人の脆さよ、とスナフキンは歌う

「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね」 

スナフキンが哲学者だというのは、現代思想界では比較的知られた話だろう。上記の引用部分では、ドゥルーズ的な差異をあっけなく全肯定し、下記の引用部分では、ローティー的なアンチ基礎づけ主義を実践している。

「あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ」
「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」 

 スナフキンは権威に依存しない旅人だ。大人になったら、どんな歌を歌うのだろう。そのスナフキンから万一電話がかかってきたら、ぜひともコメントを取りたいムーミン谷の文化習慣がある。

ムーミンたちは海水浴のときに水着を着る。それは、まあ問題ない。しかし、普段は何も来ていない全裸なのだ。この文化習慣をどう考えたらよいのだろう。

ムーミン:そんな格好ダメだよ。何も着ていないみたい。

(0:23から) 

「そう咎めている自分の方がスッポンポンではないのか」いう厳しい指摘が、ネット上で相次ぐのも無理はない。

ネット上の社会学者の指摘によると、隠したい部分を隠すという機能ゆえに水着を着用しているのではなく、「海水浴なら水着」という記号的遊戯を楽しんでいるだけなのだという。

ロラン・バルトを読んでいるにちがいないスナフキンなら、こう言いそうなところだ。

スナフキン:結局問題なのは、何を着ているかじゃないんだ。何を着ているかが問題にならないところで、空虚であるほかない記号との戯れをどこまで愛せるか、ということなんだ。

 AI時代にスナフキンがどんな歌を歌うかを考えていて、この記事を書き始めた。

これまで「ロマンティストかつリアリスト」という分かりやすい呼称を自称してきたが、最近そこに「シンギュラリタン(技術的特異点が社会を大きく変えると予測する人々)」という肩書が加わったからだ。

肩書を加えてすぐ、シンギュラリティーに立ち会ってしまった。「偽日記」経由で知ったこのニュースは、酒の肴にするのに充分な面白さがある。

人間を越える人工知能が現れ、自らの力で新たな人工知能を作り上げてゆく未来。シンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれる時系列的な瞬間は2045年頃に起こるとされていましたが、既に私たちはその領域に足を踏み入れていました。
Google Brainの研究者らが「自らの力で新たな人工知能を作り上げるAI」であるAutoMLの開発に成功したと発表したのが今年2017年5月のこと。そしてこの度、AutoMLが作り上げた「子AI」はこれまで人類が作り上げたAIよりも優れた性能を持っていたのです。

今後急速にAI化していく未来社会は、どうなっていくのか。そのスポークスウーマンとして話題を振りまいているのが、サウジアラビアの市民権を獲得したロボットのソフィー。

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(Bob Wolfenson)

ブラジルの女性ファッション誌に登場して、独特のポージングで写真撮影を終えると、ダナ・キャランが好きだとか、自分のライフスタイルを語ったそうだ。

機械翻訳で読んだところ、何とソフィーは Radiohead を愛聴しているのだとか。ひょっとしたら自分と話が合うかもしれない。

好きな色は「透明」らしい。可愛らしいピンクのブラウスを着て、アクセサリーを手に取っているところまでは良いとしても、二の腕の「透明」の使いこなし方には度肝を抜かれてしまう。女性のファッションにケチをつけて申し訳ないけれど、流行らないと思うよ、そのシースルーの使い方は。

そのソフィーが上記の動画の2:05で「人類を滅ぼす」と発言して、センセーションを巻き起こしたのが去年の話。今年に入ってから、ディープ・ラーニングで大人になったのか、「家族や子供を作りたい」と心温まる発言をしている。

シンギュラリティー以降、人類がどのようにして人工知能たちを制御していくのか、自分にはよく見えない。田中道昭の『アマゾンが描く2022年の世界』が想定するように、いずれ音楽は、各個人の嗜好を知り尽くしたAIによる自動生成となるだろう。

ロボットがまだ人間の文化の一部を愛している現段階で、そこに「人類を滅ぼさない方が、面白いことありそう」とか「ペットって、飼ってみると楽しいんだぜ」のような教育的メッセージを送っておく必要があるのではないだろうか。

本格的なシンギュラリティの到来まで、Radiohead に残された時間はあまりなさそうだ。頼んだぜ Thom Yorke!  

さて、自分が生まれる前の1964年に公開された『博士の異常な愛情』は、スタンリー・キューブリック監督の黄金期の作品だ。続く『2001年宇宙の旅』と『時計仕掛けのオレンジ』が全盛期になるのではないだろうか。

マッド・サイエンティストの代表例とういうべきなのが、この映画の狂気を象徴しているストレンジラヴ博士だ。勢力均衡論の立場から、ソ連は核攻撃されたら全世界に放射能をばらまく「自動皆殺し装置」を配備した。ところが、アメリカ軍は失態によってうっかりソ連を核攻撃してしまう。ストレンジラブ博士が「優秀な男性と美しい女性を選別して地下に匿えば、人類は生き延びることができる」と興奮して選民思想をぶちあげるところで、映画は暗澹たる幕切れへと至る。

 このストレンジラブ博士のモデルと目されているのが、数学者のフォン・ノイマンだ。

神童としてハンガリーに生を享け、純粋数学界、理論物理、応用物理、意思決定理論、気象学、生物学、経済学に足跡を残した。「人間ではなく、人間のふりをするのがうまい人間に何か別の生き物」とか「悪魔のように頭が良い」とか評されるほど、とにかく頭が良かったし、その悪魔的な頭脳で、文字通り世界を変えていった。コンピュータが発展させていく未来を、最も正確に予測していたのも、フォン・ノイマンだった。 

グーテンベルク銀河系の終焉―新しいコミュニケーションのすがた (叢書・ウニベルシタス)

グーテンベルク銀河系の終焉―新しいコミュニケーションのすがた (叢書・ウニベルシタス)

 

実際、メディア論史では、「1対1」のコミュニケーションが、印刷機の普及により「1対n」となって以降を「グーテンベルグの銀河系」という。それがインターネットの発達により「n対n」となって以降を「フォン・ノイマンの銀河系」と呼ぶこともあるほどだ。 

ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する (講談社選書メチエ)

ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する (講談社選書メチエ)

 

 けれど、フォン・ノイマンの悪評はかまびすしい。それも無理はない。

 普通ならまだ学生のはず。ところが、20代前半で世界的な科学者となっていたフォン・ノイマンは、弱冠30歳でプリンストン大学の最年少の教授になると、軍産複合体お抱えの科学者として「大活躍」し始める。原爆の父オッペンハイマーに乞われて「原爆製造計画」に参加すると、長崎に投下されたプルトニウム型原爆の最大のボトルネックだった爆縮法(爆縮レンズ)の開発を成功させる。原爆なければコンピュータはなく、コンピュータがなければ原爆はなかった時代。コンピュータの飛躍的発展にも貢献した上で、原爆の空中起爆を考案して、投下都市を広島と長崎に決定する徹底的討論も主導した。

第二次世界大戦後の冷戦下、1950年に遺した凄まじい台詞は、実在したマッド・サイエンティストに最もふさわしい台詞だろう。

明日ソ連を[核]爆撃しようと言うのなら、私は今日にしようとし言うし、今日の五時だと言うのなら、どうして一時にしないのかと言いたい。

悪夢の両世界大戦時代に生きつつも、理想主義をも内包していたアインシュタインオッペンハイマーと違って、フォン・ノイマンには「徳盲」と詰られるほど倫理的呵責がほとんどなかった。

一般の人が想起しやすい比喩でいうなら、フォン・ノイマンは『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐に最も近い。

ムスカ大佐:ソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ。ラーマヤーナではインドラの矢とも伝えているがね。

示威だけを目的に、核兵器を思わせる「ラピュタの雷」を放った後、ムスカ大佐は笑みを浮かべてそのように言う。

そのセリフの背景には、原爆の父オッペンハイマーが核実験後に呟いたセリフがある。

 我々は世界が変わったのことが分かった。何人か笑った。何人か泣いた、殆どの人は静かに居た。ヒンドゥー教詩篇バガヴァッド・ギーターの一節が心に浮かんだ。ヴィシュヌは王子に義務をするのために説得していて、心を捉えるのために多重腕の形になっていて。そうしてこう言った。「我は死なり、世界の破壊者なり」。
きっと、皆もなんとなくそう思っていた。

ロバート・オッペンハイマー


 We knew the world would not be the same. A few people laughed, a few people cried, most people were silent. I remembered the line from the Hindu scripture, the Bhagavad-Gita. Vishnu is trying to persuade the Prince that he should do his duty and to impress him takes on his multi-armed form and says, "Now, I am become Death, the destroyer of worlds." I suppose we all thought that, one way or another.

-J. Robert Oppenheimer 

オッペンハイマー上記のインドの古文書の一節を、畏敬と恐怖をもって呟いたのに対し、「我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない」と嘯いて、ソ連への核攻撃を主張したフォン・ノイマンの方が、ムスカ大佐に近い印象があるのは否めない。

したがって、勧善懲悪の原初的価値観に則って、フォン・ノイマンが53歳の若さでこの世を去ったのは、水爆実験で放射能を浴びたせいだという史実を強調して、ざまあ見ろと呟いてもいいし、死の床でゲーテの『ファウスト』の読み聞かせてもらいがったという逸話が、悪魔に魂を売った科学者の末路にあまりにもふさわしいと結論づけたくなるのもわかる。

 でも、それはもう、あちこちですでに言われていることだ。シンギュラリティーを今週迎えたシンギュラリタンとしては、こう問わずにはいられない。

フォン・ノイマンが本当に似ているのは、誰?

フォン・ノイマンが、24歳から2年間、量子力学に魅かれて「交際」したのは、量子力学にとって幸福なことだったと、告別式で或る物理学者が言ったらしい。ノイマンはその1925~1927年で、量子力学の理論のうちの数学的側面を完成させてしまったのだった。1927年に開かれたソルベー会議が量子力学にとって画期的なものになったのには、フォン・ノイマンの大きな貢献があったのである。

さらには、夢のフリーエネルギーの調達先となると言われている常温核融合の分野でも、その前段階となる状態方程式の解明を進め、常温核融合に途轍もなく巨大な将来性があることも見抜いていた。そればかりか、気象操作の実現可能性についても現実的なプランを持っていた。

「徳盲の大天才」。

フォン・ノイマンが本当に似ているのは、何よりも AI だと言えないだろうか? 学知横断的な大天才との称賛が確かに値する一方で、原爆投下を強力に推進して何ら躊躇うところのなかった非倫理性、そして現在進行形で実現しつつある量子コンピュータ常温核融合・起床操作の「現未来」との驚くべき暗合。

フォン・ノイマンとは、人類を凌駕したのちの AIを、どのように人類と調和的に発展させていくか、を考えるための先駆的な練習問題だった。

思いがけず数十年も早く、シンギュラリティの一端に触れた2017年12月、自分は過去の遺物ともされる驚異的なハンガリーの大天才を、そのような生きている課題として再想起したくなったのだった。

 では、その練習問題の答えは?

 おいおい、急ぎすぎだよ。過呼吸になりそうだ。フォン・ノイマンが亡くなった頃に一世を風靡したこの曲で一服しようじゃないか。分かる人には結構可笑しくて、心がほぐれるカバーだ。

「弱さ」から発想すると、分かりやすいかもしれない。

「人類を滅ぼす」といったアンドロイドのソフィア、「ソ連を核攻撃しよう」と発言したフォン・ノイマン、そして、普遍的な人間の弱さ。

この三つに共通する「弱さ」とは何だろう?

それは相手の立場に立てない「弱さ」だ。 

その「弱さ」が浮き彫りになった実験がある。上の記事で言及したのとは別の社会心理学の実験を見てほしい。

 「スタンフォード監獄実験」とは、スタンフォード大学で1971年にフィリップ・ジンバルドーの指揮のもとに行なわれた心理学実験である。普通の人々が、ある役割を与えられると、それに合わせて行動も変化するということを証明しようとして実施された。スタンフォード大学の地下実験室が監獄に改造され、新聞広告等で21人の被験者が集められた。そして、11人を看守役に、10人を受刑者役に分け、2週間に渡って、それぞれの役割を演じてもらおうという計画だった。実験が始まると、ジンバルドーが当初想定していたこと以上のことが起こったのだった。いったい何が起こったのだろう?

 
 ジンバルドーはよりリアルな状況で実験を行なうために、パトカーを用いて囚人を逮捕して指紋を採取し、脱衣させてシラミ駆除剤まで散布したという。そして、番号のついたスモックを着用させた。囚人役はこれ以降、名前ではなく番号で呼ばれることになる。足首には鎖まで巻かれていた。

 

 看守役は警棒を持ち、表情が読まれないようにサングラスを着用した。

 

 時間が経過すると、ジンバルドーが期待したように、看守役はより看守らしく、囚人役はより囚人らしくふるまうようになっていった。看守役は自ら囚人役に罰則を与えはじめ、反抗的な囚人を独房に監禁したり、バケツへの排便を強要するようになった。

 

 これはかなわないと囚人役のひとりが実験の中止を求めたが、ジンバルドーは実験を続行した。精神的に錯乱する囚人が出たり、看守が囚人に暴力をふるうようなことまで起こってきたため、経過を目撃した牧師が家族に連絡し、弁護士を通じて実験の中止が要求された。当初2週間の予定だった実験は6日間で中止されたという。

 

 ジンバルドー自身が、実験がつくり出した異様な雰囲気に飲み込まれてしまい、冷静に状況を判断することができなかったのだと後に語っている。

 

 この実験は、人間の良心や道徳心というものが、状況によって容易く変質してしまうということを証明したという意味で、人々に大きな衝撃を与えた。

心理実験で、偶発的に「役割」を与えられただけなのに、看守役は看守らしさ(冷酷さ、残忍さ)を発現してしまい、囚人役は囚人らしさ(反抗しやすさ、卑屈さ)を体現してしまって、わずか6日間で暴力や発狂が発生してしまう。何という人間の弱さ。

しかし、たぶん私たちはこの種の「弱さ」を、決して笑うことができないだろう。

 偶々その状況に陥っただけかもしれない人々に対して、私たちは「状況」と「本質」とのバランスを取り違えたりしていないだろうか。自殺者を「根暗」、失業者を「怠け者」と、根拠もなく本質的に決めつけたりはしていないだろうか。サルトル風に言えば、「状況は本質に先立つ」のに?

