見よ。あれらに触れよ。

とりとめのない連想を追っているうちに、ふと我に返ると、波のように連動して押し寄せていた連想のつながりがすっと引いていって、波打ち際に磨かれたガラス片が残るように、ひとつの語句だけが残ることがある。

「甘い手紙」という言葉が心に残っていて、なぜそんなことを考えていたのかわからない。手紙に捺す封蝋から蜜蝋へ連想が飛んで、さらに花芯にとまる蜜蜂の名前を思い浮かべて、何となく「ミツバチのささやき」を聴いている気分でいたのだろうか。

いずれにしろ、それは辛すぎる日々からつかのま逃避するための甘い幻想にすぎなかったのだろう。これまで、甘い手紙が来たこともなければ、助けを求めるメールへの返信もほとんどもらったこともなく、ジャーナリストに直接会いに行ったり、弁護士に相談しに東京へ飛んだりもしたが、面会を拒否されたり、そ知らぬふりをされたりしただけだった。いつだって孤立無援。

孤立無援でも、ひとりで充実した時間を過ごすなら、名画鑑賞がいい。ビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」は私的生涯ベスト10に入る名作だ。

発表当時のスペイン映画界は検閲が厳しかったらしく、政治的暗喩を家族関係に織り込んで脚本化された可能性が高いとも聞く。そのような読み取りができなかった20代、自分は「愛」というものの最も原初的な形が、「未知に触れること」なのだということを、この映画で学んだような気がする。森できのこに触れ、近づいてくる汽車の遠い振動をレールに耳を当てて聞き、人民戦線敗残兵に林檎を差し出す。少女の愛らしさは、顔立ちにあるのではなく、そのような未知へとおそるおそる触れる初めての行動体験にあるのである。

 この「ミツバチのささやき」の映画名やコンセプトが、ノーベル賞作家メーテルリンクの『蜜蜂の生活』に由来すると聞いて、やはりそうだったか、と呟いてしまった。 

蜜蜂の生活

蜜蜂の生活

 

 いつからか、こういう非文芸作品の方が読んでて圧倒的に楽しくなってしまった。記憶だけで話すと、「分封」という蜂の群れが巣別れの日は、蜜蜂たちは一切攻撃をしなくなる。女王蜂の周りに蝟集するさまは、さながら祝祭のようだ。

おそらくまだカメラが追跡したことはないだろう。確かこの本には「結婚飛翔」という一章があって、そこでは空高く垂直に飛翔する女王蜂を追って複数の雄蜂が飛翔し、一匹だけが交尾に成功するらしい儀式が描かれていた。そして、結婚飛翔の翌朝、雄蜂は働き蜂たちによって皆殺しにされるのである。蜜蜂たちの不思議な生態を、生彩に富んだ筆致で描いた良書だ。

メーテルリンクノーベル賞受賞は、代表作『青い鳥』に負うところが大きい。メーテルリンクを未読でも、「青い鳥」が幸福のメタファーだと言うことは、多くの人々が知っていることだろう。

では、3.11.東日本大震災後に書かれた「青い花」は、小説の中で何のメタファーとなっていると思うだろうか? 遺憾ながら「幸福」ではない。当ててほしい。

青い花

青い花

 

 「青い花」とは、戦後のヒロポンのごとく、国民をドラッグ漬けにする「ポラノン」の宣伝イメージなのである。

わたしはあるいている。線路をあるいている。デデレコデン、デデレコデンデン。テレビ、ラジオは連日、ポラノンのCMソング「明日は咲く」を流している。この歌は爆撃被災地復興支援や祖国防衛戦争協力をかねており、宝くじソングもうたっている顔の大きな有名歌手だけでなく、俳優、スポーツ選手、漫画家、詩人、お笑いタレントらによってもノーギャラでうたわれ、それぞれがニッポンジンであり、たがいにおもいやり、たすけあうことの満足、抗わないことの幸福を、聞く者すべてにかんじさせていた。わたしはあるいている。ポラポラ。しかし、ごく一部ではあるけれども「明日は咲く」をけぎらいするひとびともいるにはいたのである。かれらは反社会的性人格障害や敵性思想傾向をうたがわれ、それとなく所属組織や社会から監視されている。 

 小説はこの調子で、始めから終わりまで、一度も改行がない。野坂昭如セリーヌなどの固有名詞に近く、途中「ロラン・バルトは気障」のような高踏的な思弁も入るところは、ロラン・バルトの年少の友人ソレルスに多少似ていると言えなくもない。

 東日本大震災をノンフィクションではなくフィクションとして扱うなら、どのように創造的諷刺を仕掛けるかが勝負になる。上記の固有名詞を呼び寄せるよ純文学的技量もさることながら、中心に置かれた『青い花』という諷刺が、この国の暗部にしっかり根を下ろしていることが、この小説の成功を花咲かせている。

ご存知のように、ポラノンならぬ阿片でぼろ儲けした金で、政治家としてのしあがって戦犯となり、戦後にスパイとなって日本を植民地化していった血脈が、いまもなおこの国で「死の商人」に振りつけられたタクトを振るっているのだ。 

辺見庸芥川賞受賞作『自動起床装置』は芥川賞小説のお手本のような好編だった。適切な主題が適切な手法で各章に切り分けられ、盛り付けられているさまは、まるで小さな几帳面な弁当箱のようで、しかも美味だった。しかし、その小説が野心作とは対極の場所にあったのも事実だ。

ところが、四半世紀経つと作家はこうも変貌するのか。上記の『青い花』もとびっきりの文学的野心に満ちた傑作だし、その副読本ともいえるこの新書も充実した筆致で、時代の問題意識を孕んだ思考をかなり読ませてくれる。参考文献には、ドゥルーズボードリヤールの名前まである。 

瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ (NHK出版新書)

瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ (NHK出版新書)

 

 現在の辺見庸は右半身不随だとも聞くが、書かねばならない衝動に押された、まさしくひとり気を吐いているともいえる魂の気迫があるので、両作品とも間違いなく震災後文学のアンソロジーに含まれることになるにちがいない。

それが蛇足でないことを願いつつ、上記新書で金子みすゞ「こだまでしょうか」のサブリミナル効果に言及されている箇所の余白に、それが子宮頸がんワクチン普及(=日本人少女不妊化工作)の「陰謀」があったことをピンでとめておきたい。

同じ新書の冒頭で、辺見庸はハリウッド以上のシミュラークルの大津波が、剥き出しのリアルとして東日本に襲いかかってきたことを、ボードリヤールが生きて目撃したら、どんな感想を持つか聞いてみたいと書いていた。たぶんボードリヤールなら、この動画を引用して、こう述べるのではないだろうか。

海外の動画では3回の爆発音がそのまま放送されたのに、どうして日本のメディアは爆発音を消去した「シミュラークル」しか国民に伝達しなかったのかい?

ところで、充満した水素が爆発したのなら、爆発は一回のはず。なぜ三回も同じ音量、同じ音質の爆発音が連続したんだい?

私たちはこう答えるほかない。

すみません。日本人の私たちにはまったくわかりません。原発が爆発すれば国が亡びますが、原発の安全管理は、外国勢力に丸投げしていますので。

ボードリヤールであれ、誰であれ、上記の「丸投げ」の台詞を聞いた後に、まともな人間が何と答えるかを、私はぜひ聞いてみたい。

「日本人がほとほと嫌になった」 日本の古典文学を研究しているカナダ人の友人は、そういって長く住み慣れた東京を去っていった。「放射能が危ないって、ちゃんとわかっているの?」「なんで何も考えないの?」 

 『震災後文学論』のあとがきで、木村朗子は友人が立ち去って行った顛末を、そう書いている。

震災後文学論 あたらしい日本文学のために
 

私たちがふと我に返ると、波のように連動して押し寄せている陰謀のつながりが、決して引き潮になることもなく、繰り返し繰り返しこの国の波打ち際に打ち寄せているのがわかる。波打ち際で寄せては返す透明な波の下で、磨かれたガラス片がいくつも転がされてはまた引き戻され、波に翻弄されているのを透かし見ることができる。

見よ。あれらに触れよ。あれらが、私たちの死者だ。

 

貴重な虚構のためのホッチキス

こういうことを話すと、現代の若者たちは信じられないという顔つきになるのではないだろうか。

自分が大学生の頃には、携帯電話はなかった。

より正確には、とびっきり高価だった当時の携帯電話は少数の青年実業家たちだけの持ち物で、彼らは弁当箱より大きな携帯電話を肩掛けして持ち歩いたり、耳の横に氷枕のようにあてて「しもしも」とか言ったりしながら、人々の羨望のまなざしを集めていた。

だから、恋人たちが勝手に相手の携帯電話やスマホを盗み見て、大喧嘩に発展するなどということもなかった、と言いたいところだが、実は当時までの恋人たちが盗み見る対象メディアが、あるにはあったのである。

それは、日記。

自分も交際していた女の子に日記を盗み見られたような気がして、何だか不愉快な気分になったことがあった。一触即発? まさか。一線を侵犯されても喧嘩しない大人の知恵なんて、この世にはいくつだってある。日記で彼女をべた褒めして、どういうところが可愛らしいか、どれほど可愛らしいかを熱烈に綴っているうちに、彼女はこちらが求める可憐さに接近してくれて、二人の愛はさらに深まっていった。好きな相手になら、どんな「偽日記」だって書いてみせるさ。Fiction!

