中美代子は正確にも、三島が29歳の時に書いた短い『ジャン・ジュネ』に、その源流があることを解き明かす。三島はこう語っていた。

 ジュネは主観的な隠語で小説を綴った最初の男である。

 ジュネの汚辱の本能と汚辱の体験は、通念では決して代置できない一種の純粋体験であったから、彼は通念による表現をあきらめ、自分の血肉と化した隠語を用いて、孤独な表現上の純粋さに達したものと思われる。(…)彼は小説家であるより先に詩人であった。

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 私も上記の記事で、三島ミスティシズムが『ジャン・ジュネ』からメキシコ転回と『獣の戯れ』を経て『太陽と鉄』へ至ることを跡付けたが、それが「正解」だったことより、三島の核心を自分以外にきちんと読解できていた先人が存在していたことの方が嬉しい。数え切れないほどの白紙の答案や誤答を、これまで見せられてきたので。

終章の「単性生殖」も、並の女流文芸評論家からは抜きん出た分析に満ちている。三島は稲垣足穂を絶賛して、(自らは相手から辛辣な批判を受けながらも)、「男性の秘密を知っているただ一人の作家」として、「自らの愚行」を理解できる唯一の人間だと、生前述べていた。「女性でありながら」と書くと語弊があるが、その完全な理解に最も近い人間が、(稲垣足穂でもない他の男でもない)女性だったことに、率直な驚きを禁じ得ない。

 田中美代子は、三島論の終章を非ヘテロセクシャルの「単性生殖」幻想で締め括ろうとする。そして、またしても『ジャン・ジュネ』を召喚するのである。

ジュネの永遠の少年らしさは、野獣の獰猛な顔をした天使を思わせる。(…)ジュネは単性生殖をする。(…)泥棒と男色と裏切りとの彼のいわゆる聖三位一体のために、服務する。

 澁澤龍彦がその含意を知りながら注意を振り向けた短編『仲間』を、終章の幕切れに引用したところも見事だ。「仲間」は、文学的には何も拾うところのない、ほとんど手遊びで書いたような短編。ただし「エロティシズムの大家」澁澤龍彦の注目があったという脈絡で目を通せば、誰が読んでも『仲間』=ゲイ仲間としか読めなくなる作品でもある。

 田中美代子の『決定版三島由紀夫全集』の最後の月報は、『仲間』が「3人」であることを述べて、その結語としている。驚くべきことに、田中美代子には3がわかってしまう!(ただし3人目が「精霊」であるという解釈には、私は懐疑的だ)。

この3という数字が、実は三島文学を読解する上で、欠かせない鍵なのである。

 わかりやすく三角形に図示すれば、「エロスとタナトスの絡み合い」とかつて述べた両極を、頂点B「愛する / 愛される」、頂点C「殺す / 殺される」と言い直して、正三角形の底辺の両端とすれば、3つ目の頂点Aは「見る / 見せる」である。

三島偏愛の自作『憂国』は、Aの天皇からのまなざしが不可視なので、辺BCが際立っている。同工異曲の匿名ポルノ「愛の処刑」は、美少年の目前での切腹という筋書きなので、辺ACが中心線だ。

田中美代子が最後の最後で頂点Aを見失ってしまったのは、『獣の戯れ』を解釈する際に、誤って隣の引き出しを開けてしまったからだろう。隣の引き出しとは『午後の曳航』。その小説について、三島は澁澤龍彦にほとんど告白に近い手紙を送っている。

 ラストでは殺し場を二十枚ほど書いたのですが、あまり芝居じみるので破棄したものの、もっとも書きたかったのはそこであり、ボオドレエルのいわゆる「死刑囚にして死刑執行人」たる小生の内面のグラン・ギニョールであったのです。

 ここでの「殺し」とは少年たちによる継父殺しだから、田中美代子が『午後の曳航』にオイディプス・コンプレックスを読んだのなら理に適っている。しかし、『獣の戯れ』の3人は、フロイト的三角形ではなく、あまりにも三島的な別の三角形を形成していると読むべきだろう。では、どんな?

隣の引き出しに入っていた手紙であるにもかかわらず、そこに「死刑囚にして死刑執行人」という三島固有の強迫観念を、私たちはまたしても読まされたところだ。

やがて逸平を殺す「死刑執行人」であり、かつ、その罪で「死刑囚」となるだろう幸二。幸二と優子との不倫愛。そして、その不倫愛の性的狂態「獣の戯れ」を、失語症で状況理解力の乏しい夫の前で演じられるかどうかが、『獣の戯れ』の中心線だ。そこで失語症の夫は、不倫愛を犯す妻とかつての部下を「見ている」。

優子の唇は幸二の唇を闇やみくもに押し、ために二人の歯はぶつかり合った。こんな衝突のあとに肉の融和が来た。優子は進んで舌をさし入れ、幸二は温かい柔和な淀みの中に優子の唾を呑んだ。この間彼の耳は間断ない滝の響きに占められていたので、時がどれだけ移ったかわからなかった。

(…)逸平はこの時紛う方ない微笑を顔に浮べていた。それは出獄後の幸二がはじめて見た逸平の微笑と寸分変わりのない彼の新たな特質の表象で、今それが何を意味していたか、幸二にははじめてわかった気がした。

やがて、この三島的三角形は、接吻から発展して「失語症の夫の前で不倫愛の性交をするかどうか」にまで高まり、幸二が失語症の夫から「死。死にたい」という一言を引き出したことをもって、性交と殺人とが入り交じったグロテスクな劇を見つ見られつするクライマックスへと到達するのだろうが、『午後の曳航』と同じく、その凄惨なクライマックスは小説中で故意に省かれる。代わりにこんな謎めいた言葉が、無期懲役の女囚となった優子から洩れるのである。