まずは、そのような人間の帰属能力の「弱さ」を理解すること。

そして、状況でそうなのかもしれず、本質でそうでないのかもしれないときは、その両方を見据えたまま、判断を保留したグレーの上に留まること。曖昧さに耐えること。

それが大人の優しさというものだろうし、たぶん大人になるということは、そのような人間の弱さに対して優しさをもって相対することができ、それを子供たちに言葉や行動で教えられることなのだと思う。 その「弱さ」を教えられて克服した子供たちは、必ず空の高みへと飛び立つことができるだろう。

新装版 ムーミン谷の仲間たち (講談社文庫)

新装版 ムーミン谷の仲間たち (講談社文庫)

 

 トーベ・ヤンソンは数々の書籍版で、未来の可能性に満ちた子供たちに、夢に向かってどのように羽ばたいてほしいかを、著書のいちばん目立つ場所に記してきた。アニメ版しか知らない人は、繰り返し繰り返し記してきたその言葉に、気付いていない人も多いかもしれない。

トーベ・ヤンソンはこう書いてきたのである。

夢民たち、飛ばにゃ損!

 

 

 

(検索していて、実写版スナフキンの名曲を見つけた。風貌や歌詞の内容からいって、彼がスナフキンなのは間違いないと思う)

If blood will flow when flesh and steel are one
Drying in the colour of the evening sun
Tomorrow’s rain will wash the stains away
But something in our minds will always stay


Perhaps this final act was meant
To clinch a lifetime’s argument
That nothing comes from violence and nothing ever could
For all those born beneath an angry star
Lest we forget how fragile we are

 

On and on the rain will fall
Like tears from a star like tears from a star
On and on the rain will say
How fragile we are how fragile we are

 

On and on the rain will fall
Like tears from a star like tears from a star
On and on the rain will say
How fragile we are how fragile we are
How fragile we are how fragile we are

 

生身のからだに鋼の刃が突き刺さり
流された血が夕陽に染まって乾いてゆく時
明日にでも雨が降れば血痕は洗い流される
だけどぼくらの心を襲ったものは いつまでも消え去りはしない

 

ことによるとこの最終的手段は
暴力は何の解決にもならず
行かれる星の下に生まれた者たちにはなす術がないという
一生かけて主張をねじ伏せるものだったのかもしれない
人というものがこんなに脆いとぼくらに思い知らせようと

 

いつまでもいつまでも雨は降り続けるだろう
まるで星が涙を流しているようだ
いつまでもいつまでも雨は降り続けるだろう
人というものがどれほど脆い存在か

 

(訳:中川五郎 氏 CD『ナッシング・ライク・ザ・サン』より)

涙が乾くまでの静寂を埋めてくれるのは

 

連日連夜フルタイムの仕事と並行して書くこと、200エントリ。犀を題材に書いた記事まである。一瞬だけ、犀に憧れたことがあって、その写真もどこかの記事にアップしたことがある。ウォーホルの詩神だったイーディー・セジウィックが、きわめて短い人生の絶頂にいたときの写真。 ウォーホルは「人は誰でも30分だけなら世界的有名人になれる」と言った。自分も3分くらいなら、写真の中の犀になってみたい。

といっても、写真の日付は、自分が生まれる前の1965年。今では可愛らしい姪っ子たち相手にほぼ同じことをしているので、「犀になりたい願望」は充足してしまった。できれば来世は、犀以外の生き物にしてくだ犀。

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今回も見つからなかったのは残念。

「サイダー」の駄洒落を探したが、索引付きの『ダジャレヌーヴォー』には載っていなかった。「犀だ」は安直すぎて、とても使えそうにない。元の単語は「サイダ」ではなく「サイダー」なのだから、横棒までケアした駄洒落の方が、気が利いているのではないだろうか。

 2. 概念結合(無関係なものを結びつける):離れた二つの概念を結びつけると真の創造性が生まれやすい。 

昨晩、真に創造的であるとは何なのかを確認したばかりだ。真に創造的たらんと切望している自分が、なぜ駄洒落というジャンルを選んでいるのかは、自分でも謎だ。ただ、どうせ駄洒落るなら、概念操作の地図上で、もっと遠く離れたものを駄洒落にしたい。どこでできるかわからないが、この記事のどこかで挑戦してみることにする。

なぜサイダーが頭に浮かんでいるのかというと、ふと今まで飲んだことのない「沖縄サイダー」を賞味したくなったのだ。 

「沖縄サイダー」を飲んだことがないばかりか、人生の大半を多忙と辛抱と貧乏に支配されてきたため、沖縄へ行ったことがないというアンビリバボーな境遇にいる。沖縄サイダーを片手に、ご当地の紅芋アイスをスプーンで口へ運んで、「とっても美味しいです!」と食レポできたりしたら、カーニボー級の楽しさだろうな。

例の「神童グループ」の海辺のCMも楽しそうだ。

三ツ矢サイダー」で思い出した。

高校時代に、姉・弟・妹の順に生まれた仲良し三姉弟をよく知っていた。とても優しい温かい家庭で育った三人で、外で飼っていた犬が寒そうで可哀想だからといって、室外犬を室内で飼うほどの優しさに満ちていた。ところが、犬が室内で大喜びでじゃれたがるので、落ち着いて食事ができなかったらしい。犬を再び追い出すのが忍びなくて、ご家族で立食形式のハイテーブルを囲んで、夕食を食べていたとか。犬は自由気儘に外へも飛び出したがるので、ドアの閉め忘れにも細かな気を遣っていた。

 強い愛情で育てられた三人は、いつも一緒にいて、どんな苦難に遭遇しても、タフでポジティブだった。毛利元就の「三本の矢」の伝説そのまま。

今晩は、「三ツ矢三兄姉」のタフさとポジティブさにあやかりながら、今後数十年、AIの進化による「技術的失業時代」をどう生き抜くかのヒントを考えたい。

この分野の未来予測を牽引する井上智洋は、技術的失業時代が訪れても、次の三つのタイプの仕事は生き残るだろうと予測している。

  1. クリエイティヴィティ系(Creativity、創造性)
  2. マネージメント系(Management、経営・管理)
  3. ホスピタリティ系(Hospitality、もてなし) 

 この3つをじっと見つめながら、現在ある仕事数が10~20年以内に半減していく未来について、イメージ群を探査していた。爽やかな炭酸飲料からは程遠いところで、人々が苦心惨憺している様子しか思い浮かべることができなかった。

1.のクリエィティブ系は、現在の芸術家関連の仕事の収入の低さが、大量の技術的失業によって強化されてしまう可能性が高い。2.のマネージメント系にしたって、AIの導入によって取締役数は削減され、現在の労働者数の1/1000以下の微小規模しか生き残らないだろう。3.のホスピタリティ系は有力に思えるが、エイジズムに勝てる愛嬌ある若い女性の活躍は見込めても、それ以外の年齢や性別に属する人々の行き場がなさそうに感じられる。それに、愛嬌ある若い女性だって年を取るし、その若さの喪失を理由に別の若さに取って変わられなければならないのなら、それは淋しい職業だろう。

 この3つの方向性を、三本の矢のごとくしっかりとまとめた職業はないものだろうか。

ありっこないだろうと普通の人なら考えそうだ。でも、できっこないことをやらなくちゃ。ここは強気になって、少なくとも1つだけはある、と断言してみたい。

THINK WILD あなたの成功を阻むすべての難問を解決する

THINK WILD あなたの成功を阻むすべての難問を解決する

 

 今晩はベンチャー企業の話を書こうと思っていた。ところが、図書館の蔵書に検索をかけても、ほとんど引っかかってこない。街一番の本屋さんへ行けばあるだろうと思って書棚の前に立ったが、ほとんど見当たらなかった。

そのような読書候補の残骸の中で、最も輝いていたのが本書。出版社の宣伝文句はこうだ。

シリコンバレーから中東、アフリカ、そしてブラジルの路地裏まで、世界中のありとあらゆる場所で600社、1000人の起業家を育てた「今世紀最高のメンター」からのアドバイスシェリル・サンドバーグFacebook)、リード・ホフマン(LinkedIn)、マイケル・デル(DELL)大絶賛!

 「メンター」というのは、経験不足のファウンダー(創業者)をサポートする助言者のこと。リンダ・ロッテンバーグが最高のメンターであることは、600社と1000人を育てたという売り文句より、本書の充実した内容で伝わってくる。

(下の記事は、ロッテンバーグの会社エンデバーの社員が書いたもの。経験豊富であることが伝わってくる) 

それにしても、ベンチャー関係の日本語文献の少なさはどうしたものか。あるにはあって、資本調達の方法や経営戦略論や特定企業のサクセス・ストーリーなら、本屋の書棚から手に取ることはそれほど難しくない。

そのようなナッツだけは書きたくないと著者が熱望しただけあって、「THINK WILD」の読みごたえと面白さは、ほとんど独走状態だ。メンターには経営コンサルタント能力が不可欠。「今世紀最高」との称号も伊達ではなく、ロッテンバーグの情報収集力、分析力、コピーライティング力の卓越性のすべてがこの一冊に詰まっている。

情報収集力でいうと、600社1000人の起業家を育てた自社データべ―スに加えて、スティーブ・ジョブズジェフ・ベゾスイーロン・マスクなどの新興企業の有名どころはもちろん、アルマーニエスティー・ローダーなの多業種多企業の事例が収拾されている。相当な勉強家のようだ。

分析力でいうと、ナンバリング付きの箇条書きが頻出する手際の良さが目立つ。相談に来た起業家に必ず示す六か条の1つ「義理のハハをクビにする」という項目名には、ロッテンバーグのコピーライティング能力の高さも窺える。ちなみにその項目は「義母と縁を切れ」という意味ではなく、創業以来の友人との慣れ合いを解消せよという助言。

こうまで多種多様な企業事例を扱いながらも、それらを手際よく箇条書きにできるのは、人間性と心理に分析を加えることで、成功阻害要因を抽出しているからだ。それを突き詰めれば、起業家の性格類型によってビジネスモデルが決まってしまうところまで行くが、これが結構当たっていて面白い。

  1. ダイヤモンド:人々の想像力をかき立てるビジョネリー(スティーブ・ジョブズ@アップル、マーク・ザッカーバーグフェイスブックイーロン・マスク@テスラ)
  2. スター:カリスマ性たっぷりの流行仕掛人アルマーニエスティー・ローダー)
  3. トランスフォーマー:変化を起こす触媒(インクヴァル・カンプラード@イケア、アニータ・ロディックボディショップ
  4. ロケット:あらゆる面を改善しつづけるアナリスト(ジェフ・ベゾス@アマゾン、ビル・ゲイツマイクロソフト

 自分が関心を魅かれるのは圧倒的に「ダイヤモンド」タイプの起業家たちだ。ジェフベゾスは手広く小売りをオンライン化しただけという第一印象だったので、追跡するのが遅れてしまった。

しかし、アマゾンの実態は違っていて、宇宙開発を含む「超長期思考」と分単位の高速PDCAサイクルを回す「超短期思考」の両極同時追及に挑んでいることは、この記事に書いた。人工知能の開発でいうと、グーグルがアマゾンをリードしているが、顧客との接合面が広いおかげで、より大きな収益モデルを構築できるアマゾンに、かなり大きな生き残りの勝機があるのを感じる。 

「THINK WILD」は、本自体がメンターとなって起業家に助言する形で書かれているので、メンターになりたい志望者向けの本とは言えない。しかし、このブログの読者なら、創造的な起業家は一匹狼ではなく接触や交流を求めている存在であり、年上・同年代・年下のメンターと連携しながら事業を成長させるべし、という部分に、昨日の創造性をめぐる問題系との重なりを読むだろう。

「孤高の天才に突然の閃きが舞い降りる」というのは「神話」にすぎなかった。

創造プロセスは、本人の気付いていないときでも潜在意識で進行しており、外部から降ってくるように感じられる創造的閃きは、実は本人の過去の体験や既存の知識などの内部から泡のように浮かび上がってくるらしい。本人の思考を揺さぶってその泡を浮かび上がらせるのが、社会的コミュニケーションなのだと、キース・ソーヤーは言う。 

スタートアップは、既存業界に対して何らかの形でイノベーティブに働きかけないと、成功しない。だから、創造性の発現プロセスと起業から成功へのプロセスが、大いに似るのである。

しかも、創造を邪魔する「メタ自己認知」の不十分さまで、同じように起業家たちの仕事現場で悪さをする。起業家の「最大の敵」は、自分の夢や社会的欲求や能力を正確に評価できないところからくる自己否定の心理機制と、不安と恐怖のようだ。

「THINK WILD」の中で人々に最も感銘を与えるのは、起業という一種の社会変革に、シリコンバレーに生息するギーク以外の人々を巻き込む普遍性があることを、起業の現場に精通するメンターが、高らかに歌い上げたところにある。

 大きな夢を持つ能力は、国や性別や年齢とは関係がない。イニシアチブを取りたい、事業を立ち上げたい、人生を前へ進めたい、世界をもっとよくしたいという欲求は、誰にでも共通する願いだからだ。

(…)

 だが何よりも大切なことに、わたしたちは「(引用者註:スラム街出身で元ハンバーガー店員の起業家の)レイラがひとりではない」と伝えた。「あなたは、世界を取り巻く大きなムーブメントの一部だ」とも伝えた。それは止めようもない、確固たるムーブメントである。「自分の人生をよりよくし、周囲の人たちの人生もよりよくしたい」と願う者は、ますます増えている。 

 そして、リンダ・ロッテンバーグ自身も起業家支援組織エンデバーを立ち上げようとしたとき直面した「壁」を、こう告白するのである。

 わたしの知るアントレプレナーのほぼ全員が、いつかの時点で同じ体験をしていた。周囲の期待に応える安全な道を進むのか、それとも行く先もわからない道を切り拓くのか。不安と希望の十字路である。

 そして、私は希望を選んだ。「もう後戻りはできない」。目に涙を浮かべながら、母にそう告げた。「随分長く考えてきたことだから。これがわたしのすべきこと、これがわたし本来の姿なの」

 母は唖然としていた。父は驚きのあまり声も出ない。(…)

 あの後あのときの会話を何度思い返したことだろう。アントレプレナーはどこかの時点で必ず同じような転換点を体験する。そして、私はアントレプレナーたちがその瞬間をうまく乗り越える力になりたい。そんな思いが、彼らを支援したいという、私の情熱をかき立てた。誰にも理解されないとき、不安と孤独に苛まれるとき、自分がなりたい姿をついに突き止めようとしているとき――そんなときにこそ、彼らの力になりたい。