 この記事で言及した太宰治の『女生徒』を書き換えた美少女誘拐小説の原点は、きっとあのときの機知にあったのだと思う。

青春真っ只中の若者が読むべき日記と云えば、戦前はきっと『三太郎の日記』だったのだろう。昭和が終わる直前の中学生の頃に父親に買い与えられて、何だか時代錯誤にも思えたが、引き込まれるように読み耽った記憶がある。難解だったが、中学生の没入を誘ったのは、それが微熱のこもった一種の青春小説だったからだろう。

父親はひとことでラベルを貼ると、小林秀雄好きでモーツァルト狂のディレッタント。反抗期の思春期に、父とはその話をしたくなくて、読書リストから小林秀雄を積極的にカットしていた。

それでもマエストロの影は執拗に追いかけてきた。或る私大入試の小論文で小林秀雄にまた会ってしまったのだ。うまく書けた手応えはあった。合格したが感動はなかった。元々論文の類を書きこなすのは得意で、超高校級のリテラシーを持っているとの自負もあった。東大後期の論文模試では全国1位、4位、20位の戦績。ほとんど勉強らしい勉強をしなかったくせに、勝手に東大へ行けると思い込んでいたのだが、天網恢恢疎にして洩らさず。不勉強に天罰が下った。

見事に足切りにかかって、後期論文試験は受けられなかった。その不合格にも特に感慨はなかったが、その年の東大文Ⅲ哲学科には、ITバブルに乗ってネットの「ナマ扉」を開けた風雲児がいたらしい。時代の寵児となる直前の彼と、一緒に酒を呑んでみたかったような心残りもある。

さて、大学に入って文芸批評を集中的に読むようになると、後進の俊英たちが「往時の巨匠」小林秀雄をどう乗り越えたのかが、気になり始めた。私流の答案のイメージはいくつか湧いている。この記事で小林秀雄ベルグソン読解を調べたのも、そのイメージに沿ってのことだった。予想通り、小林秀雄の洞察力は、ベルグソン哲学の核心には届いていなかった。

 世にいくつかある「小林秀雄乗り越え本」の中では、この本が一番面白いのではないだろうか。「ヤンキーな小林秀雄が、岩野泡鳴の洋楽翻訳に魅了されてロックンロールしたから、当時最高の青春の寵児になった」というこの本の主旨は、ほとんど「小林秀雄Yoshiki」説そのもので、笑い転げてしまって仕事にならなくなる。サンキュー武道館、最高だぜBaby!

ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて
 

 ロックンロールの音量を絞って、もう少し真面目なふりをして小林秀雄のことを考えることにしよう。当時の主要な問題系の「私⇔社会」をめぐって、横光利一が「四人称の純粋小説」の答案を出したのと同じ「試験」で、小林秀雄は「私小説」に対して「宿命」を対置してみせた。

 人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は哲学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。(「様々なる意匠」)

普通の人が読めば、「私を描いた私小説」と「私の宿命」とはぴったり重なるようにも思えるかもしれない。しかし、初期の小林秀雄の抜群の嗅覚の良さは、そこがきちんと常人とはズレていたことだ。上の引用部分を丁寧に読めば、小林の思考が偶然という他者性へ開かれていることがわかる。Aにもなれたが偶然Bになったのなら、人は思いもかけない偶然によってAである途中で不意にBにならざるを得ないこともありうる。社会内に生息する無数の他者が、そのような偶然の他者性に開かれているのなら、それを基盤により大衆に寄り添った社会を構想することだってできたはずだ(ロールズの「無知のヴェール」)。さほど難しい話ではない。

ところが、小林秀雄のいう「宿命」は、彼の批評の中で急速にポテンシャルを減衰させて、小説に作家の「宿命」を読み、「宿命」を読む批評家としての自分の「宿命」を肯定するという具合に、すっかり甘えん坊に成り下がっていく。これはどうしたことか。一番短く言うと、その批評の残念な様態は、小林秀雄が「私⇔社会」図式の背後にあるさらに大きな対立図式「言語」⇔「歴史」の両方に、真に出遭わなかった、ということになるのだろう。(鹿島茂は、小林秀雄ヴァレリー理解が、読むべき方向性とは真逆だったことを論証している。ベルグソン理解で見るより、こちらの方がはるかにわかりやすかった。なるほど)。

その理由を追って、小林秀雄志賀直哉的な嫌人性があったとか、父が早逝した母子家庭出身だったとか、作家論的な事実に根拠を求めるのも有力な道筋だ。自分はここで、同時代の小林秀雄批判の白眉。坂口安吾の「教祖の文学」を想起するのが癖になっている。

 小説は十九世紀で終つたといふ、こゝに於いて教祖はまさしく邪教であり、お筆先きだ。時代は変る、無限に変る。(…)別に大変りをしなくとも、時代は常に変るもので、あらゆる時代に、その時代にだけしか生きられない人間といふものがをり、そして人間といふものは小林の如くに奥義に達して悟りをひらいてはをらぬもので、専一に生きることに浮身をやつしてゐるものだ。そして生きる人間はおのづから小説を生み、又、読む筈で、言論の自由がある限り、万古末代終りはない。小説は十九世紀で終りになつたゾヨ、これは璽光様の文学的ゴセンタクといふものだ。(…)
 人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらへて行くのだ。
 小林にはもう人生をこしらへる情熱などといふものはない。万事たのむべからず、そこで彼はよく見える目で物を人間をながめ、もつぱら死相を見つめてそこから必然といふものを探す。彼は骨董の鑑定人だ。

坂口安吾 教祖の文学 ――小林秀雄論――

安吾が、「雨ニモ負ケズ」そのまま、農民たちのために東奔西走して客死に近い亡くなり方をした宮沢賢治を、小林秀雄の真逆の位置に張り込んでいることに注意してほしい。時代のルーレットは回っていた。ずいぶん長い間、ルーレットの玉はぐるぐると周回して落ちてこなかった。やがて、銀色の玉は平面の円盤の上へ落ちてきてカタカタとと円周を走り、小林秀雄とは真逆の位置でぴたりと止まった。勃発した敗戦を運命づけられた戦争に対して、小林秀雄はほとんど口にすべき言葉を発することができなかったのである。それは、小林秀雄が「言語」⇔「歴史」の双方に深くコミットできなかったことよりも、安吾に「骨董鑑定人」と形容させた小林の特質、「動かない人だったこと」の方がはるかに大きいと思う。 

ニホンザルの生態―豪雪の白山に野生を問う (自然誌選書)

ニホンザルの生態―豪雪の白山に野生を問う (自然誌選書)

 

 現代思想の領域は、『悲しき熱帯』はもちろん、『ニホンザルの生態』にまで及んでいる。

無類に面白い動物行動学の本書は、野生のニホンザルの群れが、地縁と採食と防衛と繁殖を目的とする機能的な遊動集団であり、それに不要な順位序列文化を持っていないことを証し立てている。驚くべきことに、野生のニホンザルの群れには、ボス猿さえほとんどいないらしいのだ。

では、私たちが目の当たりにしてきた、あのサルの序列社会とはいったい何だったのだろう。ボス猿の空位をめぐる熾烈な跡目争いがあり、末端のサルたちでさえ絶えず歯茎を剥き出しにして「オレノ方ガ上ダ」と威嚇し合う、いじめや加害に満ちた醜い序列社会は。あるいは、チンパンジーの群れと群れが争い合い、敵の群れの赤ん坊を誘拐して嗜食するような陰惨な社会は。

伊沢紘生はこう結論付ける。それは、餌付けされたり縄張りを争ったりするような場合の、「限定資源」を奪い合う場合にのみ発生するサル社会なのである、と。

昭和初期の小林秀雄が餌付けされた動物園のボス猿なら、宮沢賢治は遊動する野生の群れの複数リーダーの一人だった、と言えるだろうか。

何もしなくても餌が降ってくるような動物園にいるのなら、小林秀雄的な生を愛するのも良いだろう。しかし、絶え間ない変化に晒されて、新たな森、新たな水源、新たな植生に適応しなければならない大変化の時代で生き残るためには、苛烈な序列社会とは截然と異なる行動原理を、私たちは生きなければならないにちがいない。