本当に私たち、仲が好かったんでございますよ。私たち3人とも、大の仲良しでした。

そう、3人は「仲間」だったのである。頂点A「見る / 見せる」と 頂点B「愛する / 愛される」と頂点C「殺す / 殺される」が作る三角形が、『獣の戯れ』でその聖三位一体の全貌を現していたことは間違いないだろう。

『獣の戯れ』の次に三島的三角形の全貌が現れているのは、その4年後に書かれた「月澹荘綺譚」という短編だろうか。小説を要約する。

戦前の或る若き侯爵が、茱萸(ぐみ)の実を摘んでいた精神薄弱児の少女を見て、下男に少女をレイプさせ、それを熱心に観覧する。やがて侯爵は不審死するが、その死体の両目は抉りとられ眼窩には赤い茱萸の実がぎっしりと詰め込まれている。

レイプ、観察、死。頂点Aが際立って前景化されているものの、愛と死とまなざしの錯綜する三島的三角形の全貌はしっかりと描き込まれている。

そのような周縁的な著作から拾い上げるだけでは物足りないという人は、最高傑作の『春の雪』で、「清顕と聡子の間にある愛」「病気による清顕の夭逝」「二人を見守っていた本多」作っている三角形を思い浮かべてもらってもかまわない。

頂点Aをなしていた本多はとうとう最終巻『天人五衰』では80歳となり、若き恋人たちの交情を覗く老残の窃視者として三角形の頂点Aを形成しつづけ、あえなく逮捕されるのである。

自分がいくつか書いてきた批評的スケッチを、三島研究の第一人者の分析と照合しながら、「三島的なものの解明」という巨塊を、少しだけあるべき方向へ前進させてみた。

「作者の肉声」をふんだんに取り込んできたので、作家論的批評が好きな人には心地よかったかもしれないが、スケッチを終えて、恐ろしいほどの徒労感に襲われていることを告白したい。

カフカの『変身』は、作家の伝記的事実に照らせば、「お金にならない文学ばかりにかまけて、この穀潰し虫!」という家族からの罵倒に由来する。「ブルームフェルト、ある中年の独身者」という短編で独身男が2つのボール(だけ)に付きまとわれ、『城』の主人公Kがついに城に到達しないのは、婚約者がありながら未婚で生涯を終えたカフカの「性的不能」の反映だともされる。嗚呼、これらの作家論的読解の絶望的なつまらなさよ!

冗談じゃない。そこに「カフカの小説を読むこと」は決して存在しない。どこかで語ったように小説を酒に譬えれば、「酒による酔い」の得がたさを語るべきはずの場面で、酒瓶のラベルを読み上げるのは、プロの酒評論家のするべき仕事ではないと思う。ラベルは誰にでも読めるように書かれている。

(いや、酒のラベル好きが嵩じてラベル収集を趣味にする人がいたっていい。ただ、「ラベル収集」と「酒による酔い」が別物であることは認識しておいてほしいと、ささやかに願う。ちょうど文献学と文学が別物であるように)。

ここまで作家論的批評のスケッチを描いてきたのは、とりわけ三島に関しては、どういうわけか不見識だらけ、誤解だらけ、不真面目だらけの作家論的批評を、少なくともこの作家に限定した範囲では、終わらせてしまいたいと考えたからだ。

小説において、図式性や劇的構成度や諸要素の制御力が並外れて高く、それらを語る「作者の肉声」などの二次テクストがふんだんに残存し、伝記的事実の氾濫にも事欠かない。確かに、三島由紀夫は最も作家論的批評を誘発させやすい作家だが、『神の影法師』は、すでにその領域の多くを終わらせてしまった。田中美代子がしきりに「彼は」と書いた方角に、もはや三島由紀夫を作家論的に生かす新たな道はなくなってしまったことを、再確認しておこう。

もし現在も尚、三島を読むことにアクチュアリティがあると考えるなら、「彼の方角」を二文字に縮約して、作家論的批評の「彼方」へ向かうほかない。「決定版」として多くのものを終わらせた『神の影法師』が伝えようとしているのは、ここを「出発点」にしなさいとする更なる批評の旅への誘いであり、そう解釈できるだけの度量が後に続く者に求められているという前提であるように感じられてならない。

 

 

(6/3分)

麒麟が日本に降り立つ日を待ちながら

「キリン」と書くと、誰もがあの首の長いアフリカの偶蹄目を思い出すことだろう。アルコール好きなら瓶ビールが思い浮かぶかもしれない。

www.kirin.co.jp

同じく背丈は高いが、これから話し始める「棄林」とは管理放棄林のこと。田畑が荒れれば耕作放棄地、人の手が入らずに森林が荒れてしまったら管理放棄林と分類するとわかりやすいだろうか。日本の国土のいたるところに耕作放棄地が点在しているように、棄林の割合も相当高いらしい。しかし、データすらない。

浪人生時代、親元を離れて広島の予備校の寮にいた。意外にも広島の山間部の高卒生が多く、そのうちの何人かとは雑談したり漫画を回し読みしたりして仲良くなったが、実家が山あいに広大な土地を所有していた彼らが、大学卒業後に帰郷して、林業に就いている姿は想像しにくい。