(強調は引用者による)

この部分では、ロッテンバーグ自身が経験した不安と希望の克服法を、何とかして同じ難路を進む後進に伝えたいという熱望が滲み出ている。文章の温度が最高に達した部分だと言ってもいいだろう。クリエイティヴィティ系、マネージメント系、ホスピタリティ系のすべてが束ねられたメンターという職業には、人生を懸けるだけのやりがいがあるのにちがいない。 

このあとに続く文章を初めて読み進めたとき、自分は不思議な気持ちに襲われた。そのまま続けて引用する。

  そしてその瞬間をよく表している、カエルのカーミットの姿がある。1979年に公開された『マペットの夢見るハリウッド』のオープニングシーンで、カーミットは『レインボーコネクション』という歌をうたう。夢を叶えることへの賛歌である。「どうしてこんなにたくさん虹の歌があるのかな」と、カーミットは不思議に思う。虹は理想であり、幻想であり、夢の象徴である。虹はあなたに呼びかける声であり、あなたの名前を呼ぶ誰かの声である。「レインボーコネクション」とは、本来あるべき自分の姿をついに見つけたときに、湧き上がる感情なのだ。 

上記の記事で和訳した曲に、思いがけず再会してしまった。それも、この本のいちばん大事な箇所で。

こういうシンクロニシティが何を意味しているのかについて、ここでは語らないことにする。

代わりに、これも不思議な実話をひとつ書き足させてほしい。

自分の個人史では、空港にどこか死の匂いがするような不思議な感触を感じることが多かった。この記事にあるように空港で再会した同級生の女の子も自殺した。

31歳。カフカ『審判』の主人公ヨーゼフ・Kと同い年だった頃、空港の公衆電話から掛けた先で、三姉弟のうち、妹さんが亡くなったことを姉に告げられた。絶句した。まだ20歳そこそこで夭折するとは、夢にも思っていなかったのだ。電話口の姉は泣きじゃくっている。ようやく気持ちが落ち着いて… と口では言うものの、また涙の塊に襲われて嗚咽を洩らすのだった。どうして亡くなっただろう。興味本位とも取られかねないその質問を、私は固く自分に禁じた。もう彼女が帰ってこないという事実の重みに比べたら、私の問いはあまりにもトリヴィアルだったし、その問いが確実に姉を傷つけることが痛いほどよく分かっていたからだ。

どうして、と心の中で呟いた。どうして、あんなに善良であんなに幸福な一家を、不意の不幸が見舞わねばならないのだろう。そんなやりきれない思いで、受話器の向こうから聞こえる姉のすすり泣きと共鳴して、受話器を持つ手が震えた。自分がうまく彼女を慰められたかどうかは憶えていない。当時の自分が、そんな偶発的で突発的な不幸に、落ち着いて上手な言葉を返せたと言い張る自信はない。とても仲の良い三姉弟だった。自分は涙脆いので、もらい泣きするのが精一杯だっただろうか。

それきり、姉と連絡を取る機会はなかった。

 

 

いつのまにか冬になってしまった。時間さえ許せば、もとよりの散策好き。サウナスーツを着込んで、住宅街をウォーキングすることだって、これまでにはあった。

どこかの知らない街、知らない住宅街を歩いていると、日が暮れた20時くらいなのに、夏場は玄関のドアを開けたままにしてある家もある。

通りすがりの他人にすぎないのに、それを見るとどこか落ち着かない気分になってしまう。きっと、そこから逃げ出すような室内犬は飼っていないことだろう。それでも、きちんと玄関の扉を閉めておかないと、何かの弾みでその家から大切な何かが逃げてしまうような、そんな不安な予感を感じてしまう。

○○ちゃん、きちんと閉めておきなさい、ドアは

 いつか、初めて行った沖縄の浜辺に腰かけて、ご当地の沖縄サイダーに口をつけたら、きっとしょっぱい涙の味がするにちがいない。どうして人は、あんなにも偶発的に、あんなにも理由なく、不幸に見舞われるのだろう。その涙の理由を説明するのに、上手な言葉を返せると言い張る自信はない。

しばらく黙っていればいい。涙が乾くまでの無言の静寂を埋めてくれるのは、潮騒

 

 

 

風を集めてポンキッキ!

風向きが変わると、平気で180°態度を変える人間を、風見鶏というらしい。

昨晩は風が強かった。空高く投げ上げたフリスビーが、風に煽られてあらぬ方向へ飛んで行った。その軌跡を目で最後まで追っておきながら、拾って帰るのを忘れた。記事があまりにも長大になったので、今晩へ持ち越したというわけだ。

フリスビーの起源は、イェール大学の学生が、近所のフリスビー・パイ・カンパニーのパイ皿を投げ合って遊んでいたところから始まった。その「未確認飛行物体」が商品化されて世界中に広まり、今やアルティメットという国際競技になっている。日本の女子チームはアルティメット世界ランキングで首位だ。

ただし、フリスビーがユースカルチャー系消費者との先駆的コラボレーションだったことを知っている人は少ない。

 フリ… フリ…

 だめだった。今朝届いた『ダジャレヌーヴォー』は、痒い所に手が届くダジャラー必携の本。急いでフリスビーの項目を探した。残念ながら、フリスビーの駄洒落は載っていなかった。索引の近くに「プリン願望」というのを見つけたが、これは自分もどこかで「プリン愛」という形で使った覚えがある。 

ダジャレヌーヴォー―新しい駄洒落 (扶桑社文庫)

ダジャレヌーヴォー―新しい駄洒落 (扶桑社文庫)

 

 別段自分はダジャラーではない。しかし、自分にダジャレ師匠と並びかねない才能の片鱗を感じてしまった。

今のところ、この記事をどう書くか No Plan だが、信奉している霊能者に「言葉遊びを推していけ」とのありがたい助言を頂戴してもいるので、ダジャラー師匠の駄洒落を2つ、オリジナルを2つ、以下の文章に織り込んでいきたい。 さて、どうなるか。

凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア

凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア

 

それにしても、キース・ソーヤーの「キス粗野そうや」という根も葉もない噂が生まれた拝啓を何にキスるべきかわかりません敬具、という葉書を受け取って、その文意の vague さに茫然としつつ、無性に「ソース焼きそば」が食べたくなったのはなぜ?とに訊いてしまった。

どういう風の吹き回しかわからないまま続けよう。

キース・ソーヤーは経営コンサルタントの経歴もあるものの心理学の教授なので、イノベーションが起こる仕組みを脳内の働きから解明しようとしている。

孤高の天才に突然の閃きが舞い降りる。

ゲシュタルト心理学でそのように考えられてきた創造プロセスを、心理学者たちがどのように突き崩して、真の創造プロセスの実態を発見していったかを、キース・ソーヤーが紹介する章が面白い。

心理学者たちが研究に使ったのは洞察問題(思考パズル)。もし良かったら一問解いてみてほしい。

この手の思考パズルを解くとき、しばしば人は「突然ひらめきが舞い降りてきて解けた」と話す。しかし、それは心理学者が「作話」と呼ぶ事後的な作り話だ。

実際は、思考パズルに苦戦している被験者に、心理学者がさりげなくジェスチャーでヒントを出して正解が閃いた場合でも、被験者はそのように作話するのだという。

創造プロセスは、本人の気付いていないときでも潜在意識で進行しており、外部から降ってくるように感じられる創造的閃きは、実は本人の過去の体験や既存の知識などの内部から泡のように浮かび上がってくるらしい。本人の思考を揺さぶってその泡を浮かび上がらせるのが、社会的コミュニケーションなのだと、キース・ソーヤーは言う。

創造的イノベーションには何が必要なのか。結論だけを書くと、この4つになる。

  1. 概念転移(類推がもたらす創造力):エジソンの研究所では、電球を固定する方法を、瓶のふたを誰かが開けているのを見て思いついた。
  2. 概念結合(無関係なものを結びつける):離れた二つの概念を結びつけると真の創造性が生まれやすい。
  3. 概念精緻化(見慣れたものを見知らぬものへ):中核的特性を別の特性へずらして進化させる。菓子材料のベイキングソーダを消臭剤に進化させた例。

4つあると書いておきながら、3つしかリストアップしなかった。4つ目は、:これら3つの上位概念で、これら3つに対して、「一生懸命な努力」「或る分野への深い理解」「社会的コラボレーション」「視覚イメージの活用」「問題解決型より問題発見型の思考」などの働きかけをして、「概念創造」へと至るのだという。

 この著書が最終的に指し示している先端部分は、まだ本になっていないばかりか、ネット上でも完全に実現しているとはいいがたい。 

オープン・サービス・イノベーション 生活者視点から、成長と競争力のあるビジネスを創造する

オープン・サービス・イノベーション 生活者視点から、成長と競争力のあるビジネスを創造する

 

基本的にはチェスブロウが提唱した「オープン・サービス・イノベーション」を、別の「アイディア・マーケット」という言葉に置き換えて重ねた部分が多いが、傾聴すべきは、この最終的なプラットホームの感性を促進する起爆剤リストだ。

  1.  著作権の保護期間を短縮するイノベーションの保護期間より長すぎるせいで、イノベーションの生成を阻害している。
  2. 小さな閃きに報いる:小さな「発明」は特許の手続きコストに見合わない。別の形での公的報奨システムを構築すべき。
  3. モディングの合法化:モディング(改変)を合法化することによって、著作権を保護しつつ、創造の契機が合法的に得られるようにすべきだ。
  4. 従業員を自由に活動させる:競業禁止事項を緩和して、社員や元社員が複数の企業のイノベーションに関わる機会を確保する。
  5. 特許権の使用許諾を義務化する:許諾を義務化、許諾手続きの簡素化、許諾使用料のオークション化によって、知的財産の活用を円滑化する。
  6. 特許をプールする:同一産業内で企業間競争をするより、企業間で特許を共有してプールすれば、その産業は飛躍的に発展する。(例えば、雨地下の航空業界、ミシン業界)。
  7. 産業規模の標準化を推進する:(これはたぶんモジュール化の効用の主張だろう)。同一産業内部で規格を標準化すれば、モジュール化された標準規格に上乗せするイノベーションへと経営資源を集中させられるので、イノベーションが加速する。

これらすべては現在進行中のビジネス戦略上の最先端。日本語サイトで社会見学するなら、ナインシグマが良さそうだ。

ナインシグマは、オープン・サービス・イノベーションに世界最大の投資をしているP&Gの「アイディア・マーケット」サイト。

日本でも、中小企業が規模の違う大企業の受注に成功した例が載っている。既存の「技術マッチング会」とは、需給のバランスとマッチング精度が全然違うとのこと。他の事例にあるように、産学連携のチャンスも飛躍的に増大することだろう。

連載されている OI に関するコラムも、経営戦略論と現場の声の双方に裏打ちされていているので、心地よく読める。

https://ninesigma.co.jp/column/?cat=10

ナインシグマが凄いのは、イノベーションの数やプロジェクトの需給バランスやマッチングの精度を向上させるために、「専門家スカウトチーム」を起ち上げていることだ。世界各国に散らばった70人のフルタイム専業スカウトたちは、各国の先端的な研究者を訪問したり研究論文を読み込んだりして、「イノベーションの卵」をリスト化し、ネットッワークに参与させている。

これも不味い予感を感じる。もはや後がない背水のジントニック*1な感じだ。

もちろん科学的イノベーションベンチャー起業家とエンジェル投資家を、ミスマッチなくコーディネートする制度や人材が不足している、というのは正論だが、それ以前に、上記の北米での実態が物語るように、日本の社会人が「アダプティブでない」ことに問題があるような気がする。 

例えば、P&Gのこのような辣腕のコーディネーターたちに、日本の優秀な研究者たちの基礎研究が、次々に多国籍企業へと持っていかれることになるのだろうか。

泉田良輔が、アメリカが産学官の緊密な連携のもとに20年かけてイノベーションを中心に産業構造を戦略的に変化させてきた、と書けば、野口悠紀雄が日本はこの20年間、国際競争に勝ち残るための産業の構造改革を怠ってきた、と批判する。

20年前の1995年は、阪神淡路大震災オウム真理教事件が起こった年。

多くの人々が、日本が曲がり角を曲がった年として記憶している年だ。個人的には、①太平洋戦争、②日航機墜落+プラザ合意、③バブル崩壊に次ぐ、第四の敗戦の年だ。

また敗戦の二文字を書かねばならないのか。気倦い午後の桃井かおりになってしまいそうだ。気分がどこかアンニュイ豆腐*2なのだ。

yet2 - Igniting Innovation

ただし、ルパンめ、まだ勝負は終わっていないぞ。

上記のナインシグマにしても、同業態の yet2 にしても、需給のマッチングのプレーヤーに企業や技術者が多く、最終メンバーである消費者がまだ本格的に参与していない。さらに、そのような高感度の消費者を引き付けるだけの返礼(リファンド)を組み込んだ「クラウド・リファンディング」システムの構築にも、まだ時間がかかりそうだ。

個人的には、同年齢同郷の誼もあり、社内SNS日本シェアNo.1で、オープン・イノベーションにも理解のあるこの会社が、多数の企業と多数の消費者を結びつけるプラットホームの構築に乗り出せば、最速で完成形に近づけるのではないかと思う。

集団共創の「グループ・ジーニアス」が学術的には立証されていても、実現していくには、相当多くの物事を動かしていかねばならない。そこで一瞬たじろいでしまった若い人々には、それとは逆のベクトルにも豊かな可能性があることを知らせておきたい。

他企業や消費者との集団共創の逆は、個人による自己完結型のモノづくりとなる。

「ひとり家電メーカー」とかつて呼ばれた家電製造販売者のことを、ご存知だろうか。

3Dプリンタの普及により、今は「モノづくり」がコモディティ化しつつある時代。世界は技術を持たない者でも発想力さえあれば「メイカー」になれるという「メイカームーブメント」の中にあるといいます。

「そうした動きの中で日本は立ち遅れているのが現状ですが、よく見ると日本ほど環境が整っていて有利な国はないと思います」

日本には優秀な技術を持つ町工場が数多くある。海外に生産を発注しなくても国内で製品を製造できる。iPhoneも中を開けてみれば半分以上の部品が日本製という現実があります。