諸事情に配慮して、その行動原理が何かは今は語らずにおこう。

何かは語らずとも、私たちが執拗に見せられている愚かさや醜さ、この国の風景の急速な荒廃。それらの中を逃れようもなく生きながら、それらとはまったく異質なものを、内に大切に抱いて生き残ろうとしている人々が、たくさん存在しているのを感じる。

「偽日記」から始まったこの記事は、実は古谷利裕の「偽日記」の或る歌詞の記述に触発されて書き出したものだ。

●いまさら気づいた勘違い。キリンジの「エイリアンズ」の詞で、「そうさ僕らはエイリアンズ 街灯に沿って歩けば ごらん新世界のようさ」という部分を、いままでずっと「そうさ僕らはエイリアンズ 街灯に沿って歩けば ご乱心世界のようさ」だと思って聴いていた。

「どこかで不揃いな遠吠え」とか「仮面のようなスポーツカーが火を吐いた」とか、不穏な兆候のイメージがつづいて示された後、とうとう世界は「ご乱心」してしまい、「暗いニュースが日の出とともに街に降る」ことになる。つまり、世界は崩壊する。「素晴らしい夜」というのは反語的表現だと思っていた。そして、そのようにして崩壊する世界を前にして、世界から隔絶された場所に二人きりで存在するエイリアンであるかのようなカップルが、この世界を見送る「ラストダンス」を踊る。そういう絵を想像していたのに(このような絵自体が、世界から隔絶されたカップルのもつ幻想だ、と)、「ご乱心世界」が「ごらん新世界」にかわってしまうと、その絵が崩れてもっと普通の感じになってしまう。「この僻地」のありきたりの夜に「魔法をかけ」て「新世界」にするという、よくあるイメージになる。

あと、この曲に出てくる「僕」は人間の男性であるとして、「君」が人間である感じがどうしてもしない。「君」を人間としてイメージすると、この曲から感じられる強い「この世界の片隅で二人ぼっち」感や、過剰に潔癖であるかのような繊細さ、あるいは抽象的な寂寞感と、どうしても釣り合わない感じになる。仮に、「僕」を人間の男性と、「君」をラブドールの女性としてイメージすると、ぼくとしては割としっくりくる。

キリンジの歌詞は、文学的で難解とも評されているらしく、解釈を試みているファンサイトが数多くある。どれもかなり当たっていそうだ。それらを私流に要約してみると、こうだろうか。

空洞化した「まぼろしの郊外」のありふれた夜、そのような郊外とは「異質な何か」を抱えた恋人同士がキスを重ねているわずかな時間、わずかな空間だけ、儚い別世界が開かれる。

この通りだろうと考えつつも、まったく別の解釈が複数成立してしまうのが、批評の面白いところ。古谷利裕は、歌い手が呼びかける「大好きな君」が、ラブドールではないかと解釈している。確かに「きみ」の存在感は、そこにいないのでは?と思わせるほど稀薄だ。ただ、個人的に、この名曲はどうしても非性器的な文脈に回収したい。 

  虚構を楽しみ慣れていない人の中には、バシャールの名言に頷いたり、スターシードという概念に言及したりしていると、すぐに莫迦にしにきたがる人もいる。頼むから静かにしてくれないか。虚構をそれにふさわしく半信半疑で楽しんでいるだけだから。

頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 今晩の自分は、「エイリアンズ」を、自分たちがスターシードだと気づき始めたそれぞれに孤独な人々が、友愛の合図を送り合っている様子を歌った曲だと解釈したい。

確かに、「きみ」の存在感は、そこにいないのでは?思わせるほど稀薄だが、本当にその場所にはいないのではないだろうか。「きみ」と「ぼく」は、頭上に垂れこめた一枚の夜空でつながっているだけのかもしれないし、「自虐ジョーク」を言えるような何らかのネット・メディアでつながっているのかもしれない。ただ、「きみ」と「ぼく」が別々の場所にいる感じだけが伝わってくる。

もう少し解釈で戯れてみれば、「禁断の実=キス」とは、「hotchpotch=ごった煮」のような玉石混交のネット情報の氾濫の中で、思いがけず結ばれる結び目(=hotchkiss)を表しているのにちがいなく、そのようなセレンディピティだけが「魔法をかけられる」と、歌詞は伝えたいのだろう。

   私たちが執拗に見せられている愚かさや醜さ、この国の風景の急速な荒廃。それらの中を逃れようもなく生きながら、それらとはまったく異質なものを、内に大切に抱いて生き残ろうとしているエイリアンズが、たくさん存在しているのを感じる。

彼らに友愛を込めて手紙を書きたい。きっと書き出しはこうだ。

一緒になって、しかし、それぞれの自分の場所に立って、この星のこの僻地で、魔法をかけませんか?

魔法が使えそうな素敵な相手になら、どんな手紙だって書いてみせるさ。For Our Precious Fiction!

痛みの数だけ敗北を抱きしめて

この記事で Femme Fatale の好例として毬谷友子の名前を挙げた。ツイッター上でおてんばに飛び跳ねたかと思うと、夜の舞台では妖艶な猫に化ける感じ。連想が跳ねて、もうひとり、無数に女を演じ分けて飛び跳ねる素敵な「毬」のことを書きたくなった。

千と千尋の神隠し』の湯婆婆を怪演しているのは夏木マリ。湯婆婆が営む風呂屋は、道後温泉本館がモデルになったとも言われている。「油屋」という映画の中の旅館名は、ここで書いた堀辰雄の定宿と同じ。

堀辰雄堀越二郎をモデルにした『風立ちぬ』へつながる何かがあるのかと思いきや、別地にある同名の温泉旅館に由来した可能性が高そうだ。

「相棒」がころころ変わる紅茶好きの刑事役主演俳優と同い年。1952年生まれだからといって、夏木マリを紹介するのに、1973年の「絹の靴下」を挙げるのは、いささか古すぎはしないだろうか。

印象派」という前衛舞台を主宰する夏木マリには、「タランチュラ」のような表現力の針を極限まで振り切った奇怪な名曲もある。けれど、世間の耳目に心地良いのは、小西康陽とタッグを組んだシャンソン系の楽曲だろう。それほど聴かれていないのがもったいない名盤だ。

 14曲目の「海、セックスそして太陽」は、セルジュ・ゲンスブールのカバー。原曲にある「フランスの太陽族」的な陽気さを、小西康陽は、真夏の灼熱の中にある気怠さや憂愁のマイナー調に置き換えている。夏木マリが熟女の声音でモノローグを語り、生命力が最も輝いていたセブンティーンの自分に少女返りして歌う上ずった声音が素晴らしく、歌の輝きが原曲を越えてしまった感がある。動画をアップロードしているフランスのシャンソン愛好家が、この曲をどう感じているのかを訊いてみたい。

夏木マリはロック調の曲も楽々と歌いこなす。還暦の年に歌った「キャデラック」(仲井戸麗市・作曲)も途轍もなくクールだし、生意気な口をきく童貞の青年をからかったロック調のこの曲も格好いい。(「カウボーイ」)

カウボーイ

女の子のお尻にまたがりたいのに

じゃじゃ馬慣らしは半人前なんだね

ジョン・ウェインみたいに

一人前にさ

女の子のお尻を叩いてごらん

カウボーイ

 「湯婆婆」がいそうな道後温泉近辺の街並みを抜けたところに、高校の演劇部の打ち合わせ部屋があった。高校生だった頃、そこでチェルノブイリを題材にした短い演劇脚本を書こうとしたのを思い出した。上の記事で、堀辰雄の定宿に泊まった彼女と一緒だったはずだ。

チェルノブイリ原発事故から数年後だっただろうか。その数年の間に、秋田や新潟の中高生が夜に不審死する「事件」が続発したことに、同世代の少年として忘れがたい感慨を感じていたのだ。少年少女たちが睡眠中に扇風機をつけっぱなしにしていたせいで亡くなったと、当時の新聞は報じていた。

その生命の儚さに触れて心が動いたのは、15歳のころ難病で長期入院して、やはり次々に子供たちが死んでいくのを目の当たりにしたせいかもしれない。

 同級生の誰かから、あの少年少女たちはチェルノブイリから飛んできた放射性物質のせいで亡くなったらしいと聞かされた。まさか、と高校生だった私は笑い飛ばした。

ただ、二度と学校に戻れない運命にあるのに、「ぼくも中学生になったから」と張り切って死の三日前まで英語を自主勉強していた白血病の同室の少年のことをよく覚えていた。あのように早逝する子供たちのことが忘れられなくて、舞台装置の扇風機を媒介にして、同じ舞台上にソ連と日本の子供たちの声を交差させる芝居にしたかった。最後の場面に必ず織り込みたいと考えていたのは、チェルノブイリの少年たちによるこの台詞。   

ぼくたちは誰に手向けられた花束なんですか?