その後の自分はもっぱら本ばかりを読む人生を送ってきたので、あの1年間限定で読んだ漫画は、今でも印象に残っている。中川いさみ吉田戦車などの不条理ギャグ系が面白かった。自分はその後、東京の大学を卒業して、東京で働き、地元の四国へ戻って仕事をしている。だから、漫画とは四半世紀再会していないことになる。しかし思いがけず、先日ばったり寿司屋でラジオに再会した。正確には「ラヂヲさんをお見かけした」と書くべきだろう。それ以上接近はしなかったが、この四半世紀の自分の人生を振り返るきっかけにはなった。

これはきっと話す相手を選ぶ話題だと思う。それでも書いてしまうが、この町に帰ってきてから、年に数回の割合で幻聴が聞こえるようになった。30才を過ぎると男性は脳や身体が変わってくるというし、いつか「ぼくがラジオだった頃」というエッセイ集でも自費出版できれば、と前向きに考えていたのだが、「杉丘市」でいちばん有名な坂道を不動産屋へ向かって歩いていて、ラジオの電波を受信してしまったときは、酷く落ち込んでしまった。

それは、結婚しようと考えていた彼女と同棲先のマンションを内見した帰りのことだった。司馬遼太郎の『坂の上の雲』の由来ともなっている坂道をゆっくりと登っていた。歩いていたのは左側の歩道だった。すると、車道の上空の方角から、声というべきかイメージというべきか、或る組織の20代後半くらいの男が「あれをこうやって、こうすれば、あそこにも盗聴器を付けられる。OK。」とひとりごとを言っている様子が脳裡に舞い降りてきた。彼のいう「あそこ」とは、彼女との新居になるはずだったマンションの一室。同棲は諦めた。見えないはずのものが見え、聞こえないはずのものが聞こえる私を、彼女は気が狂っていると受け取っていたようだった。彼女はある日ふいに姿を消し、それ以来一度も会っていない。

恋人にほとんど何もしてあげられないほど、どうしようもなく無力だった自分。

「 もし俺がヒーローだったなら」と歌うハスキーボイスを、少年時代によく耳にした覚えがある。それをもじって「もし俺がイチローだったなら」という条件節に代えても、自分の中ではさほど意味は変わらない。「翼の折れた天使」を気取るつもりはないが、もし自分があの名選手くらい、少年時代から自分が心に決めた道に打ち込み、たゆまず研鑽を積んでいれば、少なくとも、好きな恋人の笑顔に毎日接することのできる人生を送れたはず。日常生活のふとした時に、そんな後悔がよく去来する。

 イチローの素晴らしさは、打撃や守備だけでなく「寝かせ方」にもあると思う。(0:35くらいから) 

www.youtube.com

イチローが愛用しているバットはMIZUNO製。彼の世界的な活躍を支えているのは、イチローにも勝るとも劣らないストイックな美津濃の職人たちの求道心である。100本のバットを最高度の技術で作っても、原木の質の問題で、プロ選手が使う水準に到達するのは1本か2本だという。

corp.mizuno.com

ミズノの職人たちを始め、自分を支えてくれるすべての人々に尊敬と感謝の念を抱いて、イチローはそのすべてをあのバットのようにそっと大切に扱う。イチローの偉大さは、四球出塁時に最も輝いているとも言えるだろう。

自分はバットではなくペンを握る種族だが、この1本のペンがペンとしてあるために、労を惜しまず支えてくれた人々には尊敬と感謝の念が尽きない。このペンを決して投げ棄てたりはしないつもりだ。

イチローのバットの原木でもあるアオダモが、その数を急激に減らし、異なる原木に素材を求めなくてはならなくなっているらしい。しかし、その植生の偏りを改善すべく、野球ファンを中心に植樹活動が続けられている。

www.youtube.com

 棄林だらけの日本の森林でも、美しい日本の自然と共生しようとする新しい動きが芽吹いている。

www.biomass-tour-maniwa.jp

岡山県真庭市では、以前ならコスト高で足枷になっていた間伐材や未利用材を、木質バイオマス発電の燃料として活用し、中国電力へ売電することによって、地域を活性化することに成功している。かつての木材輸入の自由化が日本の林業を壊滅させたが、「棄林」に知恵と手を入れて日本の林業を守る道や生かす道は、まだまだいくらでも残されているようだ。

いつか無くなるであろう「棄林」という漢字を消去すれば、変換候補は「麒麟」だけになる。あの麒麟麦酒のラベルに描かれているのは、実は想像上の架空の動物であることをご存知だろうか。

どのような姿をした動物なのかはラベルを見てほしい。中国では神聖視されている獣で、中国の為政者が仁のある政治を行うと出現するという伝説があるのだとか。

jack8.at.webry.info

麒麟が日本に現れたことは? 「ある」と答えておこう。麒麟麦酒の前身の会社社長はあのグラバー邸のグラバーで、龍馬の知人である岩崎弥太郎に出資を受けたこともあって、龍馬をイメージしながら、龍の頭を持ち馬の胴体を持った麒麟ロゴマークに選定したらしい。

これを読む若い人々に向けて、日本一の森林率84%の土佐藩出身で、この国を大きく変えていった男の名言をいくつか引用しておきたい。どんな窮境にあっても、絶望してはいけない。世界は変わるし、変えられる。

世の人は我を何とも言わば言え

我が成す事は我のみぞ知る

時勢に応じて自分を変革しろ

人の世に道は一つということはない。

道は百も千も万もある。

事をなさんとすれば、

智と勇と仁を蓄えねばならぬ。

 

 

 

(6/1分)

海峡が夕暮れた後

巷のニュース番組では、王子様の話や獣医学部の話で持ちきりらしい。

獣のような美しきプリンスへの嗜好を剥き出しにした処女作を書いたのは、ジャン・ジュネだった。牢獄で書き上げ、そののち再投獄されると、その才能に惚れぬいたジャン・コクトー減刑の嘆願書を集めたのは有名な話だ。処女作の名は『花のノートルダム』。