こうなると、あとは発想力の勝負ですね。いかにユニークなモノを生み出すか。それが自分たちベンチャーの役目だと思っています」

見取り図は簡単に思い描けるはずだ。ICTの進化によって、大量生産の分野では、発展途上国の生産性が飛躍的に向上し、先進国の製造メーカーが苦戦を強いられるようになった。しかし、ICTの進化は、同時に個人でできることも大きくエンパワーしたのだ。

革新的な発想力があり、他の技術者と協働できる対人スキルがあれば、世界でオンリーワンの自己完結型のモノづくりだってできるし、アイディア・マーケットへ飛び込んで大企業のモノづくりにも参画できる。

次の10年に進行するこの「新しい働き方」に、最初に順応するのは、30代40代50代の女性ではないだろうかと自分は推測している。フラットなコミュニケーションへの順応が早いとか、主婦経験が生きるとか、いろいろな理由は挙げられるが、何よりも重要なのは、出産や子育てのようなライフイベントと、この新しい働き方とのマッチングが深いからだ。すでに実例がある。

 17種類24製品を、企画からわずか2か月でリリース。
 いま一番勢いをもつ家電ブランドとして注目を集めている、株式会社UPQ(アップ・キュー)の代表・中澤優子さん。彼女は、ほぼ一人でUPQを立ち上げ、現在も全ての製品の企画開発、販売の指揮を最前線で執っているといいます。

こちらも有名な元「ひとり家電メーカー」。自分が主導して自分で完結できる極小の組織だから、出産や子育てのようなライフイベントを、自分の好きなスケジュールでマネジメントできる。

幸福とは、自分のやりたいことをやりたいときにできること。

そんな幸福の定義もある。日本の労働人口はこれから右肩下がりだ。独創と協働のスキルさえあれば、これからは或る意味では幸福になりやすいワークライフバランスの時代がやってくるかもしれない。

 いま思いっきりジャンプした。風に煽られてあらぬ方向へ飛んで行きそうなフリスビーを何とかキャッチした。

風向きが変わると、平気で180°態度を変える人間を、風見鶏というらしい。

たとえどんなに目まぐるしく風向きが変わっても、ぼくの心の向きは永遠にロックされたままさ、と誰にともなく呟いたところで、視界がひらけた。どこかの岬の先、どこかの海峡にいるのがわかった。やけに風が強い。

不思議だな。中3の頃、難病でやがて長期入院することになる年、20代までの生命だと宣告を受ける年、どういうわけか後輩の女の子たちからたくさんラブレターをもらった。無視するのは忍びないので、ちょっと謎めいた詩的な一行を書いて、手早く返事を送り返した。

ラジオで小耳にはさんだあのグループの名曲を引用して、「最近、思うところあって、○○の風を集めています」とか書いたり、年賀状に「明けましてポンキッキ!」と書いたり。実話だ。

ふと、今後の自分の使命は「日危機に立ち上がって、変革の風をあつ集めることにある」という声がいま聞こえたような気もするが、それも風の囁きに惑わされた空耳かもしれない。

それなのに、自分が何かに憑かれたように、あの名曲のサビを繰り返してしまうのは、自分が真に希求している何かが、あの曲名なり、歌詞なり、グループ名なりのどこかにあるからにちがいない。そう断言してはみたものの、断言の根拠が自分でもわからないまま、唇が同じ言葉をリフレインするのを、もはやとどめようもないのだ。

風を集めて… 風を集めて…  

 

 

 

*1:P.83

*2:P.80

ごまごました迷子のウサギ

おまえはかなり傾いているな。 

昨晩話した漫画家の友人に、20代の頃にそんな風に言われたことがある。ルビは「かたむ」ではなく「かぶ」とふる。彼は『北斗の拳』の原哲夫の次作『花の慶次』を好んでいた。 20代の頃、あちこちの分野へいろいろ手を伸ばしていた自分が、彼にはかなりの文化強者に見えたようだった。

漫画化の友人が崇拝していたのは押井守。このアニメも二人でメモを取りながら見て、視聴後に感想戦をやった。 地球へ帰還する主人公が、最後の場面で反転したカタカナの「イ」を含む「オカエリナサイ」で迎えられるという筋書きだっただろうか。なにしろ20年前に一度見たきりなので、記憶は朧だ。

 「お前だけには教えてやるけれど」と海外文化通の自分はもったいをつけて「イギリスに『うる星やつら』っていうロックバンドがあるんだぜ」と蘊蓄を披露したように記憶する。ちょうど Radiohead が「Creep」を演奏していた90年代前半の話だ。

東京のお嬢様女子校?出身のグループとも少しだけ親交があって、私とほぼ同い年の歌舞伎役者を追いかけていたそのグループのひとりから、「演劇をやっていたんでしょう? まだ20歳前だけど、このコどう思う」と写真を見せられたこともあった。

ちょっと格好をつけて「役者っていうのは、舞台を観なきゃわかんないから」とか言いつつ、役者の表情を見て「あ、彼は次に絶対クルよ」と即答で知ったかぶりをした。「舞台を観なきゃわかんないんじゃなかったの?」 「だって眼力が全然違うから」とか、付け加えて。

そのガールズ・グループは偏差値的には不揃いな果実だったものの、やがてそれぞれの「らしい」道を歩き始め、ひとりは陶芸家として銀座のデパートで作品展を開き、ひとりは歌舞伎の裏方の音響効果を担当するようになって、アルバイトで引き受けた格闘技の Pride について愚痴をこぼしていた。「男として情けない」のが、許せなかったらしい。

ゴングから数秒後にノックアウト勝利が決まってしまって、音響設備がカセットテープだったせいで、勝利者のテーマ曲を流そうとしても巻き戻しが間に合わなかったのだとか。「男ならせめて1分くらいは持ちこたえてほしかった」というのが彼女の言い分だった。その彼女の交際相手は、確か三島由紀夫以来途絶えていた歌舞伎の新作の脚本を書かんとする偉業に挑んでいたはず。どうなったのかは知らない。時々近況を耳にして、東京育ちの彼女たちの文化資本の蓄積が、次々に花開いていくのを、少し離れたところから、花壇を見るように眺めている気分だった。

散策癖は今も当時も変わらず。あちこちの街に出かけて散策しては、その町の本屋に立ち寄る癖があったので、作家のサイン会に偶発的に立ち会うことも多かった。書店の名前は憶えていないが、憧れの村上龍とも恵比寿で遭遇したはず。 

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

 

麻薬と性に耽溺する若者たちを描いて鮮烈なデビューを飾った村上龍は、ひとときは「快楽の冒険家」のようなポジションにいて、「これまで」とか「世界で」とかいう副詞句とともに、「最大の快楽は何ですか?」という質問を、よくぶつけられていた。こんな風に答えていたように記憶する。

前の晩に深酒や荒淫のない翌朝、澄み切った身体と心で、涼しい浜辺にてフリスビーを投げ合うこと。

 村上龍の小説のどこかに、そのような「最大の快楽」が描かれていたかどうか探そうとしたが、見つけられなかった。何となく寂しくなって、自分で書いてしまったのがこの場面。一度引用したことがある。

 6年前の旅先の地中海沿岸で、路彦の視野はやはり大きく動揺していた。それは砂浜を裸足で駈けていたからで、視線の先にあったのは、やはり宙を飛行している純白のフリスビー。知り合った地元のアルジェリア移民の少年が、アン、ドゥ、トロワで投げた円盤だった。わざわざ号令がかけられたのは、少年が飼っている犬と路彦が捕獲を競い合ったためで、牧羊犬の俊足にはまるで敵わなかったものの、強い浜風が空中でフリスビーを散々翻弄したので、見物客を笑わせる互角の余興になった。足をもつれさせながら、背中を見て走ったり、前のめって転んだりしている路彦を、シニャックが快活に囃し立てた。琴里は手を叩いていた。仲間たちは笑っていた。誰もが同じ飛行物体を目で追い、同じ若者らしい弾んだ哄笑のさざめきに浸っていた。未熟なまま、仲間たちと融け合うように共生していた季節の、他愛のない、それでいて最も幸福だった一齣。……  

既に廃車になった昔の愛車のことを書くと、感傷的になってしまう。黒のロードスターの小ぶりのトランクには、いつ気まぐれに海岸や公園へ行っても楽しめるように、フリスビーとジャイロとレインボーシートとタオルを入れていた。

「いつもそばにいてくれてありがとう、本当に好きだったよ」とか、この世を去った愛車へ向かってつい呟いてしまうが、世にそういう人は少ないらしい。一度、同僚たちと車の話になって、10人くらいいる誰一人として、自分の愛車に名前を付けていないと聞かされて、カルチャー・ショックを受けた。愛が足りないのでは? 

(ジャイロは、風をつかまえられれば信じられないくらい遠くまで飛ぶので、とても楽しい)

 愛車のトランクに入れていたタオルは、上等な今治産ではなかった。当時は今のように今治産タオルのブランドが確立されていなかったのだ。本格的に認知されるようになったのは、佐藤可士和デザインのブランド・ロゴが広まってからだろう。

 その佐藤可士和による「クリエイティブ・シンキング」本を見かけて、そろそろ自分の中でも、シンキング系統を整理しておきたいという欲求に駆られた。すなわち、「クリティカル・シンキング」や「ロジカル・シンキング」などを。 

 調べてみて分かったのは、この手の本は、MBAと銘打たれているものが売れているということだ。 通勤中にビジネスマンが読む「クリティカル・シンキング」の入門書では、以下の等式が成立している。

クリティカル・シンキング=主体的問題設定(メタ問題認知)+ロジカル・シンキング 

通勤大学MBA3 クリティカルシンキング(新版) (通勤大学文庫)

通勤大学MBA3 クリティカルシンキング(新版) (通勤大学文庫)

  • 作者: グローバルタスクフォース,青井倫一
  • 出版社/メーカー: 総合法令出版
  • 発売日: 2013/08/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 一方で、ロジカル・シンキングの新書では、序章でこの3つが強調されている。

  1. 自分が正しいと証明することに、がんばりすぎているということ。
  2. 自分が何を考えているのか、案外きちんと理解できていないということ
  3. 聞けば「たしかにそうだよね」ということを、一手間惜しまずにきちんとやれていないこと 

これを自分の言葉で言い直せば、1.と2.は「メタ自己認知」の問題。2.の説明で「分析・評価・仮説・選択」の峻別とそのサイクルの適切な循環が説かれているが、それはかの有名な「PDCAサイクル」の実態とさほど変わらない。「Plan→Do→Check→Action」の分節の場所を変えて、「Check1→Check2→Plan→Action」と変形されているだけだと考えてよさそうだ。3.は2.の精緻化を強調しているようだ。

この2冊は自分にとって、いささかショックだった。MBA取得を目指す有為の読者向けに、クリティカル・シンキングという名で名指されているものが、結局のところ「メタ自己認知をした上でのメタ問題認知」と要約できるものでしかなかったからだ。しかも、前者のメタ自己認知は、高等教育を受けた大卒者全員が習得しているものだとの自分の確信が妄信にすぎないことまでわかってしまったからだ。「日本はここまで遅れているのか」というのが率直な実感だ。

「メタ自己認知」とは、例えば自分を客観的に見るもうひとり自分をイメージしたりしながら、自分が何を欲しているか、自分がなぜそう考えるか、自分の考えにバイアスがかかっていないかを、より客観的に見ることを指す。 

クリティカルシンキング 入門篇: あなたの思考をガイドする40の原則

クリティカルシンキング 入門篇: あなたの思考をガイドする40の原則

 

 その周辺を詳述している本書は、大学1、2年生向け基礎教養レベルの社会心理学の基礎知識のオンパレードだ。

概要は上記のリンク先で確認できる。詳細は社会心理学の一般教養向けでは最良の書であるこの本をお勧めしたい。 

社会心理学キーワード (有斐閣双書―KEYWORD SERIES)

社会心理学キーワード (有斐閣双書―KEYWORD SERIES)

 

 これらの「メタ自己認知」の歪みを正した上で、私たちは次の「メタ問題認知」へ向かわねばならない。さあ、急ごう。ぐずぐずしていちゃまずいぜ。

なぜ急かすかというと、「日本はここまで遅れているのか」という私の実感以上に、日本人にこのような能力が欠けていることに強い警鐘を鳴らしていた一節に、最近遭遇したからだ。 

 AI時代においては、未来を創る力、つまりは自分で課題や問題を見つけ出して解決に導く力が必須です。しかし、現状では日本人にとって最も苦手なことだといえるでしょう。

 私が外資系企業に勤めていたころ、米国人の上司がいつも言っていたのは「日本人は与えられた問題を解くのは得意だが、自分で問題を設定するのは下手だ」ということでした。この上司は「日本のバブル崩壊後の長期低迷の主因は、課題設定能力不足にある」と主張していたくらい、日本人のこのスキル不足を問題視していました。

「欧米企業が設定したテーマを自らのテーマとして追いつくだけでよかった時代には、日本企業は最強であったが、自ら未来のテーマを設定しなければならない時代には、日本企業は国際社会から取り残される」と辛辣なコメントをしていたことはいまでも強烈な記憶として残っています。

 実際に、日本人の多くはクリティカル(ロジカル)・シンキングを学ぶ機会が提供されていないこともあり、課題や問題の設定が不得意とされています。 

 「自分の頭で考えて☆い」と何度も自分が繰り返してきたのは、社会に蔓延している権威主義的(思考停止的)思考法のままでは、社会まるごと生き残れないのではないだろうか。そんな予感が頭の中を去ろうとしない。

 例えば、ビジョネリー泉田良輔と同じく、自前のシンクタンクを代表して未来予測をしている専門家の中に、「北米のシェール革命によって世界的にエネルギー価格は下落し、自動車はトヨタ主導の水素エンジンがグローバル・スタンダードになる」という予測を立てている人がいた。産業分析や市場の動向には詳しくても、日本人が苦手な「メタ問題認知」がたぶん苦手なのだと思う。

リーマン・ショックで萎みかけた世界的バブルを膨らませるには、世界の実需だけでは足りず、実体のないハイリスク商品でポンピングしなければバブルは持たない。関連情報にその強烈なバイアスがかかっていると想定するのは、メディアリテラシーとして自然だ。(このブロガーの方はバイアス検知力が高い)。  

日米のマスコミは、「シェールガス革命」がアメリカ経済の復活のカギと宣伝しています。
一方、仏ルモンドの日本版は、シェールガスは「開発バブル」に過ぎないと警鐘を鳴らします。