参考文献にしたのは、この本。初めての広瀬隆体験だった。

チェルノブイリの少年たち (新潮文庫)

チェルノブイリの少年たち (新潮文庫)

 

  早逝する幼い子供たちを切り花に譬える修辞は、あれから30年後に書いた自分の小説にも、わずかに反響している。すっかり忘れていた。

(…)拘束型心筋症に有効な薬物治療が存在しないのは事実だ… さらにMRIを撮っても左室の肥大や心臓の肥厚が見られない… 心臓外科医が恐れる沈黙の致死病… 見逃されたまま、あるいは打つ手のないまま… 患者の心臓はみるみる悪化して、次々に急死していく… 余命7か月の少女が幽閉されている病室を想像する… 切り花が萎れるような速度で不全化しつつある少女の心臓の可憐な拍動… 少女の幼い身体に繋がれているだろう夥しい管の数々…

その戯曲は上演機会と練習時間の確保が難しかったせいで、未完のまま終わった。

高校を卒業した後、バブル全盛期だった日本では、「私をスキーに連れてって」とか「波の数だけ抱きしめて」といったマーケティング優先のレジャー映画が流行し、広告代理店主導の「イタメシブーム」や新上陸のティラミスに、人々が湧いていた。

 ブームに飛びついたりはしなかったものの、知るべきことを何も知らなかった若い頃の自分が、恥ずかしくてたまらない。作られたブームの背景には、無知な sheeple たちを嘲笑うかのような恐ろしい歴史的事実が隠されていたのだ。

「扇風機不審死事件」の方は、ネットの大海にもほとんど情報がない。歴史を書き残してくれているのは、反原発のトップリーダーの一人であるこの方。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-45.html

 遠く離れた日本や韓国でも夏頃から同じ現象が起きた。それは「突然死」と呼ばれ、若者が一晩中扇風機をつけたまま寝て、朝起きたら死んでいたというものだ。
 それはチェルノブイリ事故の起きた1986年の夏以降に出現し、翌年からは報告されていない。死因の大半は「心不全」であった。

 続く記述も、引用せずにはいられない。

ロガノフスキー氏は被曝によって白血病やがんの患者が増えるだけでなく、脳など中枢神経もダメージを受けると考えているのだ。それは15年にわたる様々な調査・研究の成果でもある。その他にどんな影響が人体にあるのだろうか。氏は様々な病名を挙げ続けた。

「作業員に関して言えば圧倒的に多いのはアテローム動脈硬化症です。がんも多いのですが、心臓病や、脳卒中に代表される脳血管の病気も増えています。白内障も多い。目の血管は放射線のターゲットになりやすいからです」 

歴史を学べば学ぶほど、あらゆる場所に「死の商人」である軍産複合体の影が落ちているのに気づかされる。暗すぎる世界地図、黒塗りの多すぎる世界史。

 夏木マリが、男らしさに満ちたジョン・ウェインを引き合いに出して、陽気な声音で未熟なカウボーイをからかっても、私たちはそこに「堕ちたアメリカ」の残響を聞き取らなければならない。自由と民主主義の国であっても、「ミスター・アメリカ」にすら、まともな情報が与えられないのだ。広瀬隆の初期作は、ジョン・ウェインネバダ砂漠の核実験で被爆したせいで病死したことを伝えている。

ジョン・ウェインはなぜ死んだか (文春文庫)

ジョン・ウェインはなぜ死んだか (文春文庫)

 

 高校時代の記憶を辿っているうちに、自分が道後の丘にあった演劇部の打ち合わせ部屋から、帰り道を自転車で走っているような気がしてきた。坂道を走りおりていると、道後温泉本館の近くに、新しい工事看板が立っているのが目に留まるだろう。私はブレーキをかけるだろう。看板には、新しい温泉施設が建設中だと書いてあることだろう。

この夏が終わる頃に、道後温泉に新たに「飛鳥乃湯」が加わる。その命名は、飛鳥時代聖徳太子が湯治に来たという故事にちなんでいる。日本三大古湯たる歴史の長さを印象付けるには、妥当なネーミングか。

松山には、飛鳥時代にまで遡る貴重な「文化財」がもうひとつある。正確には、もうひとりいらっしゃると言い直すべきか。飛鳥時代の女帝である第37代斉明天皇に仕えた采女(うねめ)の末裔、真印先生。霊能力は先祖代々受け継がれてきたらしく、先代の霊能力の噂を人づてに耳にすることもある。

鑑定中の先生は、頭上に降りているハイヤーセルフの話を聞きながら、それを相談者に噛み砕いて説明するといった風情で、同じ空間にいると明らかに「本物」であることがありありと伝わってくる。第三者から見てわかりやすいのは、全国区の知名度がありながら、相場よりも鑑定料金をずっと廉価に抑えているところだろうか。

ここでは信じてもらえなくてもかまわないので、もしこれを読んだ誰かが、自殺の淵に立つような極限状態に追い込まれたらふっと心に思い浮かぶ程度の適度な筆圧で、心に刻んでおいてくれたら嬉しい。ちょうど半年前の自分も、同じような道を辿って、救われた経験を持っているから。

ステルス・マーケティングだと誤解されたら困るので、その店の人には詳細は書かないでほしいと言われている。性別も病名も明かさずに書くと、ある病人が終わりのない全身の痛みを少しでも緩和しようとしてこのCDを聴いていた、との口コミが広がっているそうだ。どれほど痛く苦しかったのだろうかと思う。この国がこんな敗戦国でさえなければ… と考えてしまうのは、無力な男の無益な感傷だろうか。

聞くだけで心も体も痛みが消えるソルフェジオ周波数CDブック

聞くだけで心も体も痛みが消えるソルフェジオ周波数CDブック

 

 ソルフェジオ周波数をめぐる音楽業界の歴史的陰謀については、この記事に書いた。

話があちこちへ飛び跳ねて、何が言いたいのかよくわからないって? それはこの記事が「毬」で始まったのだから、当然と言えば当然だろう。「夏木マリ」という芸名は、歌手兼グラビアアイドル路線で売り出すための「夏、決まり」が由来だったらしい。

瀬戸内海のような穏やかな凪の海に、打ち寄せては返す波の音を聞きながら、この記事もいつもの「決まり文句」に似た言葉で閉じることにしたい。

痛みの数だけ敗北を抱きしめて

 

 

 

批評のリーチはどこへ届いているか

歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

 有名なマルクスの言葉には、続きをつけておく必要がある。「三度目以降は悲喜劇として」。歴史は何度でも反復する。ただし差異を伴って。

しばしば「時を越えて同一物が繰り返し回帰する」とされるニーチェ流の永劫回帰の概念を、ドゥルーズは恐るべき力でねじ伏せて転倒して見せる。時を越えて回帰するのは、差異化して生成するという同一過程だけであり、一度きりの固有の独創物は永劫回帰の循環の遠心力で吹き飛ばされてしまうというのだ。

このような「永劫回帰が生成変化しうるものだけを回帰させる」とするドゥルーズ流の永遠の差異の哲学の前で、自己の独創、権威、金に執着して右顧左眄する凡庸な書き手たちは、すっかり霞んでほとんど見えなくなってしまう。彼らとは遠く離れた高みにいたベケット安部公房のような世界水準の文学者たちが、晩年に多メディア適応性を発達させたことには、さらなる注目が必要だろう。

昨晩、「アクチュアルな文芸批評を他人に求める以前に、文芸批評がアクチュアルなのかどうかを批評できる思考力を、自らに求めるべきではないだろうか」と軽く吠えてみた。あれは吠えても無駄な bark at the moon だったかもしれないが、目下の自分の批評軸に合わせて、文芸批評上のひとつのアングルを提供するくらいのことならできなくはない。

それは、横光利一をその可能性の中心において、反復されるアクチュアリティとして読み直すことだ。

伊藤整が最高傑作とした短編「春は馬車に乗って」が、青空文庫で読める。

横光利一:春は馬車に乗って

妻は檻(おり)のような寝台の格子(こうし )の中から、微笑しながら絶えず湧(わ)き立つ鍋の中を眺めていた。
「お前をここから見ていると、実に不思議な獣(けもの)だね」と彼は云った。
「まア、獣だって、あたし、これでも奥さんよ」
「うむ、臓物を食べたがっている檻の中の奥さんだ。お前は、いつの場合に於ても、どこか、ほのかに惨忍性を湛(たた)えている」
「それはあなたよ。あなたは理智的で、惨忍性をもっていて、いつでも私の傍から離れたがろうとばかり考えていらしって」
「それは、檻の中の理論である」