花のノートルダム (光文社古典新訳文庫)

花のノートルダム (光文社古典新訳文庫)

 

 今晩はもう少し気品ある王子様の話をしたい。

夏の甲子園で、品の良さが評判になった優勝投手がいた。投球の合間に尻のポケットからハンカチを取り出して、滴る汗を拭うさまは、規律正しさと育ちの良さを感じさせた。大学に進学したのち、プロ野球投手となるが、数年で肩を痛めて、ピッチングの成績は暗い沼へ沈んでいってしまったらしい。ただ、順風満帆の人生を歩んでいた時の彼には、その輝きを忘れられない名言もあった。

大学野球最後のリーグ戦で優勝した時のインタビューで、彼はこう観衆に呼びかけた。

本当に、いろんな人からも、斎藤は何かを持っていると言われ続けてきました。

ただそれが、今日、何を持っているのか確信しました。それは仲間です。本当にこうやってチャンスを回してくれた仲間がいて、

こうやって応援してくれる仲間がいて、慶応大学という素晴らしいライバルがいて、ここまで成長できたと思っています。ありがとうございました。

www.youtube.com

(1:37くらいから)

好きなスポーツは?と訊かれて野球と答えたことはほとんどない。しかし、スポーツが嫌いなわけではなく、大学生時代は身体も若かったので、晴れ渡った日曜の朝には外に出て青空を見上げ、無性にスポーツをしたい欲求を感じたものだ。日曜の朝には、いつも遠くで教会の鐘が鳴っていたような記憶がある。
cathedral-sekiguchi.jp

その教会とは、文京区関口にある東京カテドラル教会で、設計者が世界の丹下健三であることを後で知った。丹下健三はあの都庁庁舎を設計した建築家でもあり、その後期代表作が竣工してしばらくたった頃、建築好きな自分は自転車に乗ってその威容を見物に行った。
www.yokoso.metro.tokyo.jp

一見して「デジタル・ノートルダム」だなという感想を抱いたが、それはあながち的外れでもなかったらしい。

www.tripadvisor.jp

「世界の丹下」が円熟期の大作として、日本の中心に唐突にパリのノートルダム寺院を引用した理由が、当時も今もよくわからないというのが門外漢の率直な印象だ。ただ、最近出た新書を読むと、都庁舎の構想のスケッチには、ノートルダム寺院よりも先に、ニューヨークの世界貿易センターのツインタワーのイメージがあったらしい。

丹下健三――戦後日本の構想者 (岩波新書)

丹下健三――戦後日本の構想者 (岩波新書)

 

 ツインタワーについては、かつてこの記事で、ボードリヤールが建築論的な饒舌を語っていたのを取り上げたことがある。

d.hatena.ne.jp

 丹下健三の「デジタル・ノートルダム」には、ボードリヤールのツインタワー論は該当しないように思えるが、「起源に関するあらゆる準拠の喪失を意味する」という部分は、偶然、東京都庁舎への主な批判と符合している。ポスト・モダン的なノートルダム寺院の引用以外に、ランドマークたるべき形象はなかったのか、とあらためて問いたくもなるが、そのような問いは急激に重要性を失った。今世紀の始まりとともに、ニューヨークの世界貿易センタービルは、双塔ともに、グローバリストたちによる中東戦争惹起目的の偽旗作戦によって、崩落させられてしまったからである。悪辣な1%たちによって破壊されないことの方が、建築にとってより重要であることが明らかになってしまった。

 軍産複合体の巨大すぎる体躯に養分を送り込むために、戦争が次々に起こされる。

そのような戦火に薙ぎ払われた焼け野原から、丹下の建築家人生は始まった。敗戦の翌年には、広島と呉の復興都市計画を担当し、コンペに勝って広島平和記念公園も設計した。建築家人生における最高傑作は、東京オリンピックの国立代々木競技場体育館だったとも言われている。日本の復興と戦後の繁栄と並走しながら、世界水準へ到達した建築家だった。

あのリー・クアンユーと協働してシンガポール都心のマリーナ・サウスの開発を手掛けたり、東京の臨海部に「東京特別市」の設立を提唱したりしたことから、丹下健三にはどこか海辺の建築の人というイメージがある。それは故郷の今治市が海峡の街だからかもしれない。海辺を離れる「動く建築」、つまりは造船の町でもある。

好きな街は?と訊かれたら、自分は今治と答えることにしている。本州へ向けて11の巨大な橋梁がかかり、渦を巻く海峡の青と、点々とつながる島並みの緑とのコントラストが美しい。絶景を味わいながら走行できる自転車道尾道まで整備されているので、自転車乗りの聖地でもある。

海峡の青と緑の島並みを展望できるどこかで、風に吹かれてしばらく物思いに耽りたい気持ちもある。そのとき自分のポケットには、いつものあのハンカチが入っていることだろう。

www.i-ori.jp

藍緑と紫紅のリバーシブルを何枚も使い回して愛用していて、私は勝手に、前者が日本晴れの海峡、後者が夕暮れの海峡だと解釈している。勝手につけたブランド名は「KENZO TAKADA」ではなく「KENZO TANGE」だ。彼のような偉大な先人たちが、この国を支えてくれたのだと感じる。

ふとこんな小説の一節が思い浮かぶ。

路彦の永い沈黙に、何とか正確に言葉を返そうとして、琴里が言い添えた。

「…だから、今ここにこうしている」

 別れ別れになる運命にある女が、無償の献身を捧げてくれたという事実が、感じやすくなっている路彦の心にひどく愬えた。返すべき言葉を言葉にできないまま、彼は握っている彼女の手に、感謝の返礼の思い入れを込めて、きつい握力を返した。そんなことしかできない自分の無力さに、忸怩たる思いを感じながら。