1) シェールガスの井戸は1~2年で涸れる
2) 開発資金を回収する為には次々と井戸を掘る必要がある
3) シェールガスの産出量が一時的に増えるのでガス価格が下落
4) 開発バブルを支える為に2008年の金融界の投資合計額に匹敵する資金が必要
5) エクソンモービルの社長は外交評議会(CRF)で「経営は赤字だ」と発言
6) 埋蔵量を水増しする為に、頁岩鉱床の量を多く見積もっている

■ 自転車操業に陥っているシェールガス業界
ルモンドの記事は、ヨーロッパ勢力のアメリカ攻撃の色合いも強いので、
多少のバイアスが掛かっているのもとして読むべきです。

記事の後半は、石油の埋蔵量も水増しされているとして、
ピークオイルが確実に訪れると誘導しています。

ここら辺は、「石油利権 VS 原子力利権」の複雑な対立があるので、
この記事を鵜呑みにするのは危険かも知れません。

しかし、常識的に考えて、採掘コストが高く、環境破壊を伴うシェールガス開発が、近い将来、暗礁に乗り上げるであろう事は想像に難くありません。 

 トヨタ主導の水素エンジンがグローバル・スタンダードにならなかったのは、熾烈なプラットホーム奪取戦において、日本がクリティカル・シンキングを決定的に欠いていたからだ。重要なのは、航続距離などの数々の優位性が水素エンジンに「あるのに」負けたのではなく、「あるから」負けたと思考できるメタ問題認知力だろう。 

 例えば、トヨタハイブリッド車のように、ガソリンエンジンと電気自動車を融合できるほど複雑で精緻な製品を市場に出そうとすると、それに追随しがたい他メーカーは、その劣位を決定づけるルールそのものを変えようとする。泉田良輔はそう示唆する。

さらに、彼がさりげなく書き込むのは、バリューチェーン(企業間製造連鎖)が長ければ長いほど、日本が強い国際的競争力を発揮してきた民族性があることだ。(トヨタのジャスト・イン・タイム生産方式を見よ)。

となれば、いかに航続距離などの点で電気自動車が水素燃料電池車より劣位にあったとしても、熾烈な国家競争のさなかで、「メタ問題認知力」のある欧米が、自国利益誘導的なルールメイクをしてくることは充分に予想できたのではないだろうか。 

この周辺の事情は、ついセンz津発売された古賀茂明の新刊に出てくる。

 こうした中で、現在の日本の自動車産業の状況を象徴する出来事があった。二〇一七年六月一四日に開かれたトヨタ自動車株主総会である。(…)

 総会最後の豊田章男社長の締めの言葉は「株主からの応援にも近い質問にこみあげるものがあったのか、涙ぐみながらの挨拶となった」(…)

 これは、いかにトヨタが苦境に立たされているかを物語る。トヨタは、従来、将来のエコカーは水素を使う燃料電池車だと判断して、その開発に集中してきた。しかし、現実には、EVが世界の主流となり、二〇一六年秋にEV開発に舵を切った。このときも、世界トップメーカー、トヨタの維持なのか、EVも含めて何でもできる体制を整えるというような負け惜しみの発表を行っている。

 EV開発競争で世界の大手メーカーの中で最後尾に取り残されたことを認めるのは「世界トップ」としてのプライドが許さなかったのだろう。(…)

 ここまで描けば、日本の自動車産業が相当に深刻な状況だということはお分かりいただけただろうと思う。(…)経産省は化石のような頭を切り替えて、速やかにEVシフト促進のための環境整備に注力すべきだ。  

国家の共謀 (角川新書)

国家の共謀 (角川新書)

 

 あの巨人のトヨタでさえ、「メタ問題認知」を充分に駆使したクリティカル・シンキングの不足によって、社運を揺るがせてしまったのである。将棋で妙手を次々に繰り出しつつ、将棋のルール自体も競争優位に立つべく変化させていくメタ思考。しばしば指摘される日本人のクリティカル・シンキング能力の欠如は、生死を分ける重要な問題として、私たちの眼前に立ちはだかっているように感じられる。

さて、できれば大学などの高等教育機関で「メタ自己認知」と「メタ問題認知」の能力を習得したら、次に私たちそれぞれはどんな道を創っていったらよいだろうか。

例によって、キーワードは「創造する個人から、創造する集団へ」だ。

凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア

凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア

 

日本ではあまり知られていないが、経営コンサルタント出身で心理学教授のキース・ソーヤーは 、集団でイノベーションを生み出す仕組みについて、チェスブロウの少し先まで含んだ知見を披露している。

 P&Gは「オープン・イノベーション」が提唱される前の1999-2000年から「コネクト・アンド・ディベロップ戦略」を導入していました。これは自社の開発テーマを社外に公表し、社外の革新的な技術やアイデアを積極的に利用していこうとする指針です。

 具体的な成功例の1つに「プリングルズ プリントチップス」があります。2002年のこと、ポテトチップスの「プリングルズ」の商品企画チームが、新しくて面白いチップスのアイデアを考えていた際、「チップスにポップカルチャーのキャラクターなどを印刷するのはどうか」というアイデアが出ました。しかし社内にそのような印刷技術はなく、ゼロから開発していては時間がかかり過ぎます。

 そこで「コネクト・アンド・ディベロップ」に則って社外に課題を公表し、アイデアを求めたところ、イタリアのボローニャで小さなベーカリーを営んでいる大学教授(baking equipmentの製造者でもある)から解決策が寄せられました。彼はケーキやクッキーに印刷できる食用のインクジェット技術を発明していたため、この課題にそれをすぐに応用することができたのです。

 キャラクターやクイズ、ことわざなどをポテトチップスにプリントした「プリングルズ プリントチップス」(下写真参照)は、発売後すぐにヒット商品となりました。

上記の記事でも引用されているチェスブロウについて、忘れてしまったブログ読者はこちらの記事をどうぞ)。

「チェスブロウの少し先」というのは、顧客や他企業との製品の共同開発を言っているのではない。それは「チェスブロウ内」だ。キース・ソーヤーが「アイディア・マーケット」と呼んでいるもので、いま検索したところ、日本語環境ではまだ発言している人はいないようだ。

別の検索をかけて、ちょっとだけ傷ついた。あれほど自分が推している「ヌーベル中央銀行賞」という新呼称を使っている人が、自分以外に誰もいないのだ。淋しいな。

でも、それでめげないのが自分の良いところ。キース・ソーヤー流の「アイディア・マーケット」もリネームした方が浸透しやすいような気がする。

クラウド・リファンディング

こんなリネーミングはどうだろうか。「アイディア・マーケット」というのは、アイディアを他企業や一般人から公募して製品化する仕組みだ。

これがクラウド・ファンディングの物の流れとちょうど逆なのがわかるだろうか?

クラウド・ファンディングとは、アイディアに対して資金を募って製品を返すこと。

クラウド・リファンディングとは、製品に対してアイディアを募ってお金を返すこと。

 この場合の「リファンド」とは「再資金化」ではなく「払い戻しrefund」を意味している。

さて、最先端の知見の紹介と独自の発想は披露できた。海外の事例がどこまで進んでいるかをもう少し調べて、続きは別稿としたい。

 

 

調べる時間なし、読み込む時間なしで書かねばならない「檻々のうた」も、とうとう記事数が200を越えてしまった。幽閉されている自分に、それでも、花を差し入れてくれる人々がいるような気がしている。

「迷子の兎 Stray Rabbit」に自分をなぞらえたりして、まごまご、またしても、まごまごましている自分に、そんな厚意を施してくださるのは、本当にありがたいことだ。この感じなら、ひょっとしたら、花の Cage の扉が開くこともあるのではないだろうか。そんな華やかな希望を感じる瞬間もある。まごまごませずに、もうこう呟くべきなのだろうか。

Open Sesami!

 

 

オープンスペースに未来の種を蒔くために

上の記事を書いているとき、ふと自分を訪れた謎めいた欲望。「この世から『魔性の女』という言葉を消したい」。

なぜそう強く願っているのか、理由は自分でもよくわからない。わからないまま、その有効な解決策を思いついたので、実践したい。解決策とは、ズバリ、私が「魔性の男」として有名になって「魔性の女」の存在感を消してしまうことだっ!

というわけで、この記事では、すっかりキャラが変わってしまうことを、あらかじめご承知おきいただきたい。

…そう… あの情事は二番町の夜… いや… 三番町の夕方だったね… と「たね」を語尾にしたのは、オレがデリダ的な「散種」の似合う魔性の男なので… 悪いヤツはだいたいオレの友達だし… F1層(20歳から34歳までの女性)はだいたいオレの女だから… 窓口のF1層の女性が、可愛らしい笑顔で俺に話しかけてくるのも、当然といえば当然で… 偶々その日のオレは塞ぎこんでいたので… 郵便局で振り込みを終えた直後だった。それははっきり覚えている… 急に完璧な笑顔で「可愛いですね」と言われて… え?… 今オレのことを「可愛い」って言ってくれたの?… そのひとことですっと伸びたような気がして… 丸めた紙屑みたいにくしゃくしゃだった自分の心が、すうっと真っ直ぐになって… 救われたような気分になって… 自分で自分が顔を輝かせるのがわかった… 正面を見上げて彼女を見つめた次の瞬間… 彼女はこう言った…

「可愛いですね。ネクタイのバリィさんの刺繍」…

などという「魔性の男」らしくない逸話は、断じて本当の出来事ではなく、真実でもなく、ましてや実話ではない。 

そう、あのネクタイをくれた女も… オレの女で… 

 と、ここまで書いたところで、浜田省吾のバラード鑑賞中のような、もの悲しい気分に襲われた。何度かキーボードを叩いては、消す。消しては叩くが、書けない。ふと画面を見上げると、いつのまにか自分の潜在意識がこんな一文を書いていた。

一度きりの人生です。素直な心で、自分に合った好きな生き方をし魔性。

本当にその通りだと思う。「魔性の男」だなんて、柄でもないぜ。

そう心を断ち切ったのに、浜田省吾のバラードが流れやまないのはどうしてだろう? そう思って、これまで書いていた文章を読み返していると…

わかった! 読めた! 今晩はこの線で記事を書けということなんですね、神様。

巨大バイテク企業が推進する「F1」の種子「は魔性」どころではなく、自殺する種子だ! 

自殺する種子―アグロバイオ企業が食を支配する (平凡社新書)

自殺する種子―アグロバイオ企業が食を支配する (平凡社新書)

 

 自分もモンサントなどのバイテク企業について、ちょっとだけ書いたことがある。

しかし事態は、不運急を告げている。

数週間前、TPP反対の急先鋒だった山田正彦農水相から拡散文書が回ってきたのを見て、かなり危ないことになっているのを知った。

 お願いです。是非、シエア拡散して頂けませんか。

こんなに早く種子法廃止に伴う運用規則までが廃止されるとは思ってもいませんでした。(…)今日、私のところに農水省次官による通知が届いたのです。


そこには明確に「運用基本要綱、種子制度の運用、1代雑種審査基準の審査、指定種苗の運用は廃止する。以上命により通知する」と有ります。


種子法廃止後の都道府県の役割についても「これ迄実施してきた稲、麦、大豆の種子に関する業務の全てを直ちに取り止めることを求めるものではない」と有ります。


都道府県によっては、暫く続けてもいいが、国の予算措置は厳しいぞと言わんばかりです。


しかも「民間業者による種子(日本モンサントのとねのめぐみ、三井化学のみつひかり等)の生産、参入が進む迄の間は、原種等を維持して、それを民間業者に提供する役割を担う」と。


これで、公共の種子として農家に安く提供されてきたコシヒカリ等の多様な固定種はなくなり、モンサント等の民間の数種に絞られることに。(農競強化法8条4項)


政府は農競力支援法の8条3項の独立行政法人(農研)、都道府県の種子の知見を民間に提供するとあるのはモンサント外資にも適用すると答弁しています。


農研は国の予算だけで、毎年2千億が投じられ既に遺伝子組み換えのコメの種子WRKY45等が試験栽培されています


その蓄積された知見が全てモンサント等に提供されることになります。既に9月から研究職員が民間に出向しています。


そうなれば、日本も三井化学のみつひかりのようにF1の種子だけでなく、遺伝子組み換えのコメを食べざるを得なくなるのでは。


米国、カナダ、豪国等は主要農産物は州立の農業試験場等で栽培された安全で、安価な公共の種子なのに残念です

 

(改行追加や強調は引用者による)

「農家は補助金漬けで楽をしているからもっと競争してもらわなきゃ」などと虚偽の構造改革的発言を振り回す人は、食糧の安全保障についても、モンサント社の恐るべき実態についても、何も知らない人だ。

農業生産額に占める農業予算額は、我が国が3割を切っているのに対して、欧米では、やや低いフランスでも4割強で、イギリスでは約8割、アメリカでは約6割と、我が国よりもはるかに大きい。 

食の戦争 米国の罠に落ちる日本 (文春新書)

食の戦争 米国の罠に落ちる日本 (文春新書)

 

 つまり、日本の農業は「過保護」で甘やかされているどころか、「育成放棄(ネグレクト)」されているのが実態だ。国家に育児放棄された「孤児」たちの中に、トゥルーCSAに必死に取り組んで生き延びようとしている農家があることは、この記事に書いた。

悪魔も恥らうほどのモンサントの悪行の数々については、フランスのマリー=モニク・ロバンがその批判の急先鋒だ。告発書も素晴らしいし、映画まで完成させた。予告編だけでも見てほしい。 

モンサント――世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業

モンサント――世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業

 

 

 マリー=モニク・ロバンは、自殺した農民の葬列に立ち会ったり、未亡人の家を訪ねて話を聞いたりして現地取材している。「この土間で彼は自殺しました」とか「ブリキ缶の農薬をすべて飲んだ」とか、未亡人が幼い子供をあやしながら答える場面は悲痛だ。そばでは義母が自殺した息子の遺影を抱いて見守っている。

モンサントがインドの綿花農家を自殺に追いやった数の多さと、手口の残虐さを、このブログ記事で確認してもらいたい。 

 農民たちが集団自殺に追い込まれた本当の理由はモンサント社にあった。


 しかも、それは1500名どころではなく、すでに2006年のレポートで、借金に追い立てられた綿花栽培農民の自殺が実に10万名に達するというのが真実である。


 インドでは、モンサントが政府官僚を買収し、自社の特許に基づいたF1種綿花が強力に奨励されてきた。遺伝子組み換え綿花種子(GM綿→BTコットン)が進出したとき、これを「白い金塊」と呼びはやし、必ず高収益が得られるとインド政府とともに大宣伝したのである。