「である!」。未完の遺作『旅愁』を中心に、横光利一の会話の生硬さにはマイナスの定評がある。同じ檻を扱っても、三島由紀夫の方が技術的な巧さが際立っているのがわかるだろうか。以下は、『鏡子の家』で、世界の破滅を信じているのに社内政略結婚をした清一郎へ、鏡子が友誼の言葉をかける場面だ。

「あなたは虜の生き方を選んだんだわ。檻の中へ自分から入ることで、自分が猛獣だということを証明しようなんて、あなた以外に思いつきそうもない考えね。あなたが猛獣だということを知っているのは、でも世界中にあなた一人なんだわ」 

川端康成と並んで、というより川端を先導する形で、横光利一は当時一流の知識人として「新感覚派」を牽引したのだが、戦後の名声は川端の陰でほとんどかき消えてしまった印象がある。しかし、破綻した遺作『旅愁』を丁寧に読み込んだ菅野昭正『横光利一』を通読して、あらためて感じるところがあった。

横光利一

横光利一

 

それは一文にまとめれば、「洋行」を通じて、西欧主義から日本主義へ回帰するという筋道なのだが、圧倒的な西欧主義に対抗すべく横光利一が用意するのが「古神道」であり、その「有機物と無機物を結ぶ六次元の世界の秘密」であり、その西欧対抗を止揚せんとする方向性は、同時期の悪名高い「近代の超克」路線とさほど変わらない。

自分が興味深いのは、横光の「純粋小説論」。これについても菅野昭正が詳細に分析して、(ヌーヴォー・ロマンの先駆である)ジッド『贋金づくり』を参照しているものの、実態は無関係になっているという意のことを述べている。

面白いのは、横光利一が「作家は四人称で純粋小説を書くべき」としているところ。「四人称」?と呟いて、首をかしげながら読み進めていくと、それは一人称と三人称を足し算したものらしいのである。おお、そこって積算できるのか。何という斬新なネーミング・センス!

しかし、可能性の中心に立って「純粋小説論」を読み直すと、それが一人称私小説の閉塞を、三人称で賑やかに書かれた通俗小説の側へ開いて、社会化する試みだったことがわかる。その社会化はとりもなおさず、経済的下部構造の強化(経済化)でもあった。当時「文芸復興期」とも言われた小春日和が過ぎて、次第に純文学もプロレタリア文学も急速に売り上げを落としつつあったのである。

まとめよう。横光利一が闘って敗れた往時の「西欧対日本」戦は、現代に置き換えれば、間違いなく「1%グローバリスト対日本」になるだろう。グローバリズムへの対抗意識を抱きながら、私小説的一人称+虚構的三人称(≒自伝フィクション)のスタイルで、娯楽小説の高い経済寄与性を純文学界へ波及させて生き残ろうとする試み。

西欧通ではあったものの、さして思想的学識が高くなかった横光利一が、苦闘しながら登り詰めようとしていた小説の位相は、現在の純文学小説に切実に求められているものが埋蔵されている場所と、さほど遠くないのである。鍬を振りおろそう。

ここまでこのブログを読んでくれた読者なら、それが私が試みようとしていることからも遠くないことを、理解してもらえるだろう。

抽象論ばかりでは退屈なので、反復される横光利一的アクチュアリティを備えているかもしれない小説を、ひとつ挙げてみたい。

佐藤友哉「夢の葬送」。単行本化されていないので未読だが、主人公の「放射能」が、原発から噴き出したあと、山から川を流れて水道水となり、赤ちゃんの体内に入って、内部被爆させる短編だという。

飛散した放射能は誰のものでもない「無主物」だから、東京電力はその放射能に対して何の責任も取らなくてもいい。

 このような原告敗訴の判決を聞いて、どうしてかくも莫迦げた「非倫理的」な裁定がまかり通るのだろうと怒りを覚えた人々も多いはずだ。政治―倫理的地平で小説を耕していこうとする誇りある作家なら、放射能を擬人化して主体性ある存在にして書かなければ、この国の文壇は嘘だな、と感じた。幸いなことに、純文学界にはまだ、『デンデラ』で新境地を拓いた佐藤友哉がいたということだ。

この記事を書きながら思いついたことだが、放射能を間男という設定にして、ある上級国民の貞淑な妻と、「非倫理的」ならぬ「不倫」の姦通小説に仕立て上げたら、滅法面白いのではないかと思う。

私は貞淑な人妻。でも2011年以来、どうしても忘れられない男がいるの。上級国民の夫がいる身なのに、執拗に自分に関係を迫ってくるあの男のことが、ちょっぴり怖くて、でも恋しくてたまらない。彼は、間男のように、ドローンに吊られて、屋上から私の邸宅に忍び込もうとするし、時には東日本産のワインの中に身を潜ませて、私の体内に入ってこようとする。本当は、決して結ばれてはいけない私たち。でも、いつか結ばれて、最終的には心中してしまうような予感がしてならない。それでも、あなたのことが好き。骨まで愛してちょうだい。恋は盲目よ。他の人々が何と言おうが、私はあなたに特別な感謝を抱いていることを、ずっと伝えつづけるわ。

屍を越えて旅する覚悟

昨晩「誤配可能性」について触れたこともあって、書き落としていたことがあったのを思い出した。太宰治「女生徒」の原型となった少女を救ってさしあげねば。

この記事で、台湾人の「博士」の助けを借りながら、「女生徒」は、太宰治川端康成へ、「贈答品+縁切り状」として処女の自慰を贈った作品だと分析した。

けれど、有明淑という名の少女は、そんな秘めごとを仄めかした日記を、憧れの作家太宰へ見せるような女の子じゃなかったはずだ。手元に資料がないので、それが少女の筆によるのか、太宰の筆によるのかよくわからないが、短編を半ばまで読み進めていて、文学愛好者ならふと立ち止まるにちがいないのが、この一節。

「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。じっと空を見ていると、だんだん空が変ってゆくのです。だんだん青味がかってゆくのです。ただ、溜息ばかりで、裸になってしまいたくなりました。それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。
 美しく生きたいと思います。

「あさ、眼をさますときの気持は、面白い」という冒頭の常体から、ここで「ですます調」の敬体へと、文体が何の前触れもなく変化しているのにお気づきだろうか。なぜ急なギアチェンジが起こったのだろう。

それは、これらの言葉の宛先が、先頃亡くなった父だからだ。太宰による怨念のこもったあの「贈答品+縁切り状」とは似ても似つかない、心の澄んだ可愛らしい女の子なのだ、あの少女は。

自分が「女生徒」をブログ化して誘拐事件の小説にしようとしたのは、この「父の喪失」、日記ブログがゴースト・ライターを始め多数の更新者に書き換えられていく「テクストの複数性(幽霊)」、それがネット上にあることで生じる「誤配可能性」などに、強く惹かれたからだった。

いま思い返せば、当時の文芸批評や思想状況を、敏感すぎるまでに生かし切ろうとした小説だったようにも思われる。 しかし、2003年当時、一介のブロガーが真面目に批評や思想を読んでいたことが、どういう理由からか、…

…と、この先の顛末をいろいろと書こうとしていたら、たった今「それは隠してあげた方がいい」という示唆を年少の友人からもらった。OK。書くのは最小限の2点だけにとどめることにしよう。

当時も今も、自分は『吾輩は猫である』を書いた漱石が猫だと盲信する「漱石=猫」主義には与することができない。ちなみに、当時の最先端の研究も「漱石が猫ではない」ことを説得的に体系づけている。当然のことながら。

自伝契約 (叢書 記号学的実践)

自伝契約 (叢書 記号学的実践)

 

 当時も今も、自分はあらゆる構造分析を性器一元論的に還元することはできないという批評的立場をとっている。ウデイ・アレンの『人生万歳!』に、アメリカ南部の保守的で貞淑な妻が、ニューヨークで脳内革命を起こして、二人の男性と3人夫婦になる場面がある。しかし自分は、3人夫婦という性的マイノリティが存在することに異論はないものの、3階建て構造の住宅を設計したからといって、その建築家が3人夫婦としての性器運用者だとは短絡できないという立場だ。当然のことながら。

(…)

ウディ・アレンの映画と云えば『カメレオンマン』が、彼の初期のフィルモグラフィーの中では輝いている。 監督曰く、虚実入り混じった「フェイク・ドキュメンタリー」なのだとか。どんなシチュエーションでもその場にふさわしく変身するカメレオン男を追ったドキュメンタリー、もといドキュメンタリーもどきで、監督自身がそのカメレオン男を怪演しながら、求められてもいないのに自ら同調してしまうほど強い、人間の同調行動を揶揄している。