こんな風に、支えてもらった相手への感謝の言葉を連想してしまうのは、昭和の先人たちへの感謝だけでなく、「王子」が汗を拭っていたハンカチが、彼の高校野球仲間からもらった今治産だったせいもあるかもしれない。

頑張っていきまっしょい。高校時代に仲間たちと声を合わせた掛け声を呟きながら、夕暮れの海峡を眺め終わると、夜が来る。

巷のニュース番組では、王子様の話や獣医学部の話で持ちきりらしい。それとは違うことを書こうとして、結局は同じようなことを書いてしまった。

saigaijyouhou.com

本当は、マスマディアによるスピン報道の裏でむざむざと殺されてしまった種子法について書くべきだったのかもしれない。この国が守らなければならないものが、もたひとつ葬られてしまった。丹下健三が輝いた高度成長期とは違って、この国の闇は深い。

ただ座して待つのではなく、光を求める誰もが、自らの意志と足で、夜明けの方向へ歩いていかなければならない。汗が流れればハンカチで拭けばいい。一緒に歩きつづけよう。

 

 

(5/30分)

 

 

 

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メキシコ帰りの魅死魔幽鬼夫

あれからもう10年以上が過ぎたのか、と思わず溜息が洩れてしまうが、溜息であれ何であれ、呼吸しつづけて生き延びる最低限の義務は果たしてきたので、次の一呼吸をふっと吐いて、2005年に自分がこんな言葉を吐いた記録が残っていると書き始めることにする。

と云っても、自分も1970年以後に生まれた人間の一人であり、十代の終わりにミシマを耽読するうちに、いつのまにか伝記的事実を携えたままテクストへ分け入ってしまい、そこで掘り当てた幾筋かの鉱脈を記すことによって、いつか三島研究に新しい一頁を書き加えることができるだろうと夢想した子供らしい過去を持ってもいる。

d.hatena.ne.jp

最近にさらに一歩踏み込んで、その「新しい一頁」についてこう書いた。

 自分は19歳で三島由紀夫全集を読破するという風変わりな少年時代を送った。世に無数にある三島論のおおよそに目を通すうちに、文芸評論家の無理解に晒されて、論じ残されている空白の重要論点が4つあるのではないかと、20代の頃から考えてきた。

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この4つの空白について、簡単なデッサンを示したほうがいいとの声が聞こえたような気がしたので、取り急ぎ今日の午前中に図書館へ行って、関係書を借りてきた。

4つの空白とは、押韻された「女という禁忌」の系譜、日本浪漫派への晩年の急接近、エロスとタナトスの結合を生んだメキシコ転回、ジュネ的単性生殖。

前者2つについては、上記のリンク先ですでに簡単な素描を描いた。後者2つについても、あの三島のことだから、誰かが先に書いていてもおかしくない、というか、誰かが先に書いていないのはおかしいほど、関連図式は明確に作品群に露出している。それらを読み取るには、単に、作家の人生上の実録と作品群の発表時期を突き合わせて、作者の人生の反映を作品に読み取ればよく、19世紀的批評方法を選び取ろうとする自分の時代錯誤な鈍感さを、甘やかしてやる寛容さがあれば尚よい。

リストはさほど長くない。

1953年 『ジャン・ジュネ論』

1955年 吉岡実『静物』私家版頒布

1957年 ニューヨークやメキシコを回った海外旅行

1959年 『鏡子の家

1960年 『熱帯樹』、「愛の処刑」

1961年 「憂国」、『獣の戯れ』

半世紀前、海外旅行はごく少数の日本人だけが可能だった一大事だった。ニューヨークで隆盛を極めていたミュージカルを日本に紹介したのも、三島が最初だったらしい。初めての世界一周旅行では、「世界的見聞が作家をいかに変えたか」という国民的期待に応えて、三島は律儀に「ギリシア転回」を宣言して、ダフニスとクロエを日本に移植した『潮騒』を世に送り出した。

二度目の世界一周旅行では、しかし、出国前と帰国後の三島の大きな変容に注目した人々は少なかったようだ。その変容を「メキシコ転回」と名付けて、それが「熱帯×エロス×タナトス」という掛け算に要約できそうだと予告しておこうか。

といっても、メキシコの紀行文『旅の絵本』の冒頭から、三島はその掛け算をしか語っていない。

熱帯と死の情緒とは、私のいつに渝らぬ主題であるけれど、どうしてこの二つが緊密に私の中で結びついてしまったのかわからない。

 「熱帯」という主題は、その数行後で「夏」という別の語で変奏される。

トルテックの「死の神殿」が、圧えつけるようなすさまじい夏の日光の下に草蒸しているのを見たとき、私はこのような夏のさかりにこれを見たことに喜びを感じた。

サルトルの嘔吐、レヴィナスの嘔吐、セリーヌの嘔吐、大江の嘔吐。どういうわけか世界の作家は嘔吐をそれぞれ独創的に主題化することに注力してきたが、三島の嘔吐はこれだ。

熱帯における死がどんなものであるか私にはおぼろげながらわかるような気がする。元気なとき、ハイチの首府ポートオ・ブランスの風光は私を喜ばせていた。しかし一度病んで身を動かすのも物憂くなると、リヴィエラ・ホテルのあらゆるたぐいの熱帯植物が繁茂している庭の眺めに嘔吐を催した。(…)そのとき私はこれら植物や動物の、旺んないやらしい自然の生命力に圧倒されかかっている自分を感じた。もし私がそこで死ぬとしても、死ぬときも多分同じことにちがいない。それは死に押し倒されると感じることではなくて、無意味な過度のいやらしい生命力に押し倒されると感じることにちがいない。