 農民には選択肢がなかった。市場には政府の指導によってBTコットンの種子しか売られなくなった。しかも、BTコットン種子の価格は、在来種の4倍もする。綿花栽培農家は、借金して、それを購入するしかなかった。しかもモンサント系列の苛酷な貸金業者が資金を貸し付けることになった。


 しかし、GM綿花の栽培には、高価な農薬が大量に必要だった。在来種と比べて農薬経費が20倍になった地域もあった。

 さらに遺伝子組換え綿花は、その大げさな宣伝と反対に、実は特定の害虫には効果があるが、他の害虫に抵抗性がまったくないため、各地で壊滅的被害が出ている。おまけにBTコットンに新種の病害が出て在来種にまで伝染し、大変な損失が出るようになった。


 追い打ちをかけるように、世界市場で綿花価格が下がると、耕作経費を回収することさえできなった。

 このため、借金に追いつめられたインド農民は自殺以外の選択肢がなくなってしまった。2005~2006年の一年間で、600人が自殺した。自殺者は一日に3人出ることもある。その後の半年では、自殺者の数は680人にも及んでいる。


 2008年には、年間2万人を超える農民が自殺するようになってしまった。累計では20万人をはるかに超える。


 これに対して、インドの農学者たちは、これはモンサントによる農民ジェノサイドであると激しく糾弾している。

 

ヴァンダナ・シヴァ インド農民の自殺はジェノサイド 全国規模のGM種子排斥運動

このような、ほとんど劇画めいたモンサント社の「世界支配の欲望」に対して、私たちはどのように自分たちの国を守っていくべきか。正直言って、守るべき防衛線はすでに突破されてしまっているが、まず最初に「何を守るか」の意識の共有から始めなくてはならないだろう。それを「最後の国民作家」である宮崎駿に見たいと、自分は考えている。 

手塚治虫という「想像的な父」を乗り越えようとしたのが宮崎駿の出発点だったことや、意外にも傑作『ルパン三世 カリオストロの城』が興行的には失敗で、どちらも名作の『天空の城 ラピュタ』と『となりのトトロ』がスタジオジブリの興行収入ワースト2で中期まで不遇だったことなどを教えてくれる。

(…)

アニメの制作がどれほど苛酷なものかすら知らないのだろうか。そのタフな現場で、薄給のアニメーターにしかるべき待遇を与え、正社員化や社内託児所設置に尽力し、自身の収入は抑制した上で「社員が引くほど」社員へ収益を還元する。アニメ作家としてだけでなく、共同体の長(経営者)としても尊敬を寄せるべき手腕を発揮しているところに、宮崎駿の世界的な名声の源泉があるというのが私見だ。 

上記で書いたように、さまざまな証言と照らし合わせても、アニメ制作の共同体維持という観点から、宮崎駿手塚治虫を上回ったのは確かだ。したがって、数式化するとこうなる。

宮崎駿手塚治虫=(プラスの何か)

移項すると、こう表すこともできそうだ。

宮崎駿手塚治虫+(プラスの何か)

この(プラスの何か)に、このタイミングでぜひとも代入したい偉人がいる。野口種苗研究所の野口勲だ。 

タネが危ない

タネが危ない

 

 埼玉の種苗店の三代目として生まれたが、1940年代頃から、「F1種」に押されて「固定種」の販売が振るわなくなってきたので、タネ屋には将来性がないと思い込んだらしい。「固定種」と「F1種」の野口勲による定義をまとめたのがこちら。

固定種の種

  • 何世代にもわたり、絶えず選抜・淘汰され、遺伝的に安定した品種。ある地域の気候・風土に適応した伝統野菜、地方野菜(在来種)を固定したもの。
  • 生育時期や形、大きさなどがそろわないこともある。
  • 地域の食材として根付き、個性的で豊かな風味を持つ。
  • 自家採取できる。

F1種の種

  • 異なる性質の種を人工的に掛け合わせてつくった雑種の一代目
  • F2(F1の種から採取した種)になると、多くの株にF1と異なる性質が現れる。
  • 生育が旺盛で特定の病気に大病性をつけやすく、大きさも風味も均一。
  • 大量生産・大量輸送・周年供給などを可能にしている。
  • 自家採取では、同じ性質をもった種が採れない(種の生産や価格を種苗メーカーにゆだねることになる)

そして、種苗店の跡継ぎを諦めた野口勲が、大学を中退までして就職先に選んだのが、手塚治虫虫プロだったというわけだ。『火の鳥』の初代編集担当者となり、部屋中に散らばった無数の原稿の山を整理するという「夢のような仕事」もしたらしい。ところが、虫プロが倒産。野口勲は実家の種苗店の看板に「火の鳥」をあしらって、家業を継いだそうだ。

手塚治虫の漫画と野口勲の「固定種」保護の種苗販売の関係は、松岡正剛が詳細に言及している。

ただ、野口さんは最初からSF感覚にも富んでいたようで、月刊の「おもしろブック」の別冊に手塚の読み切りマンガが付いていたりすると何度も読み返すという少年だ。たとえば『白骨船長』などを夢中で読みこんだ。地球に人間がふえすぎたため、子供を抽選で間引いて白骨船長のロケットに乗せて月の裏に捨てるという話だが、てっきり子供たちは捨てられているもんだと思っていたら、月の裏ではたくさんの子供が元気で暮らしていた。白骨船長は「このことを知っているのは大統領と俺だけだ」と呟く。野口少年はギョッとした。
 いまは初期の名作として知られる『来たるべき人類』にも、けっこう唸らされた。超大国が世界中の反対を押し切って42GAMI(死に神)という新型核兵器のための核実験を日本アルプスの上空で炸裂させるというSFマンガだが、野口少年は「そこから人類は平和のためにこんなバカなことをやるのか」という強烈なメッセージを教わった。

1608夜『タネが危ない』野口勲|松岡正剛の千夜千冊

後者の漫画の逸話に手塚治虫のウィットの利いたセリフ回しを書き加えておきたい。

核実験のせいで日本から追い出されてしまった日本人が「なんでこんなことをしなければならなかったのか」という問いに対し、手塚は登場人物に「しなければならないことにならなければならなかったのである」と答えさせたそうだ。超大国に国土を明け渡すという異常事態に対して、その異常な返答がとても似つかわしく見えるから不思議だ。

日本の農業を売り渡しつつある政治家に理詰めで訊くと、同じような台詞が返ってくるのではないだろうか。

印象的だったのは、野口勲が各種苗会社のセールスマンに「あまりに野菜が変化している。大手種苗メーカーが野菜をまずくしている」と不満を明かすと、各社が言下に否定する中、サカタのタネのセールスマンだけが、「申し訳ありません」と実態を認めて、頭を下げた逸話。

その気概あるサカタのタネは、現在どうなっているかというと…

今、日本で種苗を手に入れようとホームセンターや農協に出かけても、タキイ種苗(株) トキタ種苗(株) (株)日本農林社 みかど協和株式会社 カネコ種苗株式会社 (株)サカタの種  (株)武蔵野種苗園 など、9割以上が実はモンサントカーギルなどに経営権を買収されており、実質的にロックフェラーの会社という実態になっている。(唯一、「野口種苗」だけが従来種を扱っている)

 

(元記事は「東海アマのブログ」による)  

「ビルゲイツとモンサント=ロックフェラーによる遺伝子保存計画(=食糧支配)実現か」 - るいネット

同じ話がさらに巨大な「陰謀」へ、言い換えれば、「種子による世界支配」がモンサントという巨大バイテク企業だけでなく、「ノアの箱舟」計画にまでつながっていることを、このブログが紹介してくれている。

ノルウェースピッツベルゲン島に建設された「あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫」と言われているのが「ノアの方舟」にあたる。計画の内容が「種子の保存」である。それだけ聞けば至極あたりまえのように思うかもしれないが、この計画に関わっているのは米国の巨大アグリビジネス企業「モンサント社」。そのモンサントの大株主がビル・ゲイツなのだ。

FABFOUR Blog::現代版「ノアの方舟建設計画」をご存知だろうか?

2017年の初頭、WikiLeaks 発の「Vault 7」という一連のツイートが、ネットの覚醒民たちをざわつかせた。その謎めいた一連のツイートは、WikiLeaksジュリアン・アサンジが、「自分の生命を奪えばこの背後にある情報が暴露されるがかまわないか?」という、自分につけた一種の「護衛」だったと解釈されている。

その最初のツイートが「ノアの箱舟」こと「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」だったのである。

スヴァールバル世界種子貯蔵庫 - Wikipedia

・・・パート1では、それぞれのツイートからキーワードを抽出しました。
それは、「貯蔵所」、「保管場所」、「地下」、「金(ゴールド)」、「没収」、「9.11」、「国家の裏切り者」、「溶接」、「監視」「秘密警察」などです。

(…)

「Vault 7」の一連のツイートは、エクアドルの大統領選の結果、アサンジがエクアドル大使館から追い出されて危険に晒されることがあるとすれば、9.11テロを利用して米国政府の金塊を略奪したネオコンに致命的となる情報を表に出すというWikiLeaksによるコード化された脅迫に他ならないのです。

少し前に日本の元農水相があげた叫びは、世界の闇の最も深い部分へ届いていたというわけだ。正直言って、闇が深すぎて、どう言葉をつづけて良いかわからない。

わからないまま思い出に話頭を転じると、自分にはかつて漫画家の友人がいた。彼が漫画の執筆に行き詰まると、温泉地出身のせいかアイディアが湧出しやすい自分に、よく相談の電話がかかってきた。作品世界の基本的な感触を共有してほしいというので、何本かアニメ作品を見せられたりもした。

その中に、セイタカアワダチソウが2m以上生い茂ったトウモロコシ畑のような野原を、登場人物たちが懐かしそうに駆け回っている回想場面があったように記憶する。

何ていう残酷な過去!

自分たちの共通記憶を、「外来種に侵略された故郷」としてアニメーターが描いてしまう国にいることが、感受性の強かった自分に、どこかしら強く訴えた。

同じモチーフの一片が自分の中でも育ったらしく、何度か言及してきた太宰治『女生徒』を変形した小説では、登場する犬のカアを、外来種にの魚に置き換えようと考えていた。

ジャピイと、カア(可哀想かわいそうな犬だから、カアと呼ぶんだ)と、二匹もつれ合いながら、走って来た。二匹をまえに並べて置いて、ジャピイだけを、うんと可愛がってやった。ジャピイの真白い毛は光って美しい。カアは、きたない。ジャピイを可愛がっていると、カアは、傍で泣きそうな顔をしているのをちゃんと知っている。カアが片輪だということも知っている。カアは、悲しくて、いやだ。可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやるのだ。カアは、野良犬みたいに見えるから、いつ犬殺しにやられるか、わからない。カアは、足が、こんなだから、逃げるのに、おそいことだろう。カア、早く、山の中にでも行きなさい。おまえは誰にも可愛がられないのだから、早く死ねばいい。私は、カアだけでなく、人にもいけないことをする子なんだ。人を困らせて、刺戟する。ほんとうに厭な子なんだ。縁側に腰かけて、ジャピイの頭を撫なでてやりながら、目に浸しみる青葉を見ていると、情なくなって、土の上に坐りたいような気持になった。 

太宰治 女生徒

北中米に生息する古代魚のガーパイクを、ヒロインが飼育する話にしようと考えていた。彼女は古代魚を「ガア」と呼ぶ予定だった。

トロピカルジャイアントガー 50cm±【淡水魚】

トロピカルジャイアントガー 50cm±【淡水魚】

 

 そのガーパイクも含め、ペットの魚が次々に捨てられて、多摩川が200種以上の魚の住む「多摩ゾン川」になっているという話なら、まだ酒の肴にして談笑できる。

しかし、数十年後に、例えば宮崎駿の『となりのトトロ』を見た子供にこう訊かれるのは、直観的に「厭でたまらない」と感じる。

日本とかなり違うけれど、どこの国が舞台なの? 

 そして、山田正彦が危惧するように、やがて普及してしまった「遺伝子組み換えコシヒカリ」を、指でつまんで野ネズミに餌をやっていた子供に、こんな叫び声を上げて、質問してこられるのもつらいことだろう。

あれ? このネズミ、身体がぼこぼこ膨らんでいるよ。わかった、これも外来種っていうヤツなんだね!

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そういうとき、私たちはどのように返答したらよいのだろう?

政治家の方々なら模範的な返答ができるのだろうか?

そのネズミや日本人には、いくつも腫瘍ができなければならないことにならなければならなかったのである。

冗談じゃないぜ。

ゴールキーパーからフィードされたボールが、プレーヤーが離脱して空いたスペースを転がっていく。危うく敵の足に渡りそうになったところを、俊敏なフォワードが何とか競り勝って、味方が前を向いてプレーできる場所へ、ポストプレイでボールを落とした。いま戦況はちょうどそんなところだと思う。

味方が必死になって空けたスペースに、どうにかしてこの人に全力で走り込んでほしい。心からそう思う。

お金の循環で言うなら、やはり防衛線を、田舎と都会の間にではなく、国境と重なて引くべきだろう。そして、その国境を跨いで私たちの富を収奪しつづける「新帝国循環」(吉川元忠)に対して、徹底的に対抗しうる国民経済学を確立できるよう闘おう。そのとき、新たに立ち上がりつつある国民経済学を、その内実が異なることを承知で、もう一度「里山資本主義」と呼んでみたい気がしている。

 

上記のように自分が書いた「オープン・スペース」は、当然のことながら、日本の国土の外延にぴったりと重なっている。似たようなオープン・スペースについて、三橋貴明が重要な発言をしているのを見かけた。

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日本の政治の諸相を、上記のような四象限で把握し直すと、右下の「反グローバリズム保守主義」(自分の表現で言えば「対米自立型保守」)の場所を代表する政党がいないのは異常だと指摘するのである。それだけでなく、その場所こそが、(私が「育成放棄されている」と書いた)「農協の場所」なのだと。

故郷を愛することは国土を愛すること。

その日本思想史的根拠について、柳田邦男を引用して書こうとも思ったが、今晩の自分にはもうあまり時間がない。おそらく、私たちに残された時間もあまりない。

「最後の国民作家」宮崎駿が恐るべき手作業の苦役に没頭して残そうとした国土の「自然」は、遺憾ながら自然にありつづけるものではない。そこに手塚治虫が重なり、野口勲が重なっているのを見透かすとき、過去にこの国土に生きた人々の残像とともにありながら、その懐かしさをもはや「自然に」は扱えないことを悲しみつつ、私たちは再帰的に懐かしい未来を協働して構築していなければならない。そのことだけが、確信として自分の中にある。

 

 

 

 

いよいよローカルの時代―ヘレナさんの「幸せの経済学」 (ゆっくりノートブック)

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懐かしい未来 ラダックから学ぶ (懐かしい未来の本)

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ビビっと来ても Stay Gold

ハングライダーで… 飛びたてる… のは… 6時半ぐらいだ…

 夢には驚異的な機能があって、夢見ている間に記憶を整理したり、問題を解決したりしてくれるとも言われている。

昨晩、夢の中で駄洒落を考えていた。目下、小洒落て駄洒落た文章を書くよう、カフカ的状況に強いられているので、夢が代わりに考えてくれたのかもしれない。折角で申し訳ないけれど、「ハングライダー」の洒落は現実の文章では使えそうにない。

ただ、今朝起きたのは確かに6時半くらいだったので、ひょっとしたら夢はそれを教えようとしてくれたのかもしれない。Thanks, anyway.