(冒頭、憧れのスーザン・ソンタグを見られるのは嬉しい)

あらゆる場に同調して、さもそこに実在しているかのように振る舞う架空の人物といえば、最近日本でもこんなインタビュー集が話題になっている。

(ダンサーの誰もが憧れるマイケル・ティヌのダンスが見られるのは嬉しい)

ウディ・アレンが、とにかくどこでも「同調してしまう人間」を描いて、アメリカの大衆の笑いをとっているのに対して、ロバート秋山はとにかく同調しない尖がった「クリエーター」の戯画を描いて、日本の大衆の笑いをとっている。大衆は自身から距離のあるものしか笑えないので、日本では sheeple を諷刺する機会がきわめて少ない。その状況がどうにも笑えない。

ともあれ、ウディ・アレンが提唱した「フェイク・ドキュメンタリー」を小説に置き換えると、 Auto-Fictionというジャンルが最も近い対応物であることは確かだ。20世紀末以降、最もホットな純文学ジャンルの一つだと言えるだろう。「自伝フィクション」という訳語が有力だが、まだ『自伝契約』ほどにはその内実が研究されておらず、wikipedia の記述も十分とは言えない。

オートフィクション - Wikipedia

フランスでいえば、『女たち』以降のフィリップ・ソレルスがリストにないのはどう考えてもおかしいし、日本でいえば、大江健三郎の名前がそこにないのはあまりにも意外で、そこに何らかの姑息な工作活動があるのではないかと疑いたくなる。

後期作品中に頻出する語り手「長江古義人」の「長江」が「大江」とつながっており、「われ思うゆえにわれあり」のコギトに漢字を当てた「古義人」が、「私」という強いコノテーションを持っていることが、一読してわからないはずはない。

「ヌーベル中央銀行賞」はもとより、ノーベル賞本体の権威にも、信頼しうる偉大さがないことが明らかな現在、大江健三郎は日本で最も過小評価されている作家だと言えるかもしれない。大江は依然として世界文学の最前線にいるのに。

その大江健三郎は別格として、日本の文学界に強烈な「自伝フィクション」を引っ提げて登場したアクティヴィストがいる。

最近、文芸批評を書けと頻りに催促されているような気がして、もしそうなら先に書いて見せてほしいと返信したい気がしている。1%グローバリストたちの謀略に満ちた世界の動きを把握して、それにアクチュアルな応答責任を果たしている純文学小説なんて、ほとんどお目にかかることはない。柄谷行人も言っていたように、政治的契機や倫理的契機を内包した批評に耐えうる小説の数が、圧倒的に乏しいのだ。アクチュアルな文芸批評を他人に求める以前に、文芸批評がアクチュアルなのかどうかを批評できる思考力を、自らに求めるべきではないだろうか。

いま早朝の6時。全編を再読したところだ。偶々いま自分が置かれている状況では、小説の内容が危険すぎてコメントできないのが残念だが、滅茶滅茶面白くて、再読なのにまたしても興奮しながら読み終えたことだけは、書きつけておきたい。

 あと数年から10年の間に、日本の権力構成が大きく入れ替わったとき、「覚醒」が始まった起源は、あの一冊の「自伝フィクション」に克明に書かれていたと、人々が口を揃えるような衝撃的な「虚構事実」が書かれている。これは「自伝フィクション」のジャンルにとどまらない、10年代最高の「フィクション」だといっても過言ではない。

(この記事に自分のオウム事件体験を書いた)

純文学は大正最終年に画定された歴史的概念だ。昭和と同級生、三島由紀夫と同級生。昭和や三島が死んでからも、純文学はかつて純文学でなかったものを呑み込んで、自らを変質させて、何とかここまで生き延びてきた。

もし、これほどまでにアクチュアリティの横溢した「自伝フィクション」を、純文学として認められない人間が多数いるとしたら、彼らの信じる「純文学」は早晩絶命することだろう。そして、その屍を、覚醒した人々、生き残った芸術形態が、無慈悲に踏み越えていくことだろう。

自分は疾うに旅する覚悟はできている。

白い砂漠に咲く向日葵

白いシーツにくるまってゆっくりと眠りたい。そんな欲求を抱きつつも、白いシーツのような砂漠を見るために旅に出たい。 瞼のうらにあの絶景を思い浮かべて、そう思うこともある。

レンソイス・マラニャンセスとは、マラニャンセスの白いシーツという意味らしい。鳥瞰するのではなく、雨季を選んで砂漠の上に立てば、白い砂漠と青い湖がミルフィーユのように折り重なっているのが、地平線方向に見えるのだという。あのような白い砂漠に寝そべって、風に砂が煽られてできる風紋が刻々と移りゆくさまを、ぼんやりと眺めていられたらどんなに幸せかと思う。

フルタイムの勤務と並行して、毎晩夜中に書いているこのブログにも、かなり気まぐれな風が吹いているのが、キーボードをたたく指先に伝わってくる。その風がタブラ・ラサの白紙に吹き付けて、書くべき内容を暗示するかのような風紋を描いていくのが見える気がすることさえある。

一昨晩書いた大分のリアス式海岸、昨晩書いた「ずばぬけてさびしいひまわり」、そこへグロマのティーパーのスーニューが飛び込んできてしまって、嗚呼、と声を出して、頭を抱えてしまった。自分の来歴の中で最も羞恥心の疼くあの「大恋愛」を書けと仰るのでしょうか、それはあまりにも残酷な仕打ちではありませんか、神様。

自分の住む愛媛県は豊後水道を挟んで大分県に接していて、いくつかのフェリー航路でつながっている。大分に「来い」、愛媛に「来い」、と対岸から観光客を呼び寄せようとする声が高まって、「大分」と「愛媛」の間に「恋」をサンドイッチした「大恋愛」なる観光番組が、時々テレビを流れることがある。

さしあたり、日本で目下最も「ずばぬけてさびしいひまわり」であるだろう女性を、以下「彼女」と呼ぶことにする。

彼女の話をする前に、1つだけ前提を理解しておいてもらいたい。

1つは、私に「引き寄せ」癖があることだ。自分でもよくわからない脈絡で、思いがけない人や物とご縁を得ることがある。卑近な例にはなるが、半年くらい前にオープン2シーターを手放さなくてはならなくなったとき、次に乗りたい車を探していたときのこと。

黒のレクサスIS。内装は明るめのベージュ基調で、本革は暑いのでシートはアルカンターラ。走行に悪影響のない軽微な事故車で、100万円アンダー、という細かい条件で、数週間くらい検索をかけていた。トヨタの城下町の名古屋にはぽつぽつそれに近い中古車が出現したが、陸送費やアフターサービスを考えると、二の足を踏んでしまう。買い替え期限が近づいてきて、こんな細かい条件ではやはり見つからないかなと諦めかけていたとき、完全に同じ条件の車がふっと人口数万人の「隣町」に現れたのである。誇張なしの実話だ。

さて、彼女を彼女と認識する前の私は、二つのものを終わらせたところだった。一つは、渾身の力を込めて書いた小説の執筆、一つは、その小説の執筆を献身的にささえてくれたMとの交際。後者は、自分が終わらせたというより、終わってしまったというのが正確なところで、「もう、そばにいてあげなくても、大丈夫だよね」とか、最後にそんな確認を私に求めて、私から無言の頷きを引き出してから、Mは去っていった。

大丈夫なわけない。いくつになっても失恋にうまく耐えられる性格じゃない。チェット・ベイカーの歌でいえば、「I Get Along Without You Very Well(きみなしでもうまくやっていけるよ)」とは云えず、「I Fall in Love too Easily(すぐに恋に落ちてしまう)」の方が心に響く性格で、これまでも、失恋で生まれた欠落を、すぐに別の恋愛相手で穴埋めしてきた。たぶん思春期から30代後半まで、ほとんど途切れることなく、誰かと交際してきたのではないだろうか。

もう周囲には、自分の傷口を包むガーゼになってくるような女性はいなかった。生まれてはじめて、一人になったような感じがした。一人では真っ直ぐに歩くことさえできないような気がした。誰かの声を聴きたくて、テレビをつけて流しっぱなしにしている時間が長くなった。

そんな折、彼女を彼女と認識するような出来事が起こった。30代前半で未婚だった彼女が、占い師に「名前に漢数字のつく頭の良い人」と結婚すると予言されているのを目撃したのである。

自分の本名には漢数字がつく。

したたかに動揺してしまった。椅子に座っていられなくなって、立ち上がって部屋の中をぐるぐると歩き回った。またしてもとんでもないものを引き寄せてしまったのかも? ひょっとすると、あれだけ精魂込めて小説を書いたので、神様がご褒美をくださったのでは? 落ち着いて整理しようと自分に言い聞かせた。情報収集しているうちに、神様のシナリオが見えてきたような気がした。