「熱帯×タナトス」の掛け算はやすやすと見えるが、そこに掛かってくるはずのエロスを見失って辺りを見回している人には、その8年前に書かれた出世作仮面の告白』の「私」が、早熟な同級生男子に性的興奮を覚える場面を想起してほしい。文体には洗練を欠いた執拗さがあるが、そこで反復されている「夏」のイメージも同じなら、語られている主題も同じだ。

 彼のむき出された腋窩に見られる豊穣な毛が、彼らを驚かしたのである。それほどおびただしい、殆ど不必要かと思われるくらいの・いわば煩多な夏草のしげりのような毛がそこにあるのを、おそらく少年たちははじめてみたのである。あれは夏の雑草が庭を覆いつくしてまだ足りずに、石の階段にまでおい上ってくるように、近江の深く掘り込まれた腋窩をあふれて、胸の両脇へまで生い茂っていた。(…)生命力、ただ生命力の無益な夥しさが少年たちを圧伏したのであった。生命のなかにある過度な感じ、暴力的な、全く生命それ自身のためとしか説明のつかない無目的な感じ、一種不快なよそよそしい充溢がかれらを圧倒した。ひとつの生命が彼自身のしらぬまに近江の肉体へ忍び入り、彼を占領し、彼を突き破り、彼からあふれ出で、間がな隙がな彼を凌駕しようとたくらんでいた。生命というものはこの点で病気に似ていた。荒々しい生命に蝕まれた彼の肉体は、伝染を恐れぬ狂おしい献身のためにだけ、この世におかれているものだった。 

 これで掛け算の数式は完成した。 このメキシコ転回という掛け算の構造が、メキシコ訪問後の三島の作家人生において、上記にリストアップした代表作を勢いよく産出していくことになる。

まずは『鏡子の家』から。個人を書いた不朽の金字塔『金閣寺』の後、時代を書いた渾身の大作『鏡子の家』が世に不評をもって迎えられたことを、三島はひどく嘆いていた。作家論的評者が好んで引用するのが、大島渚との対談で洩れた珍しい弱音。

鏡子の家」でね、僕そんなこというと恥だけど、あれで皆に非常に解ってほしかったんですよ。それで、自分はいま川の中に赤ん坊を捨てようとしていると、皆とめないのかというんで橋の上に立ってるんですよ。誰もとめに来てくれなかった。それで絶望して川の中に赤ん坊投げこんでそれでもうおしまいですよ、僕はもう。あれはすんだことだ。まだ、逮捕されない。だから今度は逮捕されるようにいろいろやってるんですよ。しかし、その時の文壇の冷たさってなかったんですよ。僕が赤ん坊捨てようとしてるのに誰もふり向きもしなかった。

この「赤ん坊」が何の暗喩なのかが、作家論的立場に立つ評者たちによって取り沙汰されることが多い。 曰く、赤ん坊の無垢に通じる作中の「夏雄」的な芸術家の立場であるとか、さらに雑駁には三島自身であるとか。「作者の肉声」が作品にどのように反映されているのかを金科玉条視するなら、肉声の反映をもっと丁寧に読み取った方がいいだろう。

 『鏡子の家』では、「鏡」をなす鏡子の家に屯する4人の若者たちが、失寵に見舞われるかのように人生の道を踏み外して、次々に転落していく。

ボクサーの峻吉は、チャンピオンに輝いたものの、つまらない喧嘩で拳を粉砕骨折してボクサーを廃業し、右翼の活動家へ転身する。

美貌の演劇青年だった収は、ボディビルで美しい肉体を手に入れたが、その肉体に刃物で傷をつけたがる醜い高利貸しに恋をして、心中してしまう。

世界の破滅を信じて疑わない清一郎は、そのニヒリズムが嵩じれば嵩じるほど現実世界での栄達に預かるが、栄転先のニューヨークで妻がバイセクシャルと姦通してコキュとなる。

将来を嘱望されていた新進画家の夏雄は、神秘に囚われて食事も通らないようなスランプに陥るが、小説の終章で何とか回復する。

まるでかくれんぼでもして、戦後の繁栄の無機質な輝きから故意に遠ざかろうとするように、4人全員が暗がりの方へ、死に近い領域へと吸い寄せられる。夏雄は回復したのではなかったか? 夏雄は自分の人生の行き先をこう説明していた。

「メキシコへ行くんだ。(…)日本画家も、ああいうギラギラした色彩の国へ行くほうがいい、美術館より自然のほうがいい先生だ、って、これは僕の考え出したことなんだよ」 

夏雄は「熱帯×エロス×タナトス」の答えを探しに、メキシコへ旅立つのである。

 先の対談で三島は「いま川の中に赤ん坊を捨てようとしていると、皆とめないのかというんで橋の上に立ってるんですよ」と『鏡子の家』を寓意的に語っている。有名な幕切れの場面は「捨てるか捨てないか」の問いを宙吊りにしたオープン・エンディングなのである。

 玄関の扉があいた。ついで客間のドアが、おそろしい勢いで開け放たれた。その勢いにおおどろいて、思わず鏡子はドアのほうへ振向いた。

 七疋のシェパードとグレートデンが、一度きに鎖を解かれて、ドアから一斉に駆け入ってきた。あたりは犬の咆哮にとどろき、ひろい客間はたちまち犬の匂いに充たされた。 

 これがオープン・エンディングであることを理解するには、鏡子が、ニヒリズムに吸着されて暗い領域へ引き寄せられた男4人とは、対蹠的な生き方を選んだことを読み取らねばならない。小説の終わり際で、鏡子は夏雄にこんな長広舌を披露する。