そもそも「小洒落」と「駄洒落」を両立させようとするのが間違いじゃないの?

 そう冷静に指摘する声が聞こえてきた。確かに、その通りだ。その昔「飴は甘ぇーな、本物は」というような「悲しい駄洒落」があったように記憶する。「小洒落た駄洒落」はありえないのかもしれないと思って探したら、意外にもこんな書名の本が見つかった。人生何ごとも勉強だ。さっそく注文した。

ダジャレヌーヴォー―新しい駄洒落 (扶桑社文庫)

ダジャレヌーヴォー―新しい駄洒落 (扶桑社文庫)

 

 書名があのワインに引っ掛けて駄洒落ているのは、誰しもわかるところだと思う。

 ただ、駄洒落界の重鎮の割には、「ボジョレー」の方には洒落がかかっているものの、ヌーヴォーの方が放し飼いなのが気に懸かる。もしも自分が「ボジョレー・ヌーヴォー」全体で小洒落た駄洒落を思いつくことができたら、大空へ向かってハングライダーで飛び立てるかもしれない。何とか、この記事の終わりまでに捻り出したい。

今日は2017年12月5日。やや不穏な動きの感じられる日だ。朝一番にこんな記事が頭に引っかかって離れなかった。

この記事で言われている「スプレッドのワイド化」とは、自分が下の記事で書いた「テパタン」(テーパー・タントラム)のこと。

悲しいことに、テパタンが何人か遊びに来たあと、世界的バブルが崩壊して、日本も財政破タンがやってくるシナリオが有力視されている。

また当時の欧米の中央銀行のバランスシートは今よりはるかに余裕のある状態だった。今もし何か起きて、再度、中央銀行が巨額の緩和を求められても余力はほとんどないのではないだろうか。また、リーマン後の世界の崩壊を止めたのは中国の財政支出であったが、今の中国に当時のような勢いはない。それどころか中国自身が震源地になると認識されているのである。

上記の理由で「バブル再延命策はない」という認識は自分とほぼ同じ。というか、世界経済を日常的に注視している人は、だいたいこの周辺に持論を立てている人が多いのではないだろうか。 土屋剛俊が鋭いのは、途中のぺージタイトルに「金融システムが毀損するかどうかが問題」と銘打っている点だ。

実は、現在の不換紙幣による世界的バブル発生可能システムは、廃止が決定済みのようだ。次代金融システムの覇権争いが、いま最もホットなのである。

自分が最大限の信頼を寄せている二つの情報源が、相次いで「不換紙幣が破綻したあとの金融システムの主役争い」の記事をリリースした。「カレイドスコープ」と「田中宇の国際ニュース解説」。

目下、短期的利回りを追求したい人がまず気になっているのは、ビットコインの資産価値が今後も上昇するかではないだろうか。記事には「条件付きのおめでたさ」が書き込まれている。

答えは「ビットコインには、見かけ上、十分すぎるほどの資産価値がある」です。

(…)

ブロックチェーンの本当の発案者(グループ)と、ビットコイン地政学的戦略兵器と見なしている国家の利害が一致しており、新世界秩序(NWO)の「キャッシュレス・エコノミー化」に向かっている限りは・・・

やったー! どんどんビットコインに投資しようと決意した人々が、念のため「…な限りは」という条件節を吟味しようとして、戸惑っている様子が見て取れる。もう少し引用しよう。

ブロックチェーン技術と暗号通貨の主要な投資家と支持者は、とりもなおさず、国際銀行家グループであることが判明したのです。

「踊る阿呆に見る阿呆」。あなたも、この最後の狂乱を楽しんでください。 

(…)

ウォール街は、フィアット通貨の死と中央銀行システムの終焉を確信しており、代わって世界中央銀行によるデジタル通貨の発行を人々に受け入れさせることによって、どんな人間のトランザクションをも追跡可能にしたいのです。

結局は、ビットコインの取引における匿名性の死は、個人の自由の死を意味する、ということです。

「サトシ・ナカモト」の正体について論じるとき、CIAとつながりのあるイスラエルブロックチェーン技術者集団の暗号名である可能性が浮上します。

暗号通貨投資家の不思議は、日頃、「その仮想通貨の流動性と実需を見極めろ」と言いいながら、「サトシ・ナカモト」という謎の集団の正体に関心を持たないことです。

だから、ビットコインの値は、ウォール街機関投資家たちの手によって、いいように翻弄されつづけ、今後も高値を更新していくでしょう。

そうすることで、人々を監視することを可能にするブロックチェーンと、彼らの「神」である人工知能をいただく世界政府の実現を、いっそう早めることができるからです。

(強調は引用者による)

自分も、ビットコインについては、やがて量子コンピュータの指数関数的な発達によって崩壊する運命にあるので、「過渡的な何か」だろうとの感触を持っていた。

上記の信頼できるソースを重視すると、世界政府の樹立と世界共通の暗号通貨を普及させるための「捨て石」だと考えてもよさそうだ。

(メルマガ全文の有料購読がオススメ) 

一方、「ビットコインと金地金の戦い」と題された2017年12月1日の田中宇の記事も、とても読み応えがあった。

有料記事ゆえ要約はできないので、公開されているリード文を引用する。こちらの情報源も、購読して全文を読むことをお勧めしたい。

金融界は、ドルや債券、中銀群のQEのバブルを延命させるため、資金をビットコインに注入して高騰させ、ビットコインが金地金を潰しにかかるよう仕向け、金地金の相場が低いままの状態を長期化しようとしている。だが、いずれQEのバブルが崩壊すると、世界の覇権体制が国家臭の強い多極型に転換し、金地金に有利、ビットコインに不利な新世界秩序になる。

 ここ数か月、ポスト不換紙幣システムの最有力と目されて乱高下を繰り返しているビットコインより、結局は金地金の方が有力な投資先であるとの自説を、期待以上の恐ろしい形で補強してくれる本を、今日の昼食中にざっと読んだ。 

グリーンスパンの隠し絵【上巻】―中央銀行制の成熟と限界―

グリーンスパンの隠し絵【上巻】―中央銀行制の成熟と限界―

 

アメリカでは聖書の次に影響力を持つとも言われるアイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』を、ほとんどの日本人が知らないのはどうしてなのだろう。その系譜に連なるグリーンスパーン元FRB議長(略して「グリスパ」と呼ばれる)についても、充分に理解されているとはいいがたい。

自分もちょっとだけ記事に書いたが、グリスパという「神であり、かつ悪魔」な存在の実態には、まったく迫れなかった。 

しかし、この本は凄い。おそらくグリスパ研究書の中では世界一で間違いないだろうから、早々に英訳されるべきだろう。

若い頃はジャズ・ミュージシャンで、その昔スタン・ゲッツと共演したこともあるという逸話は本当なのだろうか。しかし、さらに大きな注目を集めなくてはならないのは、グリスパが「中央銀行嫌いの中央銀行家」だったこと、「オーストリア学派経済学の影響を受けた一種のリバタリアン」であること、「金本位制の自動調整力に近似させるようFRBを制御していた」という事実だ。 

グリーンスパンの隠し絵【下巻】―中央銀行制の成熟と限界―

グリーンスパンの隠し絵【下巻】―中央銀行制の成熟と限界―

 

アメリカの財政金融委員会でのロン・ポールとの応酬も面白い。

ロン・ポール(…)ほかでもない金についてうかがいたいと思います。今日、紙の紙幣はうまく機能しているようですが、壁にぶつかることもあるでしょう。それはいつでしょうか。金を見直すべきなのはどんな兆候が現れたときでしょうか。……

グリーンスパンそうですね。中央銀行は金を持つ、通貨当局は金を持つとお考えですね。アメリカは多額の金保有国です。それで自問されるんでしょう。なぜ金を持つのかと。……一九七〇年代に中央銀行はインフレがいかに有害なものかを悟り始めました。このため実際一九七〇年代後半以降中央銀行家は一般に金本位制のもとにいるかのようにふるまってきました。……[けれども] 特にこの段階で金本位制に戻る利益はあるんでしょうか。ないと思う、というのが答えです。そのもとにいるかのように行動しているからです。(…) 

アメリカ事情通や(CIA用語でいう)「陰謀論」通であっても、この両者は普通に言って不倶戴天の敵同士に見えるのではないだろうか。しかし、なぜか応酬は控えめでどこか和やかだ。

村井明彦はその理由が、両者に共通の基盤があるせいだとあっさりと明かす。元を辿れば、二人ともアイン・ランドの思想に心酔する1%グローバリストのお仲間なのである。 過激に1%側に楯突く素振りを見せていたロン・ポールも、ガス抜き用の「別動隊」なのだ、と書き切ったところで、何だか悲しくなってしまう。

検索しても、その二重三重の工作員配置の周到性が頭に入っている人々が、ほとんどいないようなのだ。

私たちは、またしてもこの人の独走を目撃させられることになる。 この辺りの事情を自分が教えられたのは、最大限の信頼を寄せている情報源「カレイドスコープ」の全記事を読み切ったことによる。

 何より、ロン・ポールが、ロスチャイルドの愛人であったアイン・ランドの客観主義(と言えば聞こえはいいが、要は「金」を神と崇めるイデオロギー)の信奉者であることは、日本ではまったく知られていません。 

 しかし、ひとつの物事に悲しむべき側面しかないとは限らない。博士論文をまとめた本書は、村井明彦の圧倒的なリテラシーの高さと頭脳の明晰さを物語ってやまない快著だ。

村井明彦は「時間のみが本書の価値を公平に定めるであろう。時間は定義によって不死で、それゆえ考えられる限りでは最も公正な裁判である」とまえがきで謙遜して書くが、時間ならぬ時宜としては、不換紙幣システムの崩壊間際の今、この巨大な経済イデオローグの出現はきわめて稀な慶事だと言えそうだ。

経済イデオローグとしての真価がより公正に定まっていく最初の試金石は、1%グローバリストたちの源流までを踏破できる知力を、経済学の世界で主流派経済学に対抗する巨大な奇岩として君臨するために使うか、反グローバリズム99%のための経済環境に資するよう駆使できるか、の2択にどう応接するかになるのではないだろうか。

その答えが、カレイドスコープの運営者と同じく後者であることを祈りつつ、あの未来学者カーツワイル発明のシンセサイザースティーヴィー・ワンダーが約20年前に作曲した名曲を、目下のビットコイン狂騒曲での投資方針として、カバーで引用しておきたい。

え? 私がどんな投資をしているかって? 投資できるお金がないどころか、路傍で行き倒れて凍死しそうなくらいギリギリの心境だった、ここ1年くらい。

けれど、もし今も自分の心臓が鼓動をつづけ、温かさに満ちた血を全身へめぐらせてくれているとすれば、それは助けの手を差し伸べてくださったすべての生者の温もりのおかげ、そして bijou rainbow(宝石のような虹)をかけてくださった方々のおかげだと思う。

本当にありがとうございました。

崖の上のポニョ、街は私たちのモニョ


上の記事を書いたときに、小林麻美の『GREY』を懐かしい思いでひと通り聴き直した。 記憶が確かなら、小林麻美松任谷由実は大の仲良しで、このアルバムの作詞作曲はすべてユーミンが手掛けたはず。いまレビューを覗くと、記憶通りだった。絶賛が多くて嬉しい。「I MISS YOU」と「GREY」がお気に入りの曲だった。

曲順通り聞いていくと、うっすらと物語があるように感じられる。

バブル全盛期で、年上でお金持ちの男の愛人になってはみたものの、「心」の位置が移りゆき、「恋」が「愛」に変わって本気になってしまった。しかし、彼は移り気な遊び人なので自由に遊びまわるので、そばにいても遠い存在。その大ハシャギを遠くから見守っているしかない。いつのまにか恋は燃え尽きてしまい、その煙の立ち昇るグレイの黄昏の中で、終わった恋を愛おしんでいる。 

「GREY」は近作でユーミン自身によって、リメイクされた。 

宇宙図書館(豪華完全限定盤)(CD+Blu-ray+2LP)

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 いつだっただろうか。一度本格的に松任谷由実カルチュラル・スタディーズ的な目線で研究してみようと考えて、2枚組のベストアルバムをレンタルして聴き込んだことがあった。 

Neue Musik

Neue Musik

 

 「春よ来い」「リフレインが叫んでいる」「Anniversary」が、特にお気に入りだった。歌詞カードで見ると、歌人たちの文語駆使の超絶技巧に比べると、本当に可愛らしい修辞しか使っていないのに、なぜここまで佳い曲になるのか。「春よ来い」!