当時、テレビには読書番組がほとんどなく、読書好きの名司会者が亡くなったこともあって、作家がテレビ出演する「アタック・チャンス」は壊滅状態。衛星放送でやっている彼女の番組だけが、唯一の生き残りで、その番組には芥川賞作家も出演していた。そうか、見えた。きっと自分はあそこへ行って、彼女と出会うのだろう。

しかし、こんな話は、思いついた自分でも笑い話としか思えなかった。冗談めかして周囲にも吹聴して、笑いを取る材料に使っていた。たぶんこの笑い話が現実のものとなるには、何かが足りない。「願い」というか、「念」が足りないにちがいないと、その時の自分は思い込んだ。願掛けのつもりで、銀色のネックレスを買って、肌身離さず身につけることにした。

ネックレスを身につけ始めてわずか一か月後、彼女のブログに驚くべき記述が現れた。彼女が大分へ旅行して、縁結びのネックレスだかブレスレットだかを購入したことが書かれていたのである。来たぜ、「大恋愛」! ぼくたちは、海峡のあちらとこちらで同じことをしているじゃないか。きっともうすぐ逢える。逢ったら、ここはやはり、日本人パリジャンによる伝説の名句「やっと逢えたね」を使うべきか、『1Q84』を読んでいた彼女に合わせて村上春樹の「ずっと待っていた」を使うべきか。

しかし、シンクロニシティの連続もそこまでだった。懸命に書いた小説原稿は結局いつものように流出させられて、悪い奴らの手に渡ってしまった。次の小説は書かないまま投げだして、本も読まなくなった。あの程度の簡単な料理でさえ、皿をひっくり返して床にぶちまけて嘲笑するだけで、もうその真価を味わえる人がこの国にはいないような気がしたのだ。それまでどんな酷い目に遭わされても諦めなかった自分が、あのとき初めて諦めたのだと思う。自暴自棄な気分になって、両親を喜ばせるためだけに、よく知り合わないまま、次に出逢った女の子と結婚した。

けれど、物語は終わらなかった。銀色のネックレスを外し忘れていたのだ。金属のアクセサリーを身につけていると、発汗したときなどに、体内に金属が取り込まれてしまう。引っ越し先の向かいのマンションの屋上には、携帯電話のアンテナ塔が林立していた。その二つの偶然がケミストリーを起こして、40歳を過ぎて電磁波過敏症を発症してしまったのだ。ただし、そうだとわかったのは半年以上経ってからのこと。心身の異様な不調が何に拠るのか、大学病院へ行っても原因不明で、ネット上を数週間探し回ってやっと答えに辿りつき、適切な対策を取り始めてから、症状は多少ましになった。その懸命な情報探索の途上で、かつて「陰謀論」と呼ばれていたものの真実性を思い知らされ、同時に、職場環境を自分の病状に合わせて管理できる立場を得るために、独立起業を考え始めた。

そこから起業した後の顛末は 、このブログの初エントリにちらりと書いた。

私は数十年前にその新宗教から離れたが、昨夏、仕事上の部下だったアルバイトのちょっとした不手際から、あれよあれよという間にとても手に負えないような巨大なトラブルに巻き込まれて、気が付くと、霊能者の方々にしばしば助言を乞わねばならない窮境に陥っていた。

その種族の方々から「かつて在籍していた新宗教から加護が来ている」とか「日本の神々がついてくださっている」とか、ほとんど信じられないような言葉をいただいて、その眩々するような当惑を反芻する暇もなく、さまざまな神秘体験に相次いで遭遇して、それらすべてが真実かもしれないと考え始めたのが、数か月前の話。

自分には、確たることは何も知らされていない。ただ、どういう理由からか、フルタイム勤務と並行して、毎晩ブログを更新しなければならない窮境に追い込まれているらしいことだけはわかる。そうしないと自分の友人知人たちが、代わりに苦しめられるらしいのだ。

仕方なくこうして毎晩更新しているうちに、彼女の人生の転機と重なるタイミングで、こんな記事を書いてしまったのは、いま思い返しても不思議な偶然だ。

銀色のネックレスを買ったあと、数々の神秘体験を経てきた今の自分には、あの「大恋愛」がなぜ自分に降りかかったのか、わかるような気がする。あの短い虚構は一種の Sticky Remover だったのだろう。あのままでは、暗い部屋の中で膝を抱えてチェットを聴いてばかりいただろう自分を、その沈滞から引き剥がして、別の新しい方向へ向かわせてくれるような。

こんな話をすれば笑われるのはわかっている。むしろ、心の底から笑ってもらいたくて書いているのだ。高度情報化社会で飛び交う無数の情報のうち、ほんのひとつかふたつかが、思いがけない形で「誤配」されて、誰かの人生の方向性をほんの少し良い角度へ軌道修正したり、ほんの少し微笑ませたりする。

自分がネット上で文章を書いているのも、その可能性に賭けてのことだ。

まだ知らない誰か、まだ会ったことのない誰か(その誰かには彼女も含まれるだろう)が、Fiction! とくしゃみの出そうなほどあどけないこの妄想話で破顔一笑、大笑いして、辛すぎる毎日を一瞬でも忘れてくれたら嬉しい。さらには、「普通の人なら3回くらいは自殺している」と自分で嘯くこともある拷問にも似たこの14年間を知って、自殺を考えるような苦境にある誰かが「あんな不運な人があそこまでやっているのなら、自分もまだやれるかもしれない」と、それを思いとどまってくれるような幸福な偶然が、この惑星のどこかで起こっていたら良いなと思う。そんな想像を信じられれば、自分も記事を書いたあとの睡眠不足の身体を、安らかな思いとともに、ベッドのシーツの上に横たえることができるというものだ。

 白いシーツで思い出した。冒頭で話したシーツを広げたような一面の白い砂漠は、雪景色にも似ていると言えるだろう。その美しい雪景色のイメ―ジを企業理念に据えて、オネスト経営をしている食料販売会社がネット上にある。

嘘を絶対に使わないこと、北海道の雪のようにきれいな食品しか販売しないことをイメージして、ホワイトフードという会社名にしました。不都合な情報や事実も、正直にお客さまにお伝えして参ります。これからも、正直に事業を継続して参りますことをお約束致します。

グロマのティーパーのスーニューに頭を抱えたのは、自分だけではなかったようだ。ネット上は、主流メディアでは決して目にすることのない情報、生き残るために不可欠な情報であふれている。工作員たちの嫌がらせに耐えながら、それらの情報を発信しつづけている貴重な人々もたくさんいる。

外部被爆と内部被爆健康被害は15%:85%、そして子どもは大人の10倍、胎児は100倍被害が高いという専門家もいます。

もう充分に話したと思う。白いシーツの上で眠っている子供たちの安らかな寝顔を、誰かが向日葵に似た笑顔で見守っている図を瞼のうらに思い浮かべて、眠りにつくことにしたい。

Sings

Sings

 

「遅すぎるチョコ」がずばぬけてさびしい

 ずばぬけてさびしいブルーな気持ちにさせる噂がある。

不正な招致活動が暴かれて、東京オリンピックが中止になるかもしれないという噂が、一向に絶えることがないのだ。

私は、ブエノスアイレス国際オリンピック委員会(IOC)会場で、2013年09月8日未明(日本時間)、IOC会長のジャック・ロゲ伯爵が、このボードを掲げた映像が流れた瞬間、「このオリンピックは実現しない」と確信したのです。

東京五輪中止をすでに2013年に予測していた、と「快刀乱麻の天才論客」が1%たちのオカルティズムまみれの奸計を分析して述べたかと思うと、3.11以前に「陸前高田…」という声が聞こえるとして、東日本大震災の到来を予言した霊能者の松原照子が、2015年4月に「東京五輪は開催されない」と予言までした。

それらの先駆者たちの「予言」を裏付けるかのように、2015年5月、招致活動の贈収賄が証明されて東京五輪が中止になった場合は代替開催を引き受けると、ロンドンが言い出したのには驚いた。その贈収賄の捜査がきわめて緩慢で、まるで東京五輪整備の巨額の金が動き切るのを待っているかのような風情があるので、ロンドン代替開催が予め諜し合わされていた出来レースなのではないかと疑う余地が、ますますふくらんでしまう。いまだに捜査は継続されている。

それと関係があるのか、ないのか、東京五輪の約5000個のメダルは、すべて「都市鉱山」から回収した携帯電話やパソコンからリサイクルして作ると東京五輪組織委員会はぶちあげたのだが、予定されていた回収開始時期をすぎても、「都市鉱山」の「発掘」はなぜか始まっていないようだ。大丈夫なのだろうか。