「人生という邪教、それは飛切りの邪教だわ。私はそれを信じることにしたの。生きようとしないで生きること。現在という首なしの馬にまたがって走ること、……そんなことは恐ろしいことのように思えたけれど、邪教を信じてみればわけもないのよ。(…)くりかえし、単調、退屈、……そういうものはどんな冒険よりも、長い時間酔わせてくれるお酒だわ。もう目を覚まさなければいいんです。できるだけ永く酔えることが第一。そうすればお酒の銘柄になんぞに文句を言うことがあって?」

「内在」と「超越」でいえば、男4人たちは「超越」に吸い寄せられて四散した。女の鏡子だけが「内在」の領域にとどまって、「邪教」と知りつつも虚妄の戦後を受け入れ、目を瞑って生きることを選んだのである。

 そんな折り、海の向こうで戦争が始まる。別居状態だった鏡子の夫は、戦争が始まった途端「無気力を排して」朝鮮戦争で一儲けして、「鏡子の家」へ戻ってくるのである。あの「犬たちをつれて」。

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三島由紀夫と親交の深かった「エロティシズムの大家」澁澤龍彦は、三島のセクシュアリティのありようを「道徳的マゾヒズム」と分析した。澁澤龍彦はまた、吉岡実を高く評価してもいて、彼の戦後初の詩集『静物』(「犬の肖像」所収)は、私家版のみの発行だったものの、澁澤を経由して三島の目に触れた可能性が高い。あの「七疋のシェパードとグレートデン」は物言わぬ戦死者たちの暗喩だろう。そう考えなければ、作者が語ったような両極の間を揺れるオープン・エンディングが成立しない。

「人生という名の邪教」を信じた新参の戦後肯定論者が、戦死者として帰ってきた犬たちへ振り向いて対峙する。そのコントラストの妙をもって、小説は終わる。「捨てるか捨てないか」の宙づり状態にあった対談中の「赤ん坊」は、戦中派のニヒリズムとは対極にあった「戦後を信じて<内在>を生き延びる人生」だったと言うべきだろう。

小説の幕切れで戦死者として帰ってきた「犬」が、澁澤龍彦による「道徳的マゾヒズム」という称号を裏書きするかのように、三島によって「受苦」のイメージと結びつけられていることにも注意しなければならない。

鏡子にはふしぎな確信があった。道で夫婦連れや恋人同士とすれちがう。男のほうが鏡子に一瞥を投げる。すると鏡子は、男が本当は自分の妻や女よりもずっと鏡子を欲していながら、我慢しているのだということを痛いほど感じる。すべての男の、我慢している目つきが鏡子は好きであった。良人はこの目つきを持っていなかった。そればかりではない。良人のほうにも同種の嗜好があって、ただ我慢している目つきを愛したがために、あれほど沢山の犬を愛したのかもしれない。おお! それを考えるだけで身ぶるいする。そんな想像をしてみるだけでも身ぶるいする。

とうとう「犬」という記号を媒介に、「死」と「受苦」と「道徳的マゾヒズム」が結びついてしまった。その先に、天皇であれ、美少年であれ、絶対的な対象への或る倫理的決断として、主人公が切腹するに至る『憂国』と匿名ポルノ「愛の処刑」があることは、もはや動かしがたい支配的な読みといっていいだろう。

さて、メキシコ転回の話だった。あれ以後、「熱帯×エロス×タナトス」の数式から生まれた熱帯植物が、作品群を横断する形でその蔓を伸ばして繁茂しているさまがうかがえる。『鏡子の家』では夏雄の旅先の「ギラギラした色彩の国の自然」として予告編のようにその片鱗を見せたかと思うと、『熱帯樹』では近親相姦だらけの破滅的な家族劇を司るかのようにその中心にいやらしく聳え立ち、『獣の戯れ』では伊豆に温室まで用意させて鮮やかに生い茂って見せた。

『獣の戯れ』。不思議な読後感を残すこの異色の小説については、その独特の静謐が「能」に由来することをここで語った。

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しかし、この小説から能の影響を差し引いて眺めると、その独特の佇まいが、どのような西洋的構造によって練り上げられたものかが見えてくるはずだ。『獣の戯れ』は、能の「求塚」のように、必ずしも一人の女を二人の男が取り合う話ではないのである。

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ここに書いた近代のアポリアについての、最初の誘導問題を思い出してほしい。「①私が私を書くとき、書かれる私が他者になってしまうのはどうしてなのか?」

「最後の一行が決まらないと書き出せない」を口癖にしていた意識家の三島は、その小説技能の高さが逆に災いして、「書く私」と「書かれる私」の不可避の分裂に無自覚な楽天的芸術家だったと過小評価されることが多い。しかし、それは誤答だ。

29歳の三島は、ジャン・ジュネ論の一隅で、上記の誘導問題に言及し、あっと声が出てしまうような独創的な解答まで提出している。

ボオドレエルが、死刑囚たり死刑執行人たる兼任を自覚したとき、彼は表現という行為がいづれは陥る相対性の地獄を予知していた。そしていづれは、表現のかかる自殺行為が、表現乃至は芸術行為を救済する唯一の方途になるであろう逆説的な時代を予感していた。