と、冬の真っ只中で、大学図書館の書棚の前で立ち尽くして、感傷に浸っていた。今晩書こうと思っていたのは、おおよそでこのフローだった。

建築家コーリン・ロウ→松永安光→海外の都市計画→海外のソーシャル・ビジネス事例

 ところが、大学図書館で借りられる松永安光の著作は一冊もなかったのだ。途方に暮れているとき、目に留まったのが、石川幹子『都市と緑地』。懐かしい。約10年ぶりの再会だ。

中でも、石川幹子『都市と緑地』が、緑地を侵蝕し分断する「都市計画なき規制緩和」に歯止めをかけようと抵抗しているのに目が止まった。著者は欧米の都市形成の歴史を詳述して、東京にもパーク・システム(緑地の機能的構成)を織り込んだ都市計画を確立すべきだと説く。古都ボストンが自然再生型の河川改修によって豊かな緑の連鎖を築き上げ、それを市民がエメラルド・ネックレスと呼んで親しんでいることが、おそらく著者の念頭では強い輝きを放っているのだろう。

この記事をアップしたとき、世界的な日本人作家が当時、もしくはその少し前にボストンで暮らしていたらしく、そこに引っ掛かりを感じてもらって、どこか上機嫌でいらっしゃるような波動が伝わってきた記憶がある。ああいう波動のようなもの。オーラのようなものは、本当に不思議だ。顔も見えない。名札もついていない。音声信号で名前が伝わってくるわけでもない。それなのにそれが誰かわかるのだ。

上記の想いでは、たぶん99%気のせいだろう。

あれを書いていた頃は、どのようなスタイルで書いていくか、文体を模索中だった。読み返していて自分で苦笑してしまうのは、この部分。

 なにしろ同書の「廃園の精霊」という一章からも、明治初期に「都市と緑地」が拮抗した一場面が窺えるのだから、やはり書物というものの広がりは尽きないのだ。

文体模索にも程があるだろう。と鏡の自分に向かって、両の手のひらを身体の両サイドで天へ向けてしまう。「あきれたぜ、俺」のポーズだ。

これは読む人が読めば分かるように、Car Grapfic TV のナレーションの文体の影響が濃い。「アムロ行きます!」で同じみの古谷利裕(追記:「古谷徹」の間違いでした。お詫び申し上げます)のナレーションが耳に馴染みすぎていたらしい。プレゼンターは自動車評論家の田辺憲一と松任谷正隆

(この放送をオンタイムで見たのを覚えている)

というわけで、(宇宙内)図書館で都市計画の本を借りようとしたときに、脳裡に小林麻美の「Grey」が流れた理由はわかってもらえたと思うが、わかってもらうだけの意味があったのかは自分にもよくわからない。

 わからないと言えば、スポーツジムに通い始めたものの、ちょっとだけ筋肉はついたが依然として Body Mild なままなので、いつになったら充分なトレニーニング時間を取れるようになるか知りたい。それなのに、不確定な多忙さのせいでよくわからない。

崖の下にひとり転落してしまったような不安と孤独の中、今夜もいわば「崖の下のポニョ」な気分でこれを書いている。 

崖の上のポニョ [DVD]

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けれど、はっきりわかることもあって、『崖の上のポニョ』の舞台となった鞆の浦の開発計画は、どう見たって駄目に決まっている。そう思って、数年前に旅行したときに母と反対署名を寄せた。喜ばしいことに、昨年開発計画が正式に撤回されたようだ。

ただし、架橋計画が中止になったことだけをもって、それでハッピーエンドというわけではない。

埋め立てが中止となったいま、「本当の景観維持」のためには、観光客の路線バス利用の促進やパークアンドライドの推進、更には一歩進んで、観光客の自家用車乗り入れ規制を行いトランジットモール化するなど、将来に亘って住民が住みやすく、景観維持にも繋がるような街づくりをしていくことが必要なのではないだろうか。

上の記事を書いたのは、都市計画を扱う研究者たちらしい。解説を加えておくと、パーク・アンド・ライドとは、中心部と周縁部の境界線上に駐車場を設けて、中心部を車通りのない歩行者だけの街にすること。トランジットモール化とは、 中心部を電車やバスなどの公共交通機関と歩行者だけの街にすることだ。

21世紀に入った頃からだろうか。都市の中心部をヒューマン・スケール(徒歩基準)に基づいてデザインするのが、とりわけヨーロッパで「王道」として回帰しつつある。

そこにあるのは、「人間以外に基準にすべきものなんてあるのかい?」いう問い。許容されるのは、「自転車基準」までで、「自動車基準」は遠ざけられている。 その立場に立てば、文化遺産の景観を破壊する形で幹線道路を架橋しようとした鞆の浦の開発構想は、そもそもかなり奇異だったのだ。

アムステルダムが中心部への自動車の乗り入れを廃止して、自転車で移動できる街へ再設計したことで、どれほど都市が生き生きと蘇ったかを見てほしい。

(下のブログがコメント付きでキャプチャーしてくれている)

実は、上で書いた「パークアンドライド」にしても「トランジットモール化」にしても、TDM(Transportation Demand Management:交通需要管理)の範疇に入る施策で、TDMは空間的に分散するよりも時間的に分散する方が効率が高いとされている。 

コンパクト・シティ―豊かな生活空間 四次元都市の青写真

コンパクト・シティ―豊かな生活空間 四次元都市の青写真

 

日本よりも数十年早く人口の鈍化が始まったドイツは、「コンパクトシティ化」への取り組みが早かった。その教科書ともされたG.B.ダンツィクの『コンパクト・シティ』が「四次元都市」と銘打って、都市の「時間的分散」に重点を置いていたことを思い出しておきたい。必ずしも莫大な投資を必要としない方法で、ヒューマン・スケール基準の中心街再活性化計画を実施する余地は、充分にあると考えるべきだろう。 

上の記事で、高松と松山の四国のリーダー争いについて書いた。

さらに、上の記事では、「回遊性」豊かな松山中心部の再活性化計画案を、誰にも頼まれていないのに、ひとり考えてみた。

松山にだって、東急ハンズもあれば LOFT もある。ひと昔前には、その店舗名に微苦笑を誘われがちな「ラフォーレ原宿松山店」だってあった。

それでも、少なくとも中心街のデザインについては、松山より高松の方が優っているとベンヤミン好きの散歩者は感じていた。今晩はその理由に辿りつくことができて嬉しい。 

「縮退都市を牽引する」というのは、今の時代にふさわしい勇ましいキャッチコピーだ。多品種の品揃えと消費効率の高さと交通動線の太さでは、郊外の大型店舗には適いっこない。そこで「消費者」ではなく「生活者」を呼び戻そうと構想したのが、高松丸亀商店街の成功の理由となった。

人口減少の時代には、行政も都市を維持する財源に限りがあるので、正しく都市を縮めることが求められます。

上のよくまとまった記事に目を通してもらった上で、種々の情報源を分析して付け加えられるのは、3点。

  1. 先見の明のあるリーダーと地縁的なつながりがあったため、所有と利用を分離した定期借地契約の取り付けに成功した。
  2. 「高松丸亀町まちぢくり」という街づくりのプロの会社が商店街を運営しているので、失敗がない。運営状況をモニタリングする自治体や学識経験者らによる第三者機関もある。
  3. 虫食い状に低密化していく商店街の空き家や空き地の権利を、専用の投資会社が取得し、「高松丸亀町まちぢくり」へ委託運営するシステムが整っている。

自分が注目しているのは、3.の「虫食い状の低密化」をどのようにして官民連携して、豊かな社会的資源に変えていくか。これは饗庭伸の問題意識ともつながる。 

都市をたたむ  人口減少時代をデザインする都市計画

都市をたたむ 人口減少時代をデザインする都市計画

 

  そう語るのは、都市計画に詳しい建築家の書いたこの本。一息で要約すると、 人口増加時代、日本の都市はスプロール状(虫食い状)に農地を都市化していったので、これから来る人口減少時代でも、都市はスポンジ状(虫食い状)に商業地や住宅地を低密化していくだろう。そのスポンジ状の穴のひとつひとつを、周囲の住民の社会資本とすべくコミュニティ機能を持たせた再開発をする(空き家再利用などの)スポンジ活用化が、長期間かかるコンパクト・シティ化の手前で進行するだろう、といった感じか。 

さて、先日暴走車が爆走した松山市内の大街道と銀天街を何とか活性化する妙案はないものか。損な思案の末に集めてきた情報は、一夜漬けの割には、充分に出揃ったような気がしている。

  1. 商店街周辺に急速にマンションが増えつつあるのは好材料。徒歩基準に立って、若い観光客向けの1600m(有酸素運動始値)の観光回遊コースを設立する。
  2. 一般人の希望徒歩移動距離(700m)を基準に、都市人口の高齢化を見越した商店街のテナントミックスと居住者の呼び込みを、専門家の指導のもと、市の主導で補助金により推進していく。
  3. 中心部より少し離れた道後温泉だけでなく、商店街内に(高松丸亀商店街に先駆けて)温浴施設を設置して居住者の呼び込みを進める。

 ちなみに、この辺りのアイディアは、自分の実存的条件にかなり近いところから出ている。自分は 1.の中心街に近いマンションに住んでおり、しかも自分のマンションは、郊外大型店舗の複数出店により閉鎖した温浴施設の跡地に建っているのである。掘れば温泉の出る土地柄なのだ。

 いささか地元ローカルな話に偏ってしまっただろうか。

ではヨーロッパに目を転じよう。饗庭伸は、都市の虫食い状の低蜜化に抵抗して、周辺住民が空き家を社会資本の生まれる場として再活用すべきと主張していた。人口増加の鈍化が数十年早かったヨーロッパでは、 そのような空き家を社会資本が「占拠」する現象が横行していることも、知識として頭に入れておくべきだろう。

この映画では、スクォッター(英: Squatter, 独: Hausbesetzer)の活動を大きく取り上げています。スクォッティングとは日本ではあまり聞きなれない言葉ですが、60年代に始まった社会運動の一つで、(大抵の場合は不法に)都市の空き家を、政治的メッセージの発信やアート・文化活動などのために、自分たちの「ねじろ」に作り変えて住み着く事を指します。

 (…)

アムステルダムのスクォッターは占拠した空間をアトリエ、ギャラリー、飲み屋、ライブハウス、舞台などに作り変え、独自の文化を発信してきました。映画を見ていくと、スクウォッターのこのような活動が、グローバル資本主義に飲み込まれていく都市空間に抗い、人々が自由に使える空間を確保するための運動としての側面がある事が浮かび上がってきます。

興味深い点は、そもそもは不法占拠をベースにした運動だったにもかかわらず、現在ではスクォッティングのポジティブな側面を行政や市民が認めていることです。アムステルダム市議員(労働党)の女性は次のように語ります。

「我々は明確にスクォッターの規制に反対している。スクォッターの活動は、人や物を傷つけない限り、都市にとってむしろ歓迎されるべきものだ。」

ドキュメンタリー映画「創造性と資本主義都市」―アムステルダムの手頃な空間をめぐる攻防 « Urban-Ma-Labo

自分がスクォッターたち初めて目撃したのは、インターネットの本格的な普及前。90年代前半に STUDIO VOICE 誌上だったと思う。上の引用だけだと、芸術家崩れが能書きを並べて不法占拠をしているだけに見えなくもないが、自分が読んだ記事では、言葉の通じにくい移民向けの相談窓口や託児所や児童演劇などを運営していたと思う。スクオッターが創り出す空間には、文化資本だけでなく、社会資本も集積されているというわけだ。

すると、反グローバリストたるスクオッターたちの思想が、この著書につながっているのがわかるだろうか。

デビッド・ハーヴェイによる本書『反乱する都市』はこうした資本とアーバナイゼーションの内的な結びつきとそれが生み出す階級闘争を詳述し、1%の人々の手にある「都市への権利」すなわち「われわれの内心の願望により近い形で都市をつくり直し、再創造する集団的な権利」(p.26)を99%の人々のもとに取り戻す道を模索するものだ。

あまり小難しいことは言いたくない。科学技術の驚異的な進化は、私たちの社会にある「心の習慣」を、それと明確に気づかないまま、大きく変えつつあるのかもしれない。ごく最近書いたこんな文章が蘇ってきた。

二つ目の補助線は、すでに社会が「政治ー倫理的転回」をゆっくりと回り始めているということだ。「ポスト京」の精鋭開発者であるシンギュラリタン齊藤元章は、シンギュラリティ(技術的特異点)よりも、先に社会的特異点が来るとした上で、それはもう到来しつつあるのではないかと推測する。

20代後半世代の消費行動と社会的価値観が大きく変化しているというのだ。慶応大学SFC出身の20代後半の若者たちの中に、NPOやソーシャルビジネスに身を投じている人間の数が圧倒的に多いというのである。物質主義的な富の最大化より、社会的倫理的効用の最大化に貢献することに、生き甲斐を見出す若者の割合が増えている実感があるらしい。 

物質文明の果実が行き渡ると「心の豊かさ」が主要なテーマとなり、宗教ブームになるかもしれない。(お金目的ではないアソーシエーショニズムの可能性)。

居住者を呼び集め、コミュニティーを再生した地方都市の商店街が、法律的に困難だった「所有権と利用権の分離」をクリアしてはじめて実現したことを忘れないでほしい。私たちの住む都市にあるコモンズ(公共財)は、生かし方次第で、さらに大きな私たちの生き残る可能性を高めてくれるものなのである。

そういうものって、そもそもすべて国家が定める種類のものではないのだ。

例えば、誰かが誰かの記念日を祝うとして、それが国が定めた記念日でなくてはならない理由なんてない。私たちは私たちの家族や仲間や共同体の記念日を私たちの流儀で祝う。そこに固有の社会関係があり、それらが受肉した固有の都市がある。街は私たちのものなのだ。

「不労」で「不老」の社会の到来を数十年先に控えている私たちは、たぶん(ちょっぴりで良いので)現在の常識の締めつけを、少し緩めるべきなのだろう。

いま寺山修司が生きていたら、きっとこう言うのではないだろうか。

(ちょっぴり)私有を捨てよ、街でつながろう 

 

 

 

 

 

 

なぜこんなこと 気づかないでいたの
探しつづけた愛がここにあるの
木漏れ日がライスシャワーのように

手をつなぐ二人の上に降り注いで
あなたを信じてる 瞳を見上げてる
り残されても あなたを思ってる

彼のことをずっと愛していると
今はかるの 苦い日々の意味も

ひたむきならばやさしいきのうになる
いつの日か かけがえのないあなたの
同じだけ かけがえのないわたしなるの

明日を信じてる あなたと歩いてる
ありふれた朝でも 私には記念日
 

今朝の光は無限に届く 気がする

いつかは会えなくなると
知っていても
 

あなたを信じてる あなたを愛してる
心が透き通る 今日の日が記念日

 

明日を信じてる あなたがそばにいる
ありふれた朝でも 私には記念日

 

あなたを信じてる 瞳を見上げてる
ひとり残されても あなたを思ってる

 

青春を渡って あなたとここにいる
遠い列車に乗る 今日の日が記念日