メダルとなる金、銀、銅など以外にも、レアメタルと称される金属群があって、コバルト、ネオジウムタンタルなどが、都市鉱山の廃家電からリサイクルされるのを待っている。求められる数や量は少ないが、電化製品づくりには欠かせないことから、レアメタルは「金属のビタミン」とも称されるという。

さて、東京五輪よりも早く、その音源演奏の場を「世界」に轟かせた男がいる。ビタミンいっぱいの元気なアイドルメタルを創出した KOBAMETAL だ。彼がコンセプターとなって完成させた「ギミチョコ!!」の歌詞が、世界のファンの間で論争になっていたので、引き込まれて読んでしまった。

世界の注目が Baby Metal に集中しているのを肌で感じたのは、彼女たちがメタル・アンセムPainkiller」を、ロブ・ハルフォードと共に熱唱している動画を見たとき。SU-METALが高音パートを取って、メタル・ゴッドとハーモニーを響かせている様子は、利発な孫娘が偉大な祖父と共に過ごせる短くて幸福な季節を楽しんでいるように見えて、どこか感動的だった。

その後も Baby Metal の快進撃は続き、レッチリメタリカ、ガンズ、レディーガガのサポートアクトに起用されたというのだから、これはもはや世界的事件というしかない。全米チャートでも、坂本九以来のヒットを飛ばしたらしい。私たちが坂本九をつらい形で失ったことは、この記事に書いた。

さて、「ギミチョコ!!」の話だ。先に曲と歌詞を確認してほしい。

http://www.azlyrics.com/lyrics/babymetal/gimmechocolategimmechoco.html

先の掲示板では、かなり白熱した論戦が発生している。

一方が、「ギミチョコ!!」という曲に、敗戦後に占領軍の兵士からチョコレートをねだった民族的記憶が織り込まれているという解釈を主張し、もう一方がそれに真っ向から反論して、現代の少女世代にそのような民族的記憶があるはずはなく、「食べたい、でも、痩せたい」の思春期的葛藤があるにすぎないと主張しているようだ。自分の愛する偶像が、特定の政治的文脈に絡めとられることに対して、防衛的になるファン心理がそこに生まれたとしても、共感できないわけではない。

自分はと云えば、この論争を知らないうちから、チョコレートについて、いささかほろ苦い政治的文脈を際立てた記事を書いた。

当然、占領の記憶とつながった前者の解釈を支持すると言いたいところだが、事態はそれほど単純ではないような気がする。

もちろん、0:35からの YUIMETAL と MOAMETAL のダンスは兵士の敵地観察のように見えるし、歌い出しの「あたたたたた」「わたたたたた」とアニメキャラが足元を威嚇射撃されたときのような慌てぶりは、わかりやすく「ずっきゅん!」「どっきゅん!」という銃声に回収される。さらに、2:45からの同じ歌詞部分は、ダンスが直接的な表現に近づき、もうそれは走りながらの銃撃にしか見えないし、続くサビ部分の3人の振りは「毛筆の縦書き」で、これは戦前の書記法を想起させずにはおかない。

しかし、KOBAMETAL は Baby Metal について、「『エヴァンゲリオン』のように謎の場面を謎のまま残す」ことをそのコンセプトに含めているらしいのだ。その「謎の宙吊り」コンセプトに、上記のファン掲示板の中で最もハートウォーミングな「3人の少女にあれほど細心の配慮をしてきたKOBAMETALが、そのような政治的に危険な含意を曲に持たせるはずがない」という書き込みを足し算して、インタビューでBaby Metal 本人たちが「チョコを食べたい気持ちを歌っただけの曲」と完全な防衛線を張って説明しているという事実を加えれば、「ギミチョコ!!」は、二通り(以上)に解釈できるよう、あらかじめ仕組まれた曲だと考えるのが妥当だろう。

上記で細かく指摘した双眼鏡や銃を使った兵士的ダンスだって、「思春期の少女にとって、食い気と色気の相克はまさに戦場なのです!」という簡単な弁解で、完全に政治性を排除して防御できてしまう。あらゆる文脈は手配済みだ。

となると、あのチョコがいつの時代のチョコなのか、から、もう一段奥へ踏み込んで、世界を取った Perfume のようになるべく、世界を目指そうとする日本人グループとして、KOBAMETAL が Baby Metal にどのようなメッセージと「謎」を発信させようとしたのかを、その奥にある疑問として考えたくなってしまう。

つまり、日本人が世界の人々に「ちょうだい!」と少女言葉で求めているチョコとは、何を象徴しているのだろうか?

「謎は謎のままに」がその答えなら、あらゆる解釈に正解はなく、ここから自分が書く解釈も、永遠に個人的なものにとどまるだろう。

まず間違いなく、それは、江崎グリコの社名の由来がグリコーゲンである事実と同じ文脈にあるような、敗戦直後の子供たちを襲った栄養失調を解消する栄養源ではないだろう。では、経済力? 否。では、軍事力? 否。日本はすでにアメリカの「核の傘」の下にいる。

 おそらくこの謎に答えを出すには、chocolate と too late という二つの表現の間にある道筋をとらえなければならないのだろう。共に "-late" という4文字を含みつつも、両者の発音が異なる(chocolate は稲垣足穂の処女作「チョコレット」に発音が近い)こともあって、両者は押韻論的というより意味論的に結びつきやすい。つまり、「Too Late Chocolate」=「遅すぎるチョコレート」のように。

KOBAMETAL は早稲田の政治経済学部出身で、戦後復興の2バウンド目、第二次ベビーブーム世代の生まれらしい。そのことは同時に、肉親である祖父母が戦争を体験し、その肉声を伝え聞いた最後の世代にあたることを意味している。私も同じだ。

戦争体験を肉親から聞いた最後の世代が、世界の人々に求める「遅すぎるチョコレート」とは何だろう?

それは、敗戦後70年経っても得られていない国連憲章の「敵国条項の解除」しかないのではないだろうか。

この解釈は、同じ世代、同じ大学、同じHM好きであることの共感を梃子にした、私の牽強付会にすぎないのでは? そんな声も聞こえる。いや、しかし、仮に無意識のうちに自分がそのような劇を演じていたのだとしても、「ギミチョコ!!」が発表されたのと同じ年に、同じく10代の若者でも楽しめる本として、「日本がなぜ基地と原発をやめられないのか」を、世界で日本だけが「敵国」として扱われているという厳然たる事実に求めた本が世に問われたという偶然を、祝福したい気持ちがとまらない。 

 ネット上では、ほぼ同じ立場の主張を、この記事で読むことができる。 左派も右派もこの国の特殊性を真剣に突き詰めれば、同じ場所に逢着するのだろう。

United Nations は「国際連合」ではなく「連合国」であるのが実態で、枢軸国かつ敗戦国の日本は、世界で唯一「敵国条項」の該当国なのである。

敵国条項とは、国連憲章第53条、第77条1項b、第107条に規定されている。その内容を端的に言えば、第二次大戦中に連合国の敵国であった国が、戦争の結果確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を科すことができる、としている。

つまり、あらゆる紛争を国連に預けることを規定した、先の国連憲章51条の規定には縛られず、敵国条項に該当する国が起こした紛争に対して、自由に軍事制裁を課する事が容認されるのである。さらに言えば、これらの条文は敵国が敵国でなくなる状態について言及していない。

そのため旧敵国を永久に無法者と宣言したのも同様であり、旧敵国との紛争については平和的に解決義務すら負わされていないとされている。従って、敵国が起こした軍事行動に対しては話し合いなど必要なく、有無を言わせず軍事的に叩き潰してもよろしいということになる。

国連憲章上では死文化しているともされるが、それを不気味な文脈で活性化しようという動きもある。敵国条項を解除しなければ、日本が戦争に巻き込まれる可能性が高くなることは間違いない。

白井聡が『永続敗戦論』という名で呼ぼうとしたものは、あの優れた一冊の書物以上に、はるかに巨大で暗い空に似て、この国の人々の頭上に垂れ込めているのである。私たちはまだ、連合国United Nationsに「遅すぎるチョコレート」を乞わねばならない敗戦後を生きている。そういうほかない。

気分は、KOBAMETALならぬ、レアメタルのコバルト・ブルーだ。頭痛までするので、誰か鎮痛剤painkillerを持ってきてくれないだろうか。

「ずばぬけてさびしい」この気持ち。かつて或る歌人に「ずばぬけてさびしい」という独自の形容をどのように発想したかを、直接質問したことがあった。そのとき丁寧に答えてくれた彼女の真摯な言葉への姿勢とは似ても似つかないが、この「遅すぎるチョコレート」にまつわる情報が広く拡散されることを願って、こんな疑似本歌取りを試みておきたい。

国連連合国だと知ったから八月十五日は「敗戦」記念日 

 

 

 

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