あの近代のアポリアを「相対性の地獄」として見据えた上で、三島はジュネ的な「単性生殖」のみが、その地獄をくぐり抜けられる魔術なのだと豪語する。再読して、これを29歳の若さで書いていたのか、という驚きが強い。まるで45歳で切腹するまでの三島の芸術家人生の透視図のようだ。詳細な言及は別の機会に譲って、結論を急ごう。

ボードレ―ルの「死刑囚であり、且つ死刑執行人であること」という一片の詩句が、2つの三島的なものを生成したのを、私たちはすでに知っている。

1つは『獣の戯れ』。最終的に夫の逸平を殺した罪で、妻の不倫相手の幸二は死刑囚となるが、主題論上では、逸平が「精神」を受け持ち、幸二は「肉体」を受け持っているので、二人は同一存在だ。「死刑囚であり、且つ死刑執行人であること」のこれ以上ない直叙的なプロット化が完成されている。

もう1つは『憂国』。道徳的マゾヒズムによって、絶対者から降りてきたと想定する倫理違反による罪を、切腹という受苦をもって応えるのである。「死刑宣告」が自らによってなされているのが特徴的だ。そうでなければ「死刑囚であり、且つ死刑執行人であること」へ到達しないからである。

文化の本当の肉体的浸透力とは、表現不可能な領域をしてすら、おのづから表現の形態をとらしめる、そういう力なのだ。世界を裏返しにしてみせ、所与の存在が、ことごとく表現力を以て歩み出すことなのだ。

三島はそのようにジュネの世界創造の異能の力を称えた後、創造の原動力が性欲であるジュネが、彼の世界にどんな物象を生み出しているかを紹介する。

……私はその頃、今述べたような精神の贅沢極まる超脱の結果、針金に一つだけ棄て置かれてあった洗濯挟みを見た時、或る絶対的な認識について啓示を受けたと思ったのだった。この誰でも知っている小さな物品の優雅さと奇異さが、わたしを少しも驚かさずに、わたしに顕われたのだった。

(強調部分は本文では傍点)

三島は『獣の戯れ』で、性欲よりも死への誘惑に近い場所に立って、洗濯挟みに対抗して、スパナとサンダルで応戦している。

幸二はあの晩、浦安の森に置いてきた彼の下駄と喜美のサンダルを思い出した。あれはぞんざいに脱ぎちらしてきたので、心中の場面に残された履物とまちがえられることはないだろう。上げ潮があれをそっくり水に浮べ、引き潮が外洋へ運び出してくれればいいが、さもなければ、下駄とサンダルは廃船のように、水に半ば浸されたままに朽ちるだろう。やがてそれは隈なく蝕まれて、船虫の棲家になるだろう。それは下駄でもサンダルでもなくなり……、一度は人間に属してもう人間のものではなくなった、この地上の不気味な不定形な物象の大群のなかへ融け入ってしまうであろう。

そして一度目の傷害事件で逸平を失語症へ追いやったスパナには、姦通小説の凶器には似つかわしくない哲学的言辞が連ねられる。

幸二はのちのち刑務所の中で、何度となくこの瞬間の発見について考えた。スパナはただそこに落ちていたのではなく、この世界への突然の物象の顕現だった。(…)われわれの意志ではなくて、「何か」の意志と呼ぶべきものがあるとすれば、それが物象として現れてもふしぎはないのだ。その意志は平坦な日常の秩序をくつがえしながら、もっと強力で、統一的で、ひしめく必然に満ちた「彼ら」の秩序へ、瞬時にしてわれわれを組み入れようと狙っており、ふだんは見えない姿で注視していながら、もっとも大切な瞬間に、突然、物象の姿で顕現するのだ。

「平坦な日常の秩序をくつがえしながら」という部分に注目してほしい。ここで「「何か」の意志」とされているのは、「神の意志」ではなく「死の意志」なのである。だからこそ、この小説は死者の踊りである能をその台座に戴いているのである。

描き入れるべき空白はもうあまり残されていない。メキシコ転回以後の三島ミスティシズムのデッサンはまもなく終わる。最後に描き入れておきたいのは、『獣の戯れ』の主人公の人生を変容させたものが、事件を起こした凶器以外にもう一つあり、それが太陽であることだ。

第一章の冒頭を飾る下記の印象的な日光は、やがて出所後の主人公の差別的な肌の白さを消して、第五章で前近代的な共同体へ融け入ることを彼に許す。

渡り廊下にあざやかに落ちた日の光、と幸二は考える。あれは浴場へ行く渡り廊下の窓ごしに、一枚の白い光沢紙を展げたように落ちていた。彼はそれを愛していた、つつましく、熱烈に。どうしてあんな窓から落ちている日影が好きだったのかわからない。あれは恩寵であり、実に聖らかで、しかも切り落とされた幼児の白い体のように寸断されていたのである。

サンダル、スパナ、日光と並べて、そのどれもに、心中、死の意志、幼児切断と、死の表象が混入していることに今更驚いてしまうが、真に驚かねばならないのは、29歳の時に書いた「ジャン・ジュネ論」という透視図の上に、偶発的に遭遇した「メキシコ転回」が重なり、今やデッサンの紙幅が尽きた先へ、まだ伸びている確固たる描線が確認できることだろう。

スパナは鉄製だ。つまり、三島哲学の最高到達点を示す『太陽と鉄』。

二度目の世界旅行へ出かけて、ニューヨークやメキシコを歴訪して帰国したとき、日本に降り立ったのは三島由紀夫ではなく、のちに自らの筆名を当て字で読み替えた「魅死魔幽鬼夫」だったにちがいない。「熱帯×エロス×タナトス」の暫定的な解答として、そんな言葉を解答欄に書きつけておきたい。

 

 

(5/28